ピクサーならではの見事な脚本 『あの夏のルカ』が見出した二つの成長のかたち

 またカサローザ監督は、宮崎駿監督のアニメーション作品に大きな影響を受けたことを明かしている。本作のスタッフクレジットでは、『となりのトトロ』(1988年)同様に、数々の手描きの絵によって微笑ましい後日談が描かれる。さらに、舞台となった港町「ポルト・ロッソ(紅の港)」は、やはり宮崎監督の『紅の豚』(1992年)の主人公「ポルコ・ロッソ(紅の豚)」の名前をオマージュしたものとなっている。

 イタリアの港町を題材にした映画といえば、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『揺れる大地』(1948年)が代表的だ。この作品で描かれるのは、懸命に働いても暮らしが楽にならず、危険な海の仕事で損害を受けても補償のない漁師と、そんな人々の成果を安く買い叩き搾取する者がいるという、不公平な構造である。このように、1940〜50年代に盛んに生み出された、厳しい社会の現実をリアルに描く作品は「ネオレアリズモ」と呼ばれている。

 そんな貧しさから抜け出せない社会構造のなかで困窮した漁師たちの一部は、ジェノヴァなどの港町から、アメリカやアルゼンチンなどの新天地へと旅立つことになった。外の世界に憧れる主人公のルカがジェノヴァに行きたがる展開が用意されているのは、そこが広い世界へと繋がっている、“可能性の象徴”の街であるからだろう。

 さて、ルカたちがシー・モンスターであり、正体を知られると人間たちから迫害されてしまうという設定は、何を意味しているのだろうか。それは、前述したようなイタリアの田舎の美しさとは対照的に、そのネガティブな面をも映し出そうとするねらいがあるためではないか。じつはイタリアは、ヨーロッパの国々の中で、人種に対して保守的な部分を持つことでも知られている。イタリアで人気のあるスポーツといえばサッカーだが、いまだにサポーターによる人種差別は絶えず、他の国よりも目立ってトラブルが多い。

 人種に限らず、性差別や性的指向における差別など、田舎であればなおさら偏見の傾向が強くなりがちだ。ルカたちが自分たちの正体を隠すという構図は、そのような場所で“人と違う”面を持っていたり、新しい価値観や個性を持つ存在が、その事実を明かすことで、人間扱いされなくなるという状況を示していると考えられる。そんなルカやアントニオが、いろんな知識を持っているが「変わり者」として町の子どもたちとは距離のあるジュリアと「負け犬チーム」を結成するというのは、象徴的な構図である。

 しかし本作は、イタリアや港町の人々を頑迷で悪意を持った存在として描いているわけではない。ジュリアの父親のように、そこに住んでいても公平な考え方ができる人間は当然いるものだ。そして、『揺れる大地』で不当に利益を得ようとする卑怯な人物がいたように、一部に悪意を持った有力者が存在することで人々が扇動されてしまうという構図を描き、さらにその構造の崩壊を描くことで、“人間は本来、個性の違いに対して寛容になれるはずだ”という希望を表現してるのである。

 そして、未来に希望を持って前に進もうとするルカと、そんなルカを最終的に応援するようになるアントニオの心境の変化を描くことで、本作は可能性を追求することの素晴らしさと、他者を思いやる優しさという、二つの成長のかたちを見出している。この見事な脚本は、ピクサーのスタッフが大勢で意見を出し合って物語を練り上げる、スタジオならではの手法によって固められたものだ。

 しかし、本作に美しい輝きを感じるのは、そんな物語が、監督がイタリアからアメリカへとやってきた個人的なルーツと感情、同時に、前述したような歴史的な事実とも連結されているからではないだろうか。本作は論理的な構成だけでなく、このように複合的な要素によって、より実感がこもった、味わいの深い印象を与えられる映画になったといえるのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■配信情報
『あの夏のルカ』
ディズニープラスにて独占配信中
監督:エンリコ・カサローザ
製作:アンドレア・ウォーレン
日本版声優:阿部カノン(ルカ)、池田優斗(アルベルト)ほか
日本版エンドソング:「少年時代(あの夏のルカ ver.)」suis from ヨルシカ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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