綾野剛と成田凌の対峙を見逃すな 清水崇監督作『ホムンクルス』の無限に拡がる世界の入口
視覚的なホラー描写もありながら、それ以上にその恐怖の根底に潜んだスピリチュアルな部分やロジックに触れることで、“恐怖の構造”をさらけだす。清水崇が手掛けるホラー映画が、他のいわゆるホラー作家のそれと異なっているのは、一歩引いた視点から恐怖と向き合っているということに他ならないだろう。
『呪怨』シリーズはもちろん、『犬鳴村』や『樹海村』といった近年の作品に至るまで、娯楽映画として表面的に消費する余地を与えつつも、その深部を探れば探るだけ奥深くへと引きずり込まれていく。それだけに、ホラーというジャンル以外でもその才が発揮されるということは明白だ。
オリジナル作品が多い清水のフィルモグラフィの中で、原作がある作品といえば、まず他のシリーズ作同様に原作の設定だけを活かした『富江 re-birth』や夏目漱石原作のオムニバス映画『ユメ十夜』が挙げられる。両者は明確に十八番であるホラー作品だ。そして2014年に公開された『魔女の宅急便』は対照的にがらりと違うジャンルに挑んだ異色作であった。そう考えると、比較的ホラーに近しいジャンル性を持つ今作は、オリジナル作家でありホラー作家である清水崇という作り手の新たな一面を見るにはうってつけではないか。
新宿中央公園の傍におんぼろの車を停め、そこで生活している綾野剛演じる主人公の名越。記憶がなく、感情もなく、それでいて金だけはあるというミステリアスな彼の前に、成田凌演じる奇抜な出立ちの研修医・伊藤学が現れることから物語は始まる。伊藤は「7日間、生きる理由をあげます」と謳い、名越を“トレパネーション”という実験へと誘う。それは頭蓋骨に穴を開け、人間の潜在能力を開花させるという手術であり、術後に名越が左目だけで世界を見ると、そこには人間が異様な形に変貌した世界が広がっていた。他人の深層心理を視覚化した“ホムンクルス”が見える世界の中で、名越は出会う人々の心の闇と対峙しながら、自身の失われた過去と向き合っていくのである。
まずこの“トレパネーション”という治療行為は、一部の層にはよく知れ渡ったものではあるが、実際に存在するものだと考えるとなかなかに悍ましいものがある。しかも数千年前から存在するものと言われており、1960年代ごろにある種のムーブメントとして注目を集めたようで、かのジョン・レノンも治療に志願したと言われている。これについては原作漫画の資料にもなった1998年のドキュメンタリー映画『ア・ホール・イン・ザ・ヘッド』で詳しく詳細が語られているわけだが、その原理としては頭蓋骨に孔を開けることにより、脳の圧力が減少して血流が改善。あらゆる感覚が研ぎ澄まされるといったところだ。