芳根京子演じる美亜の正体に愕然 『君と世界が終わる日に』生き残った人々の実態が明らかに

 極端に非現実的なのに、現実とリンクしてくるのがゾンビものの面白さだ。昨日まで元気だった人が次の日には生ける屍と化す。私たちが生きる社会はコミュニケーションが基盤になっており、「話せばわかる」という無言の信頼感に支えられているが、ゾンビドラマにはその前提が欠けている。人間が人間であることの信頼が崩壊した時、何が起きるか? 『君と世界が終わる日に』(日本テレビ系)第3話は、生き残った人々の実態を映し出した。(以下、ネタバレあり)

 横須賀駐屯地に到着した響(竹内涼真)たちを悲劇が襲う。本郷(大谷亮平)が撃たれて即死。応戦する等々力(笠松将)を無理やり車に乗せ、響たちはその場を後にする。たどり着いたのはショッピングモール。ゾンビのいない屋内で響は女優の中越美亜(芳根京子)と出会う。そして、謎の集団が目の前に現れる。

 宇和島(笹野高史)に続いて本郷も死亡。ある程度覚悟していたが、主要キャラクターが命を奪われる様子を見るのはやはりショックだ。そのことは登場人物も一緒で、本郷というリーダーを失って一行はバラバラになりかける。宇和島の死は響の心に迷いを生じさせ、その判断にも影響を与えた。サバイバルといっても個々の局面で行う選択の繰り返しであり、その積み重ねが生死を左右する。あの時、等々力がとっさに発砲しなければ。あるいは響が美亜を見抜けなかったのは、宇和島のことが頭にあったからでは? 心理的な変化をストーリーに織り込むことにより、目の前で人が死ぬことの切実さがリアルに迫ってきた。

 ゾンビには言葉も常識も通じない。人間でありながら人間からもっとも遠い存在が彼らだ。ゾンビが支配する終末世界では、コミュニケーションを前提とする社会のルールも崩壊する。銃を持っている響たちは、自衛隊からテロ集団と見なされてしまう。専守防衛が原則の自衛隊がルールを破って発砲し、報告書は何者かの手によって書き換えられる。生きるか死ぬかの状況では、誰もが自分の身を守ることを優先する。響たちも、無人のショッピングモールで当たり前のように食料に手を伸ばす。

 冷静に考えると、無断で略奪行為をする響たちよりも、対価を要求する坪井(小久保寿人)の方が、幾分か筋が通っている。武士を連想させる刀集団は、ディストピアを支配するのが暴力であることを示している。ピストルもただ撃つだけでなく、希少価値の高さから交渉材料として使われるなど、日本の状況を踏まえたプロットになっていた。いずれにしても武力がものをいう世界であり、無法地帯という言葉があてはまる。

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