『罪の声』で浮かび上がる人間ドラマ 社会派のテーマを“エンタメ”で届ける、野木亜紀子の覚悟
また、原作よりもキャラクターと、関係性が濃密に描かれているのは、星野源演じる曽根の妻(市川実日子)だ。
自身の声が犯罪に使われていたことに苦悩する夫の「変化」に気づいた妻は、証拠となる録音テープや手帳の存在を知り、事件の真相を探るべく夫の背中を押す。そうした妻の言い分について、「『迷惑だ』って言うんです。モヤモヤしたものを抱えて日々暮らしていられるのは、迷惑だって」といった語る曽根に、阿久津は「厳しいですね(笑)」と返す。しかし、曽根は笑顔で言う。
「いえ、優しいんです」
このやりとりだけで、おそらく「ここは原作じゃなく、野木脚本のオリジナルだな」と感じる人は多いのではないか。野木作品が描く人の優しさ・温かさの本質的部分が強く感じられる点だ。
また、曽根と阿久津の間で着実に育っていく「バディ」としての関係性、友情の部分もまた、映画のオリジナル要素として際立つ。この描写については、蛇足と考える人もいるだろうが、その一方で、おそらく野木作品ファンが強く心をつかまれるポイントでもある。
さらに、心を強くえぐられるのは、「事件の録音テープに利用された子ども同士」の対峙のシーン。これは原作上にも場面としては存在しているのだが、同じ「大人の犯罪に巻き込まれた子ども同士」という“被害者”同士でありつつも、その対比と、ある問いから生まれる「罪の意識」とが、切実に胸に迫る。
この視点は、すべてが「加害者・被害者」「正しいこと・正しくないこと」で割り切れない残酷さと優しさを孕んだ野木脚本ならではの味わいだ。
そんな中、映画の中で異質さを放ち、浮いているのは、子どもたちを巻き込んだ大人側の動機「奮い立った」というセリフ。
原作でも映画でも、「子どもたちが巻き込まれた事件だった」ことを強調している。資本家や権力の腐敗、金儲けに利用しようという大人の身勝手さなどを描いている点は共通している。しかし、原作に立ち込める60年代~70年代の「学生運動」の高揚感と虚無感は映画ではあまり感じられず、そんな渦の中にいる人物を「化石」として回収する。
だからこそ、社会への不満で奮い立つ快感や、他者の未来を踏みにじることへの鈍感さ、無自覚さが、映画の中では異質なものとして浮き立つ。
当時の「時代」が持つエネルギーを肌感覚で知らない者たちにとっては、どうやっても理解不能な「奮い立った」という言葉の異様さに、ゾクッとくる部分でもある。これは原作上にもある言葉だが、高揚感や虚無感が薄い分、映画のほうが強い印象を与える部分でもある。
その一方で、野木作品の優しさが際立つのは、家族の優しい物語の中に滲む「いつでも犠牲になるのは、弱く小さな者たち」というメッセージだ。
野木亜紀子氏は1974年生まれ。バブル世代の浮かれ気分を知らず、かといってゆとりもなく、良い時代を全く知らない世代の悟りとも異なる、「沈みゆく時代を見つめてきた」ある種の絶望感が作品の根底に常にある気がする。
だからこそ、そんな時代の変化を見つめてきた世代の当事者意識と、「子どもたちの未来への責任」が、いつでも優しく作品に込められている気がしてならない。
■田幸和歌子
出版社、広告制作会社を経てフリーランスのライターに。主な著書に『KinKiKids おわりなき道』『Hey!Say!JUMP 9つのトビラが開くとき』(ともにアールズ出版)、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)などがある。
■公開情報
『罪の声』
公開中
監督:土井裕泰
出演:小栗旬、星野源、松重豊、古舘寛治、宇野祥平、篠原ゆき子、原菜乃華、阿部亮平、尾上寛之、川口覚、阿部純子、市川実日子、火野正平、宇崎竜童、梶芽衣子
原作:塩田武士『罪の声』(講談社)
脚本:野木亜紀子
制作:TBSスパークル、フイルムフェイス
配給:東宝
(c)2020「罪の声」製作委員会