宮藤官九郎、坂元裕二、野木亜紀子は今後コロナ禍をどう描く? ドラマ評論家座談会【後編】
3月から現在まで、かつてない状況に直面した日本のドラマ界を振り返るために、レギュラー執筆陣より、ドラマ評論家の成馬零一氏、ライターの木俣冬氏、田幸和歌子氏を迎えて、座談会を開催。
前編では、再放送作品の中でも特に評価の高かった『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)、90年代から現在まで活躍を続けている脚本家、北川悦吏子と中園ミホの作家性、そしてリモートドラマの今後まで、じっくりと語り合ってもらった。
後編では、『MIU404』(TBS系)をはじめとした4月から延期となった作品、休止が続いているNHK連続テレビ小説『エール』など、4月〜7月期の新作ドラマについて語ってもらった。
“リアル”に対抗するために作り手は何を考えるべきか
ーー4月スタートのドラマの多くはワンシーズン分ずれる形で放送がスタートしました。深夜ドラマなど一部のドラマは4月に放送されていましたが、改めて気になった作品はありましたか?
田幸和歌子(以下、田幸):現在放送中のドラマでは、TBSの『MIU404』と『私の家政夫ナギサさん』が面白いです。非常に丁寧に作られていて、時代性ともぴったりで、人物造形も深い。相変わらずTBSのドラマ作りはうまいと感じています。放送されていたドラマでは、『70才、初めて産みましたセブンティウイザン。』(NHK総合)と『捨ててよ、安達さん。』(テレビ東京)に心を動かされました。
『70才、初めて産みましたセブンティウイザン。』は、70歳で出産とっていう設定そのものがあまりにもファンタジーな題材なので、最初はどうなんだろうと思っていたんです。でも、描かれていたのは、妊娠、出産、子育てのあるあるのリアルばかりでした。70歳で子供を作ることに対して、「子供がかわいそう」「無責任なんじゃないか」と思ってしまうと思うのですが、子供が生まれる奇跡、愛を積み重ねていく幸せがしっかりと本作は描かれているんです。現在のコロナ禍の状況もあり、「子供は未来だから」の言葉にもすごく響くものがありました。
『捨ててよ、安達さん。』は、テレ東が作り続けているフェイクドキュメンタリーのひとつの到達点のようなすごさがありました。安達祐実さんは、子役時代から日本中の多くの人が知っている女優さんです。そんな存在はなかなかいません。結婚、離婚、母親との確執と、ともすれば、週刊誌的な、下世話な興味になりかねないところにも深く切り込んで、それをすごく上品にまとめている。安達祐実さん自身の表層的な部分から深層心理的な部分まで、まるっとまとめながらそれを“夢”として描いている。安達祐実さんという存在がなければ絶対に作れなかった唯一無二の作品だったと思います。
木俣冬(以下、木俣):私も『捨ててよ、安達さん。』はすごくおもしろく観ていました。誰もが知っている「安達祐実」というイメージを押し出しながら、安達祐実さんの意外な部分を目撃してしまうドキドキ感がありました。『テラスハウス』をはじめとしたリアリティショーが人気となったのも、虚実皮膜の部分だと思いますが、一歩間違えると暴走してしまう可能性もあるわけです。『捨ててよ、安達さん。』は虚実皮膜の面白さをもっとも理想の形で作り上げた1作だったと思います。
極端に言ってしまえば、ドラマのパターンは10個ぐらいしかなくて、ネタはどんどんなくなっていると思うんです。それでも作り手たちが必死に掘り下げていってなんとか新しいものを生み出している。でも、いよいよなくなってきてしまったのかなという気はしています。『M 愛すべき人がいて』(テレビ朝日×ABEMA)も面白かったですが、お話がどうこうではなくて、人が面白い、企画自体が面白いというものでした。SNSでいかにバズらせるかが先にあるというか。『美食探偵 明智吾郎』(日本テレビ系)も、江戸川乱歩×グルメという原作漫画自体の面白さをうまく活かしていたと思いますし、キャストたちもよかったと思います。ただ、“物語”に対する面白さがあったというよりは、登場人物たちのやり取りが面白いという、キャラクター優先の面白さになっているんですよね。そういう部分では、野木亜紀子さん脚本の『MIU404』はまだ違うことをやろうとしている感じはあります。
成馬:コロナ禍が叫ばれはじめた直後は、ドラマやニュースから距離を取っていたんですよ。“コロナ禍の現実”からなるべく離れたくて、『鬼滅の刃』や『進撃の巨人』といった漫画の方にハマっていました。自分のスタンスとしては、虚構の世界の中で現実について考えたくて、ナマの現実がむきだしで迫ってくるようなリアリティショー的な表現は、年々つらくなってるんですよね。もちろんその凄さは認めていて、現代性や刺激においては『テラスハウス』やAKBグループの総選挙に、ドラマはもう追い抜かれているのだと思います。現実の1番おもしろくてエグい部分を抽出して見せるという勝負において、ドラマはもうリアリティショーには敵わない。それを踏まえた上で「フィクションの作り手側は何をやるべきか?」が問われており「ドラマでしかできないことは何か」と、考えなければいけない。そこでヒントになるのがドラマ版の『映像研には手を出すな!』(MBS・TBS)だと思うんですよ。座談会の前編で「背景も出演者も全部バラバラに撮ったものを、合成で繋ぐという手法を突き詰めると、また違った表現が生まれるかもしれない」と話しましたが、『映像研』はまさに“実写でアニメをやろうとした作品”で、ひとつの可能性を示したと思います。
今期のドラマでは『MIU404』を面白く観ていますが、評価はまだ保留ですね。舞台は2019年なので設定上の問題はないのですが、現代性を志向する作品だからこそ、コロナ禍の現実とのズレが気になってしまう。今後、このズレをどう修正するかが一番の見どころですが「コロナがなければ、もっと素直に楽しめたのに」と、どうしても思ってしまう。野木亜紀子さんの脚本は、現実の切り取り方が非常に巧みなだからこそ、現実の側がおかしくなってしまうと、そのズレが際立ってしまうんですよね。同じことは、坂元裕二さんの単発ドラマ『スイッチ』(テレビ朝日系)にも感じました。劇中、あるキャラクターが、トイレで手を洗わずに相手の顔に触る場面があって、ギョっとしたのですが、コロナ禍の社会において、あれはすさまじい“暴力”で、作り手の意図を超えた凶悪なシーンになってしまった。コロナ禍以前に製作されたものなのでしょうがないことですが、現代性のあるエッジの利いた作品だからこそ、少しのズレが目立ってしまうというのは「皮肉だなぁ」と思いました。