豊臣秀吉が主役の大河ドラマは少ない? 竹中直人『秀吉』で晩年を描かなかった理由

 物語は二部構成となっており、秀吉が出世街道を勝ち上がっていく前半と、本能寺の変を経て信長と光秀が退場して以降、秀吉が信長の意思を継ぎ天下統一へと向かう後半に分かれている。そして栄華の頂点で物語は幕を閉じるのだが、起承転結でいうと転で終わったような印象があるのは、晩年の秀吉をあえて描かなかったからだろう。

 実は、秀吉を主役にした大河ドラマは、緒形拳が秀吉を演じた1965年の『太閤記』と『秀吉』の2作のみである秀吉は、織田信長、徳川家康とならぶ天下統一を果たした戦国の覇者で、貧しい農民の生まれでありながら天下統一という彼の出自は、戦国の世をもっとも象徴する人物である。

 波乱万丈の生涯は物語性が高いため、もっとも大河ドラマ化しやすい戦国大名だと思っていたので、これは意外だと思ったのだが、後で考えると、それも当然だなぁと思う。秀吉を主役にしにくいのは、晩年の描き方が難しいからだろう。天下統一までの上り坂の時代と、天下統一以降の権力の頂点に立った晩年との落差が激しすぎるため、連続して描くと、秀吉の人物像が分裂してしまうのだ。

 『秀吉』では、晩年の秀吉と豊臣家の滅亡。そして淀君と石田三成(真田広之)のたどる末路は、観る側の想像に委ねられている。秀吉が「心配御無用」と言って華やかに振る舞えば振る舞うほど、明るさの中にある空虚さが際立つ終わり方は、その後を知っていれば知っているほど、よく出来た構成である。

 この終わり方も含めて本作には「秀吉が体現した立身出世の物語」を、多くの日本人が信じられなくなりつつあったバブル崩壊以降の空気が反映されているように感じる。

 原作小説の作者・堺屋太一は1947~49年前後に生まれた日本人を「団塊の世代」と命名したことで知られている。おそらく秀吉の姿は、戦後の復興期に生まれ、高度経済成長期を昭和の企業戦士として駆け抜けた団塊の世代の理想像だったのだろう。だから秀吉の出世物語を見ていると、団塊世代が体験した昭和の自慢話を聞かされているようで、羨ましさと疎ましさを同時に感じる。

 逆に晩年の秀吉の姿は老害そのもので、バブル崩壊以降、昭和の社会構造が急速に崩れゆく中、後続世代から鬱陶しく思われている団塊の世代を、別の意味で象徴しているようにも見える。

 竹中はその後、2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』で晩年の秀吉を演じている。こちらでは老いた秀吉の醜悪な姿が描かれていた。別の作品が間接的な続編のように見えるのは大河ドラマならではの面白さだろう。『秀吉』と『軍師官兵衛』の竹中直人。セットで観ることをオススメする。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

■放送情報
特集番組『「麒麟がくる」までお待ちください 戦国大河ドラマ名場面スペシャル』
7月12日(日)『秀吉』
NHK総合にて、20:00〜20:45放送 ※土曜の再放送あり
NHK BSプレミアムにて、18:00〜18:45放送

7月26日(日)
「キャスト・スタッフが明かす大河ドラマの舞台裏」
NHK総合にて、19:30〜20:43放送

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