時代によって変化してきたジョーカー像 「バットマン」映画からの変遷を辿る

 その後、気鋭の監督クリストファー・ノーランによる、新たなバットマン映画のシリーズが再開される。クリスチャン・ベールがバットマンを演じた、『バットマン ビギンズ』(2005年)、『ダークナイト』、『ダークナイト ライジング』からなるトリロジーである。

 ジョーカーが登場する『ダークナイト』は、その中でとくに評価が高い作品だ。ヒース・レジャーが演じたジョーカーは、髪は乱れメイクも剥がれた鬼気迫る姿で爆弾テロを起こしていくという、凄みのある演技を披露している。これは、ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーの身なりの良さや、プリンスの楽曲に乗りながら犯罪をエンターテインメントにしていた姿とは対照的に見える。

『ダークナイト』(c)Warner Bros. Entertainment Inc. BATMAN and all related characters and elements are trademarks of and (c)DC Comics.

 その背景には、2001年のアメリカ同時多発テロという、現実に起こった衝撃的で暗い事件があった。この作品では、バットマンがジョーカーの凶行を止めるために、自警活動の範囲を国外にまで広げたり、守るべきゴッサムシティーの市民の生活を監視するといった、バットマン本来の倫理に反した行動に出てしまう。ジョーカーはバットマンの精神を破壊し、悪の世界へと引きずりこんでいくのだ。このバットマンの狂態は、当時のブッシュ政権が同時多発テロ後に実際に行った捜査のミニチュア版だともいえよう。

 ジョーカーがバットマンの正義の中にある問題を暴いてしまうという構図は、“ジョーカー”という存在を端的に表している。バートン版の『バットマン』が、バットマンとジョーカーを、社会の歪みが生み出した異端の存在として描き、バットマンをジョーカーにあざ笑わせることで、バットマンの正義を揺るがせたように、ジョーカーは正義や思いやりの心など、善良な人々が信じる価値観を笑うことで、それらを傷つけ、無効化してしまうのである。正義のヒーローを肉体的に傷つけるよりも、正義の概念そのものを崩壊させていく。これが、最もおそろしい悪の姿なのではないだろうか。

『ダークナイト』(c)Warner Bros. Entertainment Inc. BATMAN and all related characters and elements are trademarks of and (c)DC Comics.

 ヒース・レジャーが、『ダークナイト』公開前に亡くなったことで、ジョーカーという役は、ある意味で伝説的なイメージを否が応でも負ってしまうことになった。さらにそこに、アニメーションやゲーム作品においてジョーカーの声優を担当したマーク・ハミル(『スター・ウォーズ』)の優れた仕事も重なり、もはやジョーカーは俳優たちにとって、大きなプレッシャーのかかる大役となった。

 そのイメージの被害者となったのが、『スーサイド・スクワッド』(2016年)でジョーカーを演じたジャレッド・レトだった。このジョーカーは、引き締まった肉体の若いストリートギャング風の姿という、いままでにない大胆な解釈がなされ挑戦的ではあったものの、これまでのジョーカーと比べると何か欠けるところがあり、観客の反応もかなり悪かった。出演時間がほとんどカットされるという憂き目にも遭い、その熱演のほとんどの部分が日の目を見なかったのは、気の毒な部分もある。

 ジャレッド・レトのジョーカーに、どこか不満を感じるというのは、前述したような、正義が崩壊する様が描かれなかったためではないだろうか。彼があざ笑うべき正義のヒーローが登場しないことで、ジョーカーの存在意義も希薄になってしまうのだ。そんな持ちつ持たれつの関係を、映画『レゴバットマン ザ・ムービー』(2017年)では、ギャグとして相思相愛の域にまで描くことで、分かりやすく表現している。

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