キム・ギドクの苛烈な思考実験をどう受け取るか 『人間の時間』が突きつける人間の欲望と宿業

 様々な立場の者たちが寄り集まった船の人間模様は、ある種“世界の縮図”を描いていると言うべきか。それが丸ごと極限状態に陥るーーあるいは突き進んでいく。セックス、ドラッグ、酒、暴力など、欲望の限りを尽くす過程で、支配と隷属の構造が発生するが、さらに生き残りが切迫すると階層すら崩れ、剥き出しの本能が露わになっていく……。筆者の眼にはルイス・ブニュエルの『ビリディアナ』(1961年)や『皆殺しの天使』(1962年)、マルコ・フェレーリの『最後の晩餐』(1973年)などの系譜に連なる、限定された空間で人間の本性をテストする苛烈な思考実験の類に映った。

 ただブニュエルやフェレーリがキリスト教の制度的な側面を皮肉る“パンク”な精神に溢れているのに対し、むしろギドクは人間の汚辱を救済する観念体系としてキリスト教を素直に設定している(その意味でブニュエルやフェレーリを受け継いでいるのは『アンチクライスト』(2009年)や『ハウス・ジャック・ビルト』(2018年)などのラース・フォン・トリアーだろう)。展開の詳細は控えるが、藤井美菜扮するヒロインの名前は「イヴ」、ある男性が「アダム」であり、またある人物が神的な佇まいを見せ、イエス・キリストの「血と体」の話(弟子たちに、これは自分の体だと言ってパンを、血だと言って葡萄酒を与えた)を彷彿させるエピソードも出てくる。

 観る人によっては「やり過ぎ」と言うかもしれないが、代表作の『サマリア』や『嘆きのピエタ』などがそうであるように、リミッターを解除した状態で人間の欲望や宿業をとことん見つめながら、それを宗教の原型的イメージで包み込む。そして凄惨な争いを経た船は、ギドクがしばしば用意する存在論的な痛みを慰撫する聖域ーー霊的なムードに覆われた世界の果てのような場所の一形態となる。『魚と寝る女』(2000年)の淡水湖の釣り宿、『春夏秋冬そして春』(2003年)の山奥の湖上に浮かぶ寺、『弓』(2005年)の海上に漂う小さな船のような……。その中でも今回のSF神話的なスケールの壮大さは際立っており(スケールとは予算ではなく、創造力の大きさで決定することがよくわかる好例!)、第一幕「人間」、第二幕「空間」、第三幕「時間」、第四幕「そして人間」と題されたサイクルが示す寓話としての設計も極めて明晰だ。

 もちろん劇展開にはエキセントリックな野卑がギラつき、冷徹な目の中には不意の狂気や情念が噴出する。その過剰さこそがギドクならではの味だ。彼の性的疑惑について擁護する必要は微塵もないが、アルフレッド・ヒッチコック、ロマン・ポランスキー、ベルナルド・ベルトルッチ、ウディ・アレンといった映画史の輝かしい名前たちの作品が、ある正義のもとに評価のバイアスが掛けられている現在。その是非はさておき、『人間の時間』も忌避され、黙殺されるとしたら、それは余りにもったいないとしか言いようがない。

 本作が2018年のベルリン国際映画祭で上映された際の会見で、ハードなシーンを演じきった藤井美菜は監督らと共に登壇し、「キム・ギドク監督と仕事ができて嬉しかった。撮影現場は楽しい雰囲気でした」とスピーチした。ギドク自身は公式コメントで「私は人間を憎むのをやめるためにこの映画を作った」と発言している。自分の信じる才能が社会的、倫理的に不利なポジションに立たされた時、我々は文化や芸術、表現活動をどのようにサポートするのか。その“生き方”の判断をいま各々が問われているのかもしれない。あなたはどの立場、意見を取るか?

■森直人(もり・なおと)
映画評論家、ライター。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』『日本発 映画ゼロ世代』(フィルムアート社)『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「朝日新聞」「キネマ旬報」「TV Bros.」「週刊文春」「メンズノンノ」「映画秘宝」などで定期的に執筆中。

■公開情報
『人間の時間』
3月20日(金)より シネマート新宿ほか全国順次公開
監督・脚本:キム・ギドク
出演:藤井美菜、チャン・グンソク、アン・ソンギ、イ・ソンジェ、リュ・スンボム、ソン・ギユン、オダギリジョー
提供:キングレコード
配給:太秦
2018年/韓国/カラー/DCP/122分/R18/原題:Human, Space, Time and Human
(c)2018 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved.
公式サイト:ningennojikan.com

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