『午前0時、キスしに来てよ』から考える“キラキラ映画”の変遷 2010年代有終の美を飾る作品に

 2000年代中盤に『NANA』や『デスノート』といった漫画を原作にした実写映画化が大ヒットを記録したことをきっかけに、2010年代の日本映画の潮流が決定づけられることになった。もちろん従来から漫画の実写化というのは頻繁に作られてはいたが、VFX技術の著しい進歩も相まって実写化不可能といわれるほどのユニークな世界観を持つ少年漫画までもが実写化されるようになったことで、より拡大の一途を辿ったことはいうまでもない。

 それでも、実写映画化のムーブメントの中心にあったのは少年漫画よりも少女漫画の方である。それは概ね学校を舞台にした青春恋愛模様が描かれるとあって、バジェットなどあらゆる面がタイトに収められる点や、メインキャラクター以外にも多くの若手俳優を起用できるなど様々なメリットがあったからに他ならないだろう。

 本稿ではこうした少女漫画の実写映画化の中でも、それ自体がひとつのジャンルと化した“キラキラ映画”について掘り下げながら、その最新作『午前0時、キスしに来てよ』について論じていきたい。あらかじめ“キラキラ映画”の定義を明記しておくならば、「ティーンをメインターゲットにした少女漫画雑誌に連載された漫画作品」を原作にし、「高校生の青春と恋愛」をメインテーマにした作品(例外的に、その続編に該当する作品も含む)であること。そうすると2010年代の10年間だけでも、ざっと50本を超える作品が作られている。

 その前段階である2000年代後半にも、すでに2作品の“キラキラ映画”と定義されうる作品が存在していた。しかしながら、2008年に公開された『花より男子F』はテレビドラマの劇場版という側面を持ち、2009年に公開された『僕の初恋を君に捧ぐ』は余命幾ばくもない主人公を描いた純愛物語であったりと、あくまでも2000年代までの日本映画のブームの系譜になぞらえた作品であった。現に2010年代に入ってからの、前述の定義に則った“キラキラ映画”の中に、「超大金持ちの生徒だけが入学できる学園」を舞台にした作品も、「余命幾ばくもない主人公」をめぐる作品というのはほとんど見受けられない。そうしたある種の飛び道具とも取れる突飛な設定を携えた作品というのは、少年漫画やラノベを原作にした作品に偏るわけで、しいてこの界隈で挙げるならば『桜蘭高校ホスト部』や『未成年だけどコドモじゃない』、そしてファンタジー要素が極めて強かった『orange-オレンジ-』(元々は別冊マーガレットで連載されていた)ぐらいに留まるのである。

 つまりは、あまりにも身も蓋もない言い方をしてしまえば、“キラキラ映画”というジャンルは、ディテールに違いはあれども根本的な部分がどれも同じである。普通の女子高生(ごく稀に男子が主人公の場合もちらほら見受けられるが)が、ひょんなことから学校一の人気者であったり先生であったり、久しぶりに再会した幼なじみであったりといった、極めて近しい存在の異性と出会い恋に落ち、ライバルや進路の悩みや様々な障壁にぶち当たるけれども最終的には結ばれるという筋道があらかじめ用意されているのである。そう考えると、ネタバレを著しく忌避したり、友人同士の話題作りに必要のなさそうなシーンでスマホをいじりながら観たりと、やたらと映画が短絡的にストーリーを摂取するためだけの装置に成り果てた昨今の流れとは極めて逆行したジャンルであることがわかる。

 しかし、そのような良い意味で凡庸なストーリーテリングが為されることによって、脚本の巧拙が顕著に現れていたり、演出を担う監督やキャメラマンの手腕、さらには原作から抽出されなかった部分とのギャップから垣間見えるコンテキストなど、映画に必要不可欠なあらゆる要素にごまかしが利かないというのがこのジャンルの極めて興味深いところだ。監督の技量や原作へのリスペクトがなければ、それがすぐに露見してしまう。それでいて純度の高いモーションピクチャーが生まれやすい、いわば日本映画が最も元気だった50〜60年代のプログラムピクチャーと同じようなものだ。もちろんそれと同時に、これからの日本映画界を背負っていく若手俳優たちの技量も比較しやすいわけだ。

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