「銭湯映画」は時代を映す“鏡”ーー世の中の変化に合わせて生まれた、新しい意味と物語性

 松本穂香主演の映画『わたしは光をにぎっている』が好評だ。一緒に暮らしていた祖母の入院を機に、ひとり東京に出てくることになった20歳の女性・宮川澪(松本穂香)が、さまざまな人と出会いながら、自分の“居場所”と“やるべきこと”を見つけてゆく物語。その監督である中川龍太郎は、リアルサウンドのインタビューで「人の感情よりも、それを司る空間を描きたかった」と語っている。“感情”よりも“空間”。そこで重要になるのは、本作の舞台となる“空間”――澪が東京で身を寄せる父の親友・京介(光石研)が経営する“銭湯”だ。内向的で人付き合いが苦手な澪は、やがて自らもその銭湯で働くようになる。彼女たちが暮らす街は、昔ながらの飲み屋街として知られる東京・葛飾区の立石に設定されているが、“銭湯”の外観及び内部は、東京・清瀬市にある「伸光湯」(現在は休業中)で撮影されたという。

『わたしは光をにぎっている』(c)2019 WIT STUDIO/Tokyo New Cinema

 それにしてもここ最近、銭湯を舞台とした日本映画をよく観ているような気がする。物語の舞台としてのみならず、その“空間”そのものが大きな意味を持つ昨今の“銭湯映画”。無論、往年の名作ドラマ『時間ですよ』シリーズ(TBS系)を筆頭に、いわゆる“庶民の暮らし”を象徴するものとして、銭湯を舞台としたドラマや映画は、これまでも数多くあった。けれども今日の銭湯は、もはや我々の暮らしの中心にあるものとは言い難く、むしろ“再発見”すべき場所として、新たな意味や物語性を持ち始めているように思うのだ。その意味で、ひとつエポックメイキングとなったのは、やはり映画『テルマエ・ロマエ』(2012年)と、その興行的な成功だろう。阿部寛扮する古代ローマの浴場設計技師・ルシウスが、なぜか突然日本の銭湯にタイムスリップ。そこで日本の銭湯の素晴らしさを、文字通り“発見”する物語。ちなみに、ルシウスが最初にタイムスリップして日本の銭湯に現れるシーンは、東京・北区の「稲荷湯」で撮影されたようだ。そこには、震災後という時代的な雰囲気も、少なからずあったのかもしれない。見ず知らずの人々が、緩やかに交流する“パブリック”な場所としての“銭湯”。それを我々は、ルシウスともども“再発見”したのだ。

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 以降、銭湯を舞台とした物語は、『時間ですよ』のような“ホームドラマ”ではなく、先述の中川監督が言うように、「昭和の時代には存在したかもしれない、人と人が繋がれる空間」としての意味合いを強く持ち始めていく。たとえば2016年、『孤独のグルメ』(テレビ東京)と同じスタッフが生み出した『昼のセント酒』(同)というドラマ。戸次重幸演じる主人公が、外回り営業のついでに都内各地の銭湯を訪れるという趣旨のこのドラマは、日常のなかに潜む非日常、あるいは町のエアポケットのように、昔から変わらずそこにある各地の銭湯を“再発見”すると同時に、その居心地の良さと快適さを改めて我々に感じさせてくれるようなドラマだった。そして、同年の秋に公開された、宮沢りえ主演の映画『湯を沸かすほどの熱い愛』。夫婦で銭湯を営みながらも、夫の失踪後は銭湯を休業し、パートで働きながら娘を育てあげた主人公が、末期がんであると診断されるところから物語が動き始める本作は、銭湯の“再建”と家族の“再生”が重ね合わせられた、ある意味とても現代的な映画となっていた。

(c)2016「湯を沸かすほどの熱い愛」製作委員会

 その外観は、栃木・足利市の「花の湯」で、内部は東京・文京区の「月の湯」(現在は廃業)で撮影されたという本作で商業映画デビューした中野量太監督は、“銭湯”を自身のデビュー作の舞台とした理由について、東京銭湯のインタビューで次のように語っている。「知らない人同士がひとつの湯船に入ってくつろいだり、癒されたりする銭湯という場所が、自分のテーマにどんぴしゃに合ったからです」。“知らない者同士”が、緩やかに交流する場所としての“銭湯”。それは、冒頭に挙げた映画『わたしは光をにぎっている』にも共通するテーマである(それは、昨今の“サウナ・ブーム”についても言えるだろう)。かくして、かつての“ホームドラマ”とは異なる、新たな“ふれあいの場所”として銭湯を描いた本作は、多くの人の感動を誘うと同時に、その衝撃的な結末と、そのタイトルが本当に意味するものが大いに物議を醸しつつも、結果的に翌年の日本アカデミー賞で最優秀女優賞をはじめ6部門に輝くなど、一定の評価を獲得した。しかし、この映画は、懐かしさや親しみやすさだけではない、現在の銭湯が置かれているシリアスな状況も、ある意味浮き彫りにしてみせたのだった。施設の老朽化や人員不足、そして何よりも利用者の激減など、現存する銭湯の多くは、経営的な問題を抱えているのだ。

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