ギリギリのところで生きる、向井理と田中麗奈 舞台『美しく青く』が描く人々の営み

 この物語は、一人の若者(森優作)が一丁の銃を抱え、不安げに林の中をさまようところからはじまった。怯える彼が宙空を泳がせる銃口は、ときおり私たち観客の方へとも向けられるが、どうやらオモチャらしい。あまりに心許ない銃声には、思わず肩透かしを食らってしまうほどだ。森が演じるのは自警団でも一番の若者であり、いつだってこの町からの脱出を図ることができる存在だが、彼は町の同調圧力に半笑いのまま屈している。森は、不安な“登場人物たちの日常”へと観客を誘う役どころを、単身担っているのだ。そんな彼の同級生役を演じているのが横山由依。彼女が現役アイドルであることは多くの方が知っているはずだが、このところは役者業へも意欲的な姿勢を見せている。普段の彼女自身の笑顔は控えめに、この終わりなき日常に対する自らの態度と選択を、横山はその佇まいで示した。これが女優としての大きな自信にも繋がるはずである。

 個性派俳優という枠組みで語られがちな大倉孝二が演じるのは役場の人間であり、“日常を変えようとする者”、“変えまいとする者”、“流れに身を任せようとする者”といった人々のあいだで翻弄されるポジションだ。特異なその個性は本作でも際立っているが、場の空気をコントロールする才能は、性格俳優と呼ぶ方が相応しい。そして、彼が空気を「静」に変える存在であるならば、これを「動」に変えてしまうのが大東駿介だ。彼もまた大倉と同じく、“押しと引き”の器用な芝居で、ときに周囲の者を立てながら、ここぞというときはシーンの主役に躍り出る。しかしそれは単なる一方的な感情の爆発などではなく、あくまで周囲の状況・環境に対するリアクションの結果だ。大東の独擅場となることはなく、「町」に根ざす者たちの関係性を維持したまま新展開を生む、そんな彼の技量を強く感じられる。

 銀粉蝶、平田満、秋山菜津子らベテラン陣の芝居は、この物語を引き締め、より強度の高いものにしている印象だ。彼らが演じるキャラクターは、先に述べた“日常を変えようとする者”、“変えまいとする者”、“流れに身を任せようとする者”に、そのまま当てはまるように思えた。舞台上で同時多発的に展開される人々の会話は、数多ある考え方、物事の捉え方を、同等に並べる行為のようにも考えられる。物語的にも演劇的にも、それぞれの存在が互いに影響し合うことで生まれる有機的なものは、それが喜劇であれ悲劇であれ、人間の営みであることに変わりはない。

 本作で最も印象深いのは、田中が演じる直子が自宅にて掃除機をかけている途中、ふとキッチンの包丁を手にして母の部屋に向かい、扉の前で立ち止まる場面だ。そしてその場にくずおれ、堰を切ったように泣き出し、ふと立ち上がり、また掃除機をかけはじめる。誰もがみな、ギリギリのところで踏みとどまって生きている。劇中に見られる「日常」の綻びは、劇場という「非日常空間」から飛び出して、観客が各々の本当の日常に戻ってこそ、ひしひしと感じられるものがある。舞台上に息づくかれらの日常と私たちの日常は、まぎれもなく地続きなものだと、この肌は覚えているのだ。

(撮影=大和田茉椰)

■折田侑駿
映画ライター。1990年生まれ。オムニバス長編映画『スクラップスクラッパー』などに役者として出演。最も好きな監督は、増村保造。Twitter

■舞台情報
『美しく青く』
Bunkamuraシアターコクーンにて2019年7月11日(木)~7月28日(日)
作・演出:赤堀雅秋
出演:向井理、田中麗奈、大倉孝二、大東駿介、横山由依、駒木根隆介、森優作、福田転球、赤堀雅秋、銀粉蝶、秋山菜津子、平田満
主催:Bunkamura/テレビ東京
公式サイト:http://www.kyodo-osaka.co.jp

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