向井理の一言に話題騒然 『わたし、定時で帰ります。』は“当たり前”を再認識させるドラマに

 「あなたは何のために働いていますか?」

 火曜ドラマ『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)が、ついに最終回を迎えた。主人公・東山結衣(吉高由里子)が、冒頭の問いに対して出した答えは「わからない」だった。それは「給料のため」「家族のため」「将来のため」「自分のため」……人それぞれに答えがあっていいからだ。

 誰もが、「幸せ」を感じるために働いている。だからこそ、それぞれの「幸せ」をちゃんと感じられない状態になるまで追い詰めてしまうのは、本末転倒。よく食べて、よく飲んで、ぐっすり眠って、心身共に健康な状態でなければ、いい仕事はできない……というごくごく当たり前なことを、だが当たり前すぎてつい見失いがちな大事なことを、改めて考えさせてくれるドラマだった。


 そもそもなぜ、こんな当たり前なことがドラマになったのか。それは、作中で結衣が勤める会社ネットヒーローズの社長のボヤきにも通じる。ホワイト企業を目指して、残業時間の削減や、有給休暇の取得推奨などワークライフバランスを進める制度をいくら作っても、誰も活用しようともしていない……と。国をあげて働き方改革の実現を推奨しているにも関わらず、働く人の多くが「幸せ」を感じられない状況にいる。なぜなら必要なのは、ルールではないからだ。

 高度経済成長を経験した世代は、みんなで一つの神話を信じていた。それは「自分たちが頑張れば、日本が世界一豊かな国になる」というもの。その同じゴールに向かって、多くの男性はモーレツ企業戦士になり、その妻となった女性たちは家庭に入り子供を生み、育てていくというミッションを遂行した。それが「男の幸せ」「女の幸せ」「労働者の幸せ」「家族みんなの幸せ」と信じて。

 だが、時代は変わったのだ。日本全体で信じられる神話は、バブルと共に崩壊し、1人ひとりが自分なりの「幸せ」を信じるしかなくなった。それぞれの「幸せ」を思い描き、異なる個性を持つメンバーが会社に集まる。だが、会社は相変わらず「右向け右」という画一的なスタンス。それでは、うまくいかないのは当然だ。

 さらに、部長の福永(ユースケ・サンタマリア)のように、一斉に受注が止まったリーマンショックを経験した世代は「仕事があるだけマシ」と、どんな無理な条件でも仕事を取りに行く。三谷佳菜子(シシド・カフカ)のように就職氷河期を経験した世代は、「休めば居場所がなくなる」と怯える。少子化により親から受ける期待も大きくなったことから、いわゆる「いい子」であろうという思いから種田晃太郎(向井理)のようなワーカーホリックが生まれる……など、それぞれの世代で異なる「トラウマ」や「コンプレックス」もあるから、さらに状況は複雑になる。

 また、「結婚・出産すれば女性は専業主婦になる」という流れにも大きく変化。平成に入って男性雇用者と無業の妻からなる世帯と共働き世帯の割合が逆転した(参照:専業主婦世帯と共働き世帯の推移 - 厚生労働省)賤ヶ岳八重(内田有紀)のようにワーキングマザーが増え、高齢化社会が進むにつれて介護もより身近な話題になっている。

 これほど枝分かれした個人の状況を汲み取るマネジメントは不可能だ、そう多くの企業の経営者や人事部門が、頭を抱えているのではないだろうか。加えて、国からの働き方改革を推進する法律が突きつけられては、さらに混乱が生じるのも無理はない。

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