大沢たかおが与えた“大きな可能性” 『キングダム』は“本気度”の高さが感じられる実写化作品に

 しかし、もちろんそれだけでなく、何でもありの殺し合いである「戦」を描くという題材の性質上、「策」……つまり戦いに勝利するための優れた作戦や、だまし撃ちも重要になってくる。戦乱の世、剣の腕だけでは命がいくらあっても足りない。頭脳明晰な人物や人望のある人物、特殊な能力や情報を持つ者、そして単純に数の力などの総合力、それにくわえて地勢や気候条件などの要素によって勝敗が決定するのだ。そんな複雑なロジックが用意されているから、それを実写化した本作は納得しながら楽しめる作品になっているといえるだろう。

 そんな世界観が映画版でも活かされているおかげで、本作はその意味において原作に近い重みを持ったものになっている。これは原作の魅力についての理解が深いことを意味している。そこが分かっていなければ、表面的な設定だけをなぞった、つまらない出来になりがちなのだ。これは、本作の原作者である原泰久が、今回の実写映画版でも協力し、脚本に参加していることが大きいように思える。

 だが一方で、そのことが問題を発生させているようにも感じられる。漫画原作の実写化作品では、往々にして「再現度」に注目が集まる場合が多い。たしかに本作は、物語や演出などが原作通りの魅力を継承していて、出演者たちもコミック的なキャラクターを、リアリティを保ちながら熱演している。だが、本作があまりにも原作漫画の内容に沿い、その方向性で質を高めていくほど、原作に隷属している印象が強まっていくのだ。実写による「再現」に、ある種の快感があることはたしかだ。だが、それが徹底されていくにつれ、実写化する意義は薄れてしまうことになる。

 おそらく、本作はシリーズ化をねらっているのだと思われるが、原作漫画の連載はまだ続いており、その長大な内容を全て同じレベルの質で描くことができるかというと、現実的ではないだろう。原作からすれば本作の物語というのは、まだ序盤も序盤である。原作が、連載を長く描いていくことを意識して、そのペースに合わせた設定を考えているのに対し、映画版が設定や伏線をそのまま受け継いだのでは、それらが十分に活かせないことになってしまう。1作で終わるにしろ続編が制作されるにしろ、ここでは映画版ならではの大胆な翻案が必要だったように感じられる。少なくとも、一つの作品としては、主人公・信の願いであった「天下の大将軍」へのステップを感じさせるような、平原での合戦を描くことが必要ではなかったか。

 そして本作には、原作同様に、武力によって他国を支配することを「中華統一」として語るえい政を、基本的に肯定するという、テーマ的な危うさがある。暴力で権力を拡大することについて、本作はどう考えるのか。人の死が、よりリアルに表現される実写映画版では、そこに踏み込むこともできたかもしれない。

 そのなかで、本作に大きな可能性を与えていると感じるのは、信の目標となる、大将軍・王騎を演じた出演者の大沢たかおである。大沢といえば、オーバーアクトと言ってもいいほどの熱演が特徴だ。

 私が初めて彼の演技に注目したのは、スティーヴン・セガール主演の、日本のヤクザを題材にしたアクション映画『イントゥ・ザ・サン』(2005年)だった。日本刀を持って敵の中に切り込んで、痙攣しながら戦うその演技は、要求されるテンションをはるかに超えていて、鬼気迫るというよりは、それすらをも超えて滑稽に感じられるようなエキセントリックさを見せていた。

 『終の信託』(2012年)での検事役もそうだが、大沢が熱演したとき、あまりに異質な空気を作り出すことで、作品全体のリアリティのバランスさえ危うくなることがあるのである。その意味で、彼は映画作品にとって危険な出演者だ。

関連記事