ちっちゃな思いやりが“でっかな愛へ” 『バジュランギおじさんと、小さな迷子』が描く、越境の旅路

 さて、本作がもっとも魅力的である点は、この正直者のバジュランギが、シャヒーダーにとっての“私のヒーロー”から、やがて“みんなのヒーロー”になっていくことにある。二人の出会いの場面はミュージカルによって演出されているが、そのパフォーマンスの中心にいる彼こそ私(たち)のヒーローだと、彼の踊りに魅せられたシャヒーダーと私たちの気持ちはシンクロする。突飛な展開ではあるが、インドの大スターであるサルマン・カーンの歌と踊り、そしてやがて少女が笑顔を取り戻すことによって、彼のヒーロー性は確証を得るのである。

 二人の旅路に要される時間(上映尺)は159分だ。いくら楽しい作品だとはいえ、長いと感じざるをえない。しかし、あらゆるものの越境の果てに到達するフィナーレは、対立する両国の人々が“みんなのヒーロー”としてバジュランギを讃える場面である。ときにハラハラ、ときにホッコリするエピソードの数々や、祝祭的なシーンの連続は、凍てついた国と国との隔たりを溶かすための、必然的な熱量に還元(換言)できる。ロードムービーをベースに、ときにサスペンスフルに、ときにユーモラスに、いくつものエピソードが重ねられ、かつてサタジット・レイが描いたような、“いいことがあれば、悲しいこともある”そんな当たり前で慎ましい人間讃歌が気分爽快なボリウッド映画らしく高らかにうたわれているのだ。

 「大きな愛の物語」と本作をくくってしまうのには少々気恥ずかしさを伴うが、しかしこの「愛」こそが、一大ミッションを実現させるのは事実である。だが振り返ってみると、この大きな愛の発端は、小さな少女の小さな思いやりにある。彼女は母とのインドからの帰りの道中、停車した夜行列車の車窓から、一頭の子ヤギが穴から抜け出せないのを発見し、救出。とたんに列車は走り出し、置いてきぼりをくってしまったのだった。彼女にとっては大きな不幸であるが、これがあったからこそバジュランギと出会うことができたのは言うまでもない。このワンシーンを振り返ったときに、冒頭に記したフレーズが脳内で反響してしまうのである。

 たしかに夢見がちでのんきな理想ではある。しかし映画とはいえ、こうして「愛」の奇跡を目の当たりにしてしまった今、改めて広く共有したい、シンプルな理想ともいえるのではないだろうか。

 他者への無理解と不寛容が蔓延し、やがて平成の終焉を迎えるという今こそ、この大きな「愛」の物語が日本に届けられたことを讃え、広く多くの人々に届くことを切に願いたい。

■折田侑駿
映画ライター。1990年生まれ。オムニバス長編映画『スクラップスクラッパー』などに役者として出演。最も好きな監督は、増村保造。

■公開情報
『バジュランギおじさんと、小さな迷子』
全国上映中
監督:カビール・カーン
出演:サルマン・カーン、ハルシャーリー・マルホートラ、カリーナ・カプール、ナワーズッディーン・シッディーキー
配給:SPACEBOX
宣伝:シネブリッジ
原題:Bajrangi Bhaijaan
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公式HP:Bajrangi.jp

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