主人公の姿には私たちの“自画像”が映し出されている 荻野洋一の『世界で一番ゴッホを描いた男』評
映画は後半になると、アムステルダム、パリ、アルルとゴッホの死の道程を趙小勇たちが辿りだしていくことで、憂愁の色を帯び、また力も増してくる。趙小勇はアムステルダムの大口顧客を訪ねるが、それはゴッホ美術館前の公園で営業している土産物屋である。高級ギャラリーだと思っていたが、自分たちが不眠不休で作りあげたものは、観光客相手のTシャツやクリアファイルに毛の生えた土産物にすぎなかったのだ。彼の幻滅に追い打ちをかけるように、初めて見るファン・ゴッホその人の実作品の桁外れのすごさ。
ヨーロッパ旅行に出る直前、趙小勇は大芬油絵村の同業者たちに呼びかけて、アメリカ映画の名作『炎の人ゴッホ』(1956/ヴィンセント・ミネリ監督)の上映会を企画する。彼らのゴッホへのこだわりはすさまじい。カーク・ダグラス演じるゴッホが絵筆を走らせるシーンでは瞠目し、ゴッホ臨終の場面では沈痛な面持ちで口を押さえている。彼らの思いは純粋だ。パチモンの世界に生きているが、情熱は本物だ。
しかし、それでもフィンセント・ファン・ゴッホその人の生きざま、作品の放つ力は、彼らの純粋な情熱さえ吹き飛ばし、幻滅と焦燥、自己嫌悪へと追いつめるだろう。筆者はここで、傷心のヨーロッパ旅行から帰国し、大芬の陋巷に戻った彼らがどうなってしまうのか、それを語ろうとは思わない。それはじかに映画館で見届けていただきたく思う。これだけは言える。彼らの半生はニセモノへの愛だった。でもその愛そのものはニセモノではなかった。そして私たちは気づく。それが私たちこの映画の観客の生とも同じなのだということに。私たちの生がパチモンにすぎない、けがれのない純正オリジナルの栄光に浴しているなどと胸を張って主張しうるおめでたい人間など、この世にはほとんど存在しない。私たちはみな、ファン・ゴッホでもマネでもピカソでもない。シミュラークルの牢獄の中で、それでもニヒリズムから遠ざかろうと踏んばっているだけだ。つまり、趙小勇の滑稽さ、必死さは、私たちの自画像なのである。
趙小勇たちゴッホ巡礼者たち一同が、旅の最後にパリ郊外のオーヴェル=シュル=オワーズに到着するシーンがある。フィンセントとテオ、ファン・ゴッホ兄弟の墓がある町だ。映画の結論部にむかう、そのひとつ前のシーンである。中国式三顧の礼で墓参する趙小勇たちには、みずからの卑小さを思い知った傷心旅行の最後としては、気を取り直すよい機会にも見える。旅行者一同は思いきり大声で「ファン・ゴッホ!」と叫ぶ。その叫びはオーヴェル=シュル=オワーズの曇天が吸い取って、どこかへ行方不明になっていくかのようだ。カメラは引きの画となり、曇天の墓地を右から左へとパンしていく。そしてそのパンは、夜の深圳市内の引きの実景と直結する。深圳の実景は左から右へと緩慢にパンしている。すると、超高層ビルと高架メトロが走行する南中国の新興都市が、巨大な墓地に見えてくるのだ。人間の生の短さ、有限性が身に染みる。曇天のオーヴェル=シュル=オワーズの右から左へのパンと、夜の深圳市内実景の左から右へのパンを、あたかも鏡合わせのように縫い合わせたこのドキュメンタリー映画の作者は、信用できる作り手だと筆者は考える。余海波と余天琦(ユイ・ハイボー&キキ・ティンチー・ユイ)、この父娘はまさに現代のロバート&モニカ・フラハティだ!
■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。
■公開情報
『世界で一番ゴッホを描いた男』
新宿シネマカリテ、伏見ミリオン座ほかにて公開中
監督:ユイ・ハイボー、キキ・ティンチー・ユイ
提供:アルカディア・パートナー、A-pock
配給:アーク・フィルムズ/スターキャット
協力:朝日新聞社
原題:中國梵高/英題:China’s Van Goghs
2016年/中国、オランダ/16:9/84分
(c)Century Image Media (China)
公式サイト:http://chinas-van-goghs-movie.jp/