明らかに何かが変? 『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』の隠された魅力を徹底解説

マッカリー監督作の秘密は“二段熟成”

 偏執的ともいえるマッカリー監督の映画への取り組み方は健在だ。例えば、『アウトロー』という作品では、アルフレッド・ヒッチコックの『裏窓』(1954年)、 『大いなる西部』(1958年)、『夜の大捜査線』(1967年)など、クラシック映画のオマージュが随所に見られるように、彼は古い映画の魅力を自作の中にとり入れることで、「映画らしさ」を確立しようとする作家性を持っている。そもそもマッカリーの出世作となった『ユージュアル・サスペクツ』も、そのタイトル自体が『カサブランカ』(1942年)のなかに登場する名台詞から引用されたものだ。

 『ローグ・ネイション』でも、モロッコのカサブランカを舞台とし、ヒロインに「イルサ」と名付けるなど、やはり『カサブランカ』のオマージュを行い、オペラの暗殺シーンでは、ヒッチコックの『暗殺者の家』(1934年)の演出を引用し、さらに作品全体にはオペラの『トゥーランドット』のストーリーをからませている。ここに登場する謎めいた女性スパイ・イルサは、『カサブランカ』と『トゥーランドット』が重ねられた、重層的存在なのである。焼酎や醤油は、二段熟成させると味が深くなるというが、『ローグ・ネイション』にも、このように意図的に熟成された深い味わいが存在しているといえよう。

 本作『フォールアウト』が下敷きとしたのは、古代ギリシア、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』である。これは、劇中でわさわざ書籍を登場させてまで明示してくれている、分かりやすい引用元だ。『オデュッセイア』の主人公である英雄オデュッセウスは、2人の女性を愛する男であり、数々の苦難を経験し、旅を終えて妻のいる場所へと帰還するというのが大ざっぱな内容だ。例によってマッカリー監督は、そこに複数の映画作品のイメージを重ねていく。

奇妙な符合、偶然か必然か

「この映画の撮影はパリで行う予定。脚本はまだありません」

 ミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』で、女優のタマゴである主人公が、ある作品のオーディションに出たときに、審査担当者に説明されるセリフだ。

 脚本が不十分な状態で、パリで撮影を始める映画といえば、古い映画に詳しい観客ならば、それは名作映画『カサブランカ』の当初の製作状況に酷似した状況だということが理解できるはずだ。『ラ・ラ・ランド』では、そのシーンの前に『カサブランカ』についての言及があるので、意識してないわけはないだろう。つまり、オーディションの作品は『カサブランカ』同様に伝説的な人気作品となり、主人公がその試験に受かるならば、彼女のハリウッドでの成功は約束されるだろうことが、そこで暗示されているのだ。

 脚本が未完成の状態で撮影され、パリを舞台にしたハリウッド映画といえば、本作『フォールアウト』もそれに該当する。もちろんこの符合は、狙ったものというよりは、偶然にそうなってしまった可能性の方が大きい。しかし、前作に引き続いて本作まで『カサブランカ』と不気味に類似してしまっていることは事実だ。そして、その不気味さは『カサブランカ』のみに収まらない。

 本作では、第1作に登場した武器商人「マックス」の娘も登場する。マッカリーはこれらの仕掛けについて、「ただのイースター・エッグではない」と語っている。だからここでマックスの娘が語る「遺志を引き継ぐ」とは、ブライアン・デ・パルマ監督による第1作の何かを本作が引き継いでいることの意思表示なのではないだろうか。それは例えば、「サスペンス映画の神」と呼ばれるアルフレッド・ヒッチコックのオマージュを繰り返してきたブライアン・デ・パルマの作風のことだとしたらどうだろう。

 ヒッチコック監督の後期代表作に『めまい』(1958年)がある。刑事が屋根の上を飛び移りながら犯人を追跡していると、滑って落下しそうになる。彼は足に怪我を負い、高所恐怖症になってしまう。その後、刑事を辞めた男は、ブロンド・ヘアーの美しい女性と恋に落ちるが、その女性は不遇の死を遂げるという考えに取り憑かれており、夢で見たという村の教会にある、高い鐘楼から身を投げて死んでしまう。男は高所恐怖症のため、彼女を助けることができなかった。しかし、しばらく経つと、男の前に彼女に瓜二つの女性が現れる。外見上で異なるのは、ブロンドではなくブルネットだという点である。

 本作で、負傷するイーサンへ2人の女たちがそれぞれに感謝するという、少々冗長ともいえる不可解なシーンがあった。彼女たちは、やはりブロンドとブルネットである。グラン・パレの宙づりシーンや、ヘリとトラックが衝突寸前となるシーンは削除しても、ここはじっくりと描写する必要があったのだろう。

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