姫乃たまのウワサの濡れ場評019

姫乃たまが考える“女性器と向き合うこと”ーー『スティルライフオブメモリーズ』を観て

 この映画の命題は女性器に向き合う行為を通じて、“生き物としての人間”を紐解いていくところにあると考えます。“生き物としての人間”というのは、社会の枠からついはみ出してしまう人間の部分を指しています。まだ入籍していない妊娠中の彼女がいる男が、ほかの女性と性器を定期的に撮影する関係にあるのは社会的とは言えないでしょう。しかし、こうした社会性からはみ出してしまうところに“生き物としての人間”はあるのです。

 3人は世間から見れば不道徳とも捉えられかねないこの関係に、それぞれ歯がゆさを感じながらも、どうしてこんな形になってしまったのか、社会性や恋愛感情を越えて(外れて)その意味を見出そうとしていきます。

 怜の依頼はいつも「来週の月曜日、午後3時にお願いします」といった具合なので、まるでカウンセリングの予約みたいです。それに対して春馬は「彼女に何も尋ねない」「撮影したフィルムは彼女に渡す」ことを条件に、事態を飲み込めないまま撮影を始めます。これによってお互いにどういった作用があるのか不明なまま、しかし定期的に撮影は行われます。写すのはいつも女性器ばかり。

 3人は映画の中で、頻繁に螺旋階段を歩きます。螺旋は人生(時間)と同じです。同じところを巡っているようでいて、着実に自分が立っている場所は変化していきます。

 しかし夏生のお腹が膨らんでいくことや、赤子の誕生によって、はっきりと時間の経過を意識する機会はやってきます。そうすると代わり映えしないように思える怜の女性器も、やはり少しずつ変化していて、そしていつか違う様子になっていくことを思い出すのです。生まれたばかりの赤子の女性器と、寝たきりの母親の女性器が異なるように。

 しかし見た目が変わっても、そこが誰しも生まれる時に通ってきた道であることに変わりはありません。そこを通っている時の人間はまだ社会とは関係のない生き物のままで、そして私たちはそこがどんな風だったのかを覚えていません。そのことが彼らを、映画を見ている私たちを女性器に惹きつけます。

 最も印象的だったのは、怜と夏生が2人でボートに乗って湖で佇んでいるのを、春馬が困惑したように眺めていたシーンです。その姿からは、女性器と向き合うほどに「どうして女は遠くに離れてしまうのか」と困惑する矢崎仁司監督が見えるようでした。矢崎監督の女性に対する圧倒的に敬虔な気持ちが伝わってくる映画です。

■姫乃たま(ひめの たま)
地下アイドル/ライター。1993年2月12日、下北沢生まれ。16才よりフリーランスで地下アイドル活動を始め、ライブイベントへの出演を中心に、文筆業も営む。音楽ユニット「僕とジョルジュ」では、作詞と歌唱を手がけており、主な音楽作品に『First Order』『もしもし、今日はどうだった』、僕とジョルジュ名義で『僕とジョルジュ』『僕とジョルジュ2』、著書に『職業としての地下アイドル』(朝日新書)『潜行~地下アイドルの人に言えない生活』(サイゾー社)がある。

Twitter ● https://twitter.com/Himeeeno

■公開情報
『スティルライフオブメモリーズ』
全国公開中
監督:矢崎仁司
脚本:朝西真砂、伊藤彰彦
原作:四方田犬彦『映像要理』
出演:安藤政信、永夏子、松田リマ、伊藤清美、ヴィヴィアン佐藤、有馬美里、和田光沙、四方田犬彦
制作:プレジュール、フィルムバンデット
配給:「スティルライフオブメモリーズ」製作委員会
(c)Plasir/Film Bandit
公式サイト:http://stilllife-movie.com/

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