菊地成孔の映画関税撤廃 第6回

菊地成孔の『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』評:ミレニアム・ファルコンに乗り遅れた者共よ萌えているか?

「独立部」のコンテンツ(「自由へ」)

 現在、物語の質のみを評価基準にして進めてしまっている危険があるが、デビュー当時の西田ひかる氏とルックスが類似しているキーラの胸が、SW史上最もぐらいのサイズであること、その彼女が、恋する青春のセクシーさから、偉いさんに従う情婦感のセクシーさに動いてゆく、だの、ファースト・ライトのバーで歌われるオーロディア・ベンタフォリの、未来的なエロティックさを湛えた「チキン・イン・ザ・ポット(つべで聴けます。筆者が音楽家として保証するが、物凄く高級なセクシャリティを持った名曲)」の高い完成度、だのいったミクロから、冒頭、レディ・プロキシマのアジトから脱出して空港まで逃げる、そのシーンのスモーキーでマジカルな完成度、に比して、全編にわたって「見たことある絵」が続く、といったマクロまで、評価基準は枚挙に暇がない。

 なので、基準を再び脚本のみに戻すが、この物語は「フォースが出てこないSW」とも言える。本作をスピンオフの第二作とした時の第一作に当たる『ローグ・ワン』が、「フォースの表現をどう新しく見せるか?」に執心した結果、ニューロティックな印象を与えるのに対し、本作のストリート感、リアル感は傑出している。

 フォース表現がない穴を埋めるのは、「奴隷の解放」「自由へ」という、本作の「完全オリジナルコンテンツ」だ。

 鎖で繋がれ、首輪をつけられ、鞭打たれる。という、絵に描いたような「奴隷」であるドロイド達の解放(ここで、ジャンヌ・ダルクたるL3-37が殉死し、そのメモリーがミレニウム・ファルコンには搭載されている。という、高い確率で今回書き足されたであろうエピソードも成功している)はもとより、そもそも主人公の二人が実質上の「奴隷」なのである。

 主人公の解放、そのピークが冒頭に来る。空港までの見事なチェイスは、緊張感溢れながら、解放の喜びと伸びやかさにに満ちて、清々しい。そうした導入が、クライマックスの「奴隷解放」に繋がってゆくという構成の巧みさ。そもそも「血族という運命に翻弄される父と子(逃れられない者たち)」というシリーズの本懐に対して、「血族を持たぬ登場人物が、抑圧から解放される」つまり「逃れられ得る者たち」の物語であり、ヒロインであるキーラが、「逃れられ得る」者から、「逃れられぬ者」に転じたのか? という静かなサスペンスを残す。独立部も充分パセティックである。

 最大の問いはこういう事に成るだろう。不感症は治ったのか? 残念ながら、治ってはいない。筆者は試みに第1作を見直したが、「本作のお陰で、全く違って見えた」という効果は、少なくとも現在の所、生じていない。非常に珍しい、とまでは言えないが、連結の快楽という構造、そこへの拘泥なき巧みな親子脚本、独立部の完成度、等によって見せられた、「不感症が治ったかも?」という夢は牧歌的だったとはいえ、本作の評価には些かの傷にもならない。むしろ「夢を見せられる」喜びは、不感症を自覚した者たちへのボーナスであると考えるのが論理的だ。

(文=菊地成孔)

■公開情報
『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』
全国公開中
監督:ロン・ハワード
製作:キャスリーン・ケネディ
出演:オールデン・エアエンライク、ウディ・ハレルソン、エミリア・クラーク、ドナルド・グローヴァー、ヨーナス・スオタモ、ポール・ベタニー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2018 Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.
公式サイト:https://starwars.disney.co.jp/movie/hansolo.html

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