イメージが覆される驚きの多い作品に 『オンリー・ザ・ブレイブ』の“おそろしき美”

 もともとイメージしていたのと違う内容の映画というのがあるが、まさに『オンリー・ザ・ブレイブ』は、イメージが覆される、良い意味で驚きの多い作品だ。

 森林火災に挑む男たちの実話を映画化した本作は、アメリカの雄大な自然の姿が、近年まれに見るおそろしさで描かれる。アメリカの森林火災は、日本でもニュースによって伝えられ、被害情報や上空からとらえた火事の光景を写した映像を目にするが、その脅威に対し、具体的にどのような消防活動が行われるかについては、一般的に知れ渡っていないように思えるし、私も本作を観ることで学ぶことができた。

 本作でアメリカ各地の森林火災に挑むのは、「ホットショット」と呼ばれる、アメリカに100以上存在するという、20人規模による森林火災専門のエリート消防士チームだ。彼ら隊員たちは、大規模な森林火災が起こると現場へ駆けつける。燃え広がる炎のルートを予測して先回りし、シャベルで溝を掘って“防火帯”を作り、チェーンソーで周囲の木々を切り倒したり、あえて人為的に山火事を起こすことによって、迫りくる炎をコントロールしながら、人家への延焼を防ぐのだ。消防士のことを英語で「ファイヤーマン」と言うが、炎で炎を制するホットショットは文字通り「炎の男」と呼ぶにふさわしい存在だ。

 しかし、その作業はきわめて危険だ。命を危険にさらすリスクを背負いながら、彼らはなぜ炎に挑むのだろうか。本作『オンリー・ザ・ブレイブ』は、その答えをも提示する作品になっていた。ここでは、その答えとは一体何なのか、そこにどんな魅力が存在するのかを、複数の角度から深く考察していきたい。

 メイン通りに古い様式の建物が並び、西部開拓時代の雰囲気を残す町、アリゾナ州プレスコット。そこで連日厳しい訓練を行い、森林の状況に目を光らせているのが、ホットショットへの昇格を目指す地元の森林消防隊である。

 本作の冒頭では、地元で森林火災が起きたとき、駆けつけたホットショットたちに地元の隊員たちが対処法を進言しても相手にされないという描写があった。それは彼らが、トランプの「2」の札を意味する「デューサー」と呼ばれる階級で、森林火災の第一線に出られない立場だったからだ。そんな隊員たちに、ついにホットショットへの昇格の話がくる。本作は、町の森林消防隊がホットショットとして各地をまわるようになるまでの、ワイルドでマッチョな男くさい隊員たちの日常を描いていく。

 ジョシュ・ブローリン演じる隊長からして、身体にタトゥーを施しているように、この閉塞感ある町の中で、荒くれた男の隊員たちが作り上げる、体育会系組織から発せられる独特な雰囲気は、苦手な人は苦手だろう。私も絶対にこの中に放り込まれたくないと思う。しかし、本作はそんな男くさい価値観を賛美するような映画ではない。

 本作を観る前に多くの観客が抱いていただろうイメージは、「正義感に燃える熱い男たちをアツく描いた映画」であっただろう。だが実際には、「等身大の男たちがクールに描かれている」と言った方が、より近いのではないだろうか。

 それがよく分かるのは、隊員たちが自分の恋人のことで会話するシーンだ。サウスダコタ州に、過去のアメリカ大統領たちの顔が彫られた巨大な岩山「ラシュモア山」があるが、ある隊員によると、自分の恋人の女性は、それが風雨によって自然に出来たものだと勘違いしていたという。信じられないようなエピソードだが、それを面白おかしいネタとして吹聴したり、ゲラゲラ笑って聞いている隊員たちもまた、思慮やデリカシーがあるとはいえないだろう。もちろん彼らの善良な面も多々描かれているものの、アメリカで英雄として讃えられている彼らを無理に美化せずに、ある種突き放した客観的描写がなされているところが、本作の面白いところだ。本作は炎へと向かっていく男たちの勇気を賛美してはいるが、その存在全てを肯定しているわけではない。現実と同じように、このコミュニティのどこに共感するかについては、観客自身の感性にまかされているのだ。

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