“内”にではなく“外”に開かれた希望ーー『空気人形』に通ずる『万引き家族』の空虚や孤独の可能性
『空気人形』における、その空虚さ故に空気を吹き込まれ、生命を与えられた人形の姿と、『万引き家族』において誰かに捨てられ、そして拾われて家族を与えられた彼らの姿はどこか似ている。空虚や孤独は、時に他者へと続く可能性にもなり得るのだ。
そしてまた、『空気人形』と『万引き家族』のラストシーンは、それぞれに登場する2人の女性を通して共鳴し合う。『空気人形』は、部屋の中で過食を繰り返していた摂食障害の女性・美希(星野真里)が窓から外を眺め、棄てられた人形の姿を見ながら「綺麗」と呟き、一方、『万引き家族』では、凛がアパートから外を眺める描写で幕が閉じられる。凛の最後の一瞬の表情は、小さく息を吸い込んでいるようにも見える。凛の視線の先は描かれないが、だからこそその小さく吸い込んだ息を吐き出す先を想像することができる。未来に想いを馳せることができる。彼女たちの視線は、一様に「内」ではなく「外」に向けられる。それは彼の映画において、希望は「内」にではなく、「外」に開かれていることの表れである。
家族は永遠の共同体ではない。老人は天寿を全うし、子供は大人になり、家を出て行く。人生のある期間を一つ屋根の下、ともに身を寄せ合って暮らす。そこには血が繋がっている、いないに関係なく、確かに共有した時間がある。初枝(樹木希林)が、家族団欒の海辺でおそらく彼らに向かって「ありがとう」と投げかけたように、その刹那なる時間に感謝し、かけがえのない思い出として共有することができる。
かりそめの絆を持ち寄る家族が、縁側から音だけの花火を見上げる場面がある。どこかで美しく花開くその煌めきを、彼らがいる場所からは決して捉えることができない。豊かさの権化としての高層マンションが、貧困を体現する彼らの住む木造の戸建てに立ちはだかっている。その高層マンションに住む人々からも、やはり彼らの存在は目に入らないだろう。本作で描かれる「万引き家族」とは、音だけが無情に鳴り響きながら散っていく、実像のない花火そのもののことだったのかもしれない。
■児玉美月
大学院ではトランスジェンダー映画についての修士論文を執筆。
好きな監督はグザヴィエ・ドラン、ペドロ・アルモドバル、フランソワ・オゾンなど。Twitter
■公開情報
『万引き家族』
TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:リリー・フランキー、安藤サクラ、松岡茉優、池松壮亮、城桧吏、佐々木みゆ、緒形直人、森口瑤子、山田裕貴、片山萌美、柄本明、高良健吾、池脇千鶴、樹木希林
製作:フジテレビ、ギャガ、AOI Pro.
配給:ギャガ
(c)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.
公式サイト:http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku