大林宣彦監督の圧倒的な執念ーー『花筐/HANAGATAMI』の幻惑的で自由な映画世界
もともと檀一雄の小説『花筐』は、同名の能の演目を基に書かれたものであろう。かつて帝に寵愛された女が、狂女となって舞いを踊るという内容である。帝の行列に近づいた狂女は、警護の者に、持っていた「花筐(花を入れるかご)」を打ち落とされる。この花筐は、帝からもらい受けた品であったため、女は「君の御花筐を恐れもなさで打ち落とし給ふ人々こそ我よりもなほ物狂いよ(帝の花筐を打ち落とす人こそ、私よりなお狂っている)」と言う。
男子学生も女学生も大人たちも、佐賀県唐津の海辺で笑い合い、傷つけ合い、恋愛し、交接し、酒を飲み、失望を味わい、ピクニックへ出かけ、ダンスをし、相手を変えて接吻をする。戦時下における彼らの、当時の感覚からすると不謹慎でふしだらな生活というのは、本作で軍用馬として供出された馬が助けられ自由を得るように、暴力的な時代や社会の強制から放たれようとする、ささやかな反抗であるように感じられる。彼らが放蕩の果てに幸せになるのも不幸になるのも、彼らの自由な意志の結果であるはずだ。その過程も、結果をも味わうのが、「生きる」ということである。そういった自由意志を殺すのが、彼らを拘束する現実なのだ。その現実こそ、彼らより“なお狂っている”のではないか。
矢作穂香が演じる難病の少女は、理不尽にも、楽しい時期であるはずの学生時代、そして短い命が消えゆく期限までをベッドの上で血を吐きながら過ごさねばならなかった。だが、そんな少女の姿は、戦争という時代に翻弄されて人生を理不尽に狂わされ、命を落としたり自由に生きることができなかった多くの人々の姿そのものではないだろうか。ここでの強烈な戦争批判によって本作は、日本や世界が軍事化を進め、排外的な風が吹き荒れる“いま”、作られるべき作品としての存在価値をも獲得しているように思える。
最も圧巻なのは、本作が長い尺で描いてきたいろいろな出来事が、ユネスコの無形文化遺産としても登録された、唐津の祭り「唐津くんち」で曳山(山車)が町を練り歩く情景とともに、「走馬燈」のように浮かび上がり、消え去っていくスペクタクル・シーンだ。それは、病気の少女が一瞬の間に見る幻想的な夢であり、“生きる”ことへの憧れであり、人間の自由の象徴だと感じられる。そして、大林宣彦監督が最後と思って叩きつけた、映画へのパッションそのものである。
本作『花筐/HANAGATAMI』は、もともと自主映画からスタートし、スタジオなど伝統的な映画作りの外からやって来た大林宣彦監督の、実験的で型にはまらない自由な作家性の集大成でもあるだろう。大林監督が到達した、この圧倒的に幻惑的で自由な映画世界は、日本や世界で「新しい」とされている多くの映画より前に位置している。そして、本作の観客たちに前進を促す意志をも感じられる作品だ。監督のその姿勢に、映画への情熱に、最大限の敬意を表したい。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開情報
『花筐/HANAGATAMI』
有楽町スバル座ほかにて公開中
監督・大林宣彦
原作:檀一雄
脚本:大林宣彦、桂千穂
エグゼクティブプロデューサー:大林恭子
出演:窪塚俊介、満島真之介、長塚圭史、柄本時生、矢作穂香ほか
配給:新日本映画社
(c)唐津映画製作委員会/PSC 2017
公式サイト:http://hanagatami-movie.jp/