“素っ裸の少年魂”がここにある 『動くな、死ね、甦れ!』が照射するカネフスキー映画の真相

 例えば、町はずれで働く母を迎えに行った帰り、薄く霧の流れる夜を往くうちにワレルカだけがなぜかひとり脇道にそれ、じっと何かを見上げるその頬に、モノクロ映画がまざまざとほてった赤みを映しだす場面にしてもそうだろう。

 映画は少年の眼差しの先に炎に包まれた処刑台の日本兵を切り取る。五木の子守唄の調べが感傷を断ち切ってとつとつと、だからいっそう悲しく聞こえてくる。そうやって少年の目に耳に染みついた記憶の光景を、歌を、映画は無駄口叩かず手渡しにする。余計な起承転結が省かれて、思い出は見る者の胸をも染め、静かに深くそれぞれの記憶となって沈潜していく。

 収容所の日本兵が歌う「南国土佐を後にして」や「炭坑節」。収容所で狂った知識人。妊娠すれば釈放されると胸をはだけて男に迫るまだ10代の女囚。水たまりに映ったさかさまのロシアの赤い星。少年の魂に刻まれた光景は説教めいた主張をすりぬけつつ、スターリン圧政下の旧ソビエトという時代の記録ともなっている。

 その時代にいた少年と少女が追っ手をまいて走りに走り角を曲がって思わず笑みがこぼれる時、耳を澄ますとそこには共に笑う監督の声が確かに聞こえてくる。一緒に笑って揺れるキャメラもそこにいる。

 時代の記録は親密な個の“今”の記録ともなって迫ってくる。『ひとりで生きる』で15歳となったワレルカの綿入れはいっそつんつるてんの窮屈さで成長したナザーロフの体を包んでいる。

 『ぼくら、20世紀の子供たち』で解体したソ連のストリートで生きる子供たちに、元ストリート・キッドの監督は対等の距離をつきつけて対峙する。牢獄の中にいるナザーロフの今が見出され、覚えているかと監督が訊く。笑みがこぼれる。また一緒に撮りたいという。守護天使がここにも現われる。

 20世紀末のサンクトペテルスブルグの大通りにはあのラスコーリニコフの末裔みたいな青年たちがうろうろとして、しかしソーニャの末裔がいないわけでもないらしい。そうやって現実が物語の真実と融け合う場所にもう一度、カネフスキーの声が問う。「君たちのもっとも崇高な理想のために、実の父親を殺すことはできるのか?」

 理想が狂った教条とすりかえられた時代を生き延びたひとりがまっすぐに放った問に、がむしゃらに走るワレルカの記憶が重なって、作り手とその映画の、素っ裸の少年魂に応える覚悟を鍛えたいと心底、思う。

■川口敦子
映画評論家。著書に『映画の森 その魅惑の鬱蒼に分け入って』、訳書に『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』など。

■公開情報
『動くな、死ね、甦れ!』
ユーロスペースほか順次公開中
監督・脚本:ヴィターリー・カネフスキー
出演:パーヴェル・ナザーロフ、ディナーラ・ドルカーロワ、エレーナ・ポポワ
配給:ノーム
1989年/ソビエト/モノクロ/105分
(C)Lenfilm Studio

 

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