黒沢清は“侵略”を描き続けてきたーー『散歩する侵略者』遅すぎた3人の宇宙人の物語

 『散歩する侵略者』は3人の宇宙人の物語である。保護された蒸発サラリーマン(松田龍平)、女子高生(恒松祐里)、パラサイトチルドレン(高杉真宙)の3人──彼らが地球にやって来た目的は、ずばり「侵略」なのだという。彼らは先着部隊らしく、「ふるさとで待っている仲間たちのためにも頑張らなくちゃいけない」そうなのだが、たった3人で地球侵略とは、じつに人を喰った話としか言いようがない。もしかすると、そこいらじゅうに応援部隊が潜入しているのかもしれないが、とにかく表面上は3人しか登場しない。侵略者としてはどうも気勢が上がらないままだが、どうやら彼らは情報収集に熱中しているようだ。

 宇宙人たち(みずから「宇宙人」と名乗ってみせるその節度が微笑ましいが)は地球を侵略する前に、地球人のことを知りたがっている。3人は街の中を歩き回り、さまざまな事柄を渉猟していく。彼らは人間から興味深い《概念》を学び取る。いや、もっとはっきり言うと《概念》泥棒の常習犯である。松田龍平は、妻・長澤まさみの妹・前田敦子から「家族」とは何かを教えてもらう。「私とお姉ちゃんは同じ親から生まれて、お姉ちゃんと結婚した真治さん(松田龍平の役名)は、血は繋がってないけど私のお兄さんという立場になるの。これを義理の兄というわけ」「それが家族?」「そう」…などといったじつに素っ頓狂な、ふざけた会話が大まじめに交わされたあとに、松田龍平が「それ、もらうよ」と小さな声で宣言する。E.T.よろしく指先を相手の顔面あたりに持っていくと、相手はへたへたと腰を抜かしてへたり込んでしまう。どうやらこれだけでもう「家族」という《概念》の盗みは完了したようだ。

 妻の長澤まさみは、若年性アルツハイマー症という医師の説明を真に受け、夫の正体が宇宙人だなどと思っていない。いやそれ以前に、この夫婦の関係はとっくに壊れていて、妻は夫が蒸発前に犯した不倫をなじり、四六時中彼を叱り飛ばしている。長澤まさみは、ずっと怒ってばかりいる妻・鳴海役を演じるのは「精神的にきつかった」と述べている。宇宙人である夫のとぼけた言動と、それにひたすら苛立つ妻。これはコメディである。結婚喜劇でも離婚喜劇でも同じことだが、夫婦のこの行き違いが面白さを生み、と同時に、今まさに地球が侵略されようとしている、人類が滅ぼされそうになっているという大状況とのスケールの行き違いが、またさらに倍の面白さを生む。

 松田龍平、恒松祐里、高杉真宙の3人は侵略者である。スペイン人が15世紀から16世紀にかけてアメリカ大陸を「発見」し、侵略していくプロセスと同じように、彼らは単に殺すだけでは飽き足りないわけだ。相手のだいじな宝物を奪ってやりたい。つまり、「侵略」の前に/と共におこなう「略奪」という名のお楽しみである。「搾取」と言ってもよい。侵略者は侵略する。でもその前に、被侵略側から搾取してやまない。宇宙人は、アメリカ大陸におけるスペイン人たちと同じである。また、松田龍平、恒松祐里、高杉真宙の3人は、『舟を編む』(2013)の辞書編纂者にも似ている。『舟を編む』の主人公も松田龍平が演じていたのは単なる偶然だろうが、それにしても似すぎている。美しい妻とのしらじらしい関係性もよく似ている。辞書編纂者は《ことば》を採取する。そして宇宙人は《概念》を採取して、感心したり、珍しがったりしている。これは共に、征服者の搾取である。征服者は植民地の《ことば》を採取し、《概念》を略奪して回った。

「俺たちは《概念》を集めてるんだよ。理解そのものをいただくんだ」
「ずいぶんと面倒くさいことをするんだな」
「でね、これやってみると、面白い副産物があるんだ。俺たちが学習すると、相手はその《概念》を失うみたいなんだ、すっぽりと」
(映画より、宇宙人・高杉真宙とジャーナリスト・長谷川博己の会話)

 侵略者が相手から物を簒奪すると、相手はそれを喪失してしまう。怖ろしいことだけれども、ごく当然のことでもあるだろう。宇宙人は地球の環境にどっぷりと浸かり、すっかり有頂天となって、ひとかどの文化人類学者になったつもりで相手から《概念》を採取し、簒奪し、搾取している。彼らにはそもそも「侵略」という単純明快な目的があったはずだが、それにしても《概念》のほうが分厚いノートブックを形成してしまっているぐあいである。「侵略」する被害者から、いくらなんでもあまりにも多くの贈与を受け取り過ぎた感がある。この「貰い過ぎ」というじたいが、また次の段階の喜劇となってしまう。

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