Amazon映画論ランキング1位! 『菊地成孔の欧米休憩タイム』発売記念:伝説のコラム公開

『菊地成孔の欧米休憩タイム』(blueprint)

 菊地成孔の新刊『菊地成孔の欧米休憩タイム』が、株式会社blueprintより、本日8月10日(木)に発行された。

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 英語圏(欧米国)以外、特にアジア圏の映画を対象としたリアルサウンド映画部の連載レビュー「菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜」の中から記事を厳選し、新たに加筆・修正の上で収録した同書。同連載の番外編として掲載され、Yahoo!ニュースなどのネットメディアやSNSで大きな議論を巻き起こした『ラ・ラ・ランド』評のほか、有料ブログマガジンの連載批評「TSUTAYAをやっつけろ」や、長らく書籍化されなかった伝説の連載コラム「都市の同一性障害」などを収録している。

 リアルサウンド映画部では今回、発売を記念して本書に収録されたコラム「都市の同一性障害」より、第1回「新宿とパリ」を掲載する。同コラムは、2010年に刊行されたカルチャー誌『ROCKS』(講談社/SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS)にて連載されていたもので、“街のシミュラクラ”をテーマに、菊地が独自の考察を行っている。『ROCKS』が希少本となり、長らく書籍化が待望されていたところ、今回、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERSの協力により『菊地成孔の欧米休憩タイム』に再収録された。

あれ以来、新宿の伊勢丹周辺は新宿でありながらパリのまま

 新宿に住んで7年目に入った。それよりも前、自由が丘や高円寺や東松原といった町に住んでいた頃は、東京都下全域を、今日は渋谷だ明日は木場だ、帰りに下北沢だと、くまなく利用する様な、つまりは普通の東京在住人だった訳で、自分の属性から言っても、毎日あっちこっち、こまめに移動するのが向いていると信じていた。しかし新宿に来てからは、仕事の現場や、特別に遊びに行く場所を除けば、すっかり新宿と、あとは 銀座しか使わなくなってしまった。

 何故銀座かと言えば、音楽理論を教えているアテネ・フランセの映画美学校が京橋にあり、ベースにしている録音スタジオが銀座の歌舞伎座の裏だからだ。アテネもスタジオも仕事の現場だが、前者が映画の試写室、後者はレコーディングスタジオ、と、住んでる気分になる様な職場だし、そのまま銀座や日本橋、築地や向島といったエリアに行けるので、仕事の前後は大抵銀座でブラブラしている。
 
 住んでいるのは歌舞伎町だけれども、新宿全域をカヴァーしている。行政区分や正しい地図とは関係ない。北は大久保通りの外国人ゲトーまで、南は高島屋の奥、神宮入り口の北参道まで、西は都庁から十二社通りまで、東は外苑東サンミュージックまで。これが縄張りであって、この中で、したいことは何でも出来る。パークハイアットのプールで泳ぎ、バーでひとしきり飲んでから、二丁目でゲイくん達と遊ぶ事も出来る。落語を聞いてから星付きのレストランで五大シャトーのビンテージを飲む事も出来る。丸井のシネコンで映画を観てから、ゴールデン街に流れる事も出来る。御苑でまったりと居眠りして、帰りがけ歌舞伎町でトラブルにあって死にかけ、知り合いがDJしているクラブに逃げ込む、伊勢丹で服を買ってからピットインで演奏し、終わったら行きつけのトラットリアやビストロで朝まで飲み食いする。総て歩いて帰れる。すっかりラスヴェガスみたいになっているラブホテル街は、部屋のベランダから見える。ラブホテルの部屋でワインを飲もうとして、オープナーが無い。走って部屋に取りに戻る事が出来る。

 伊仏だけではない。世界中の料理、しかもかなり水準の高い物が、深夜まで食べられる。新宿というと、みんなアジア料理だけだろと思うだろうがぜんぜん違う。勿論アジア全域の料理が、ディープからエレガントまでくまなく食べられるが、アフリカやオーストラリア、中東や東欧や北欧の料理もあって、みんな旨い。困ったら区役所も税務署も職業安定所もある。腹を壊したら病院もマーケットも腐る程ある。キャバクラとホストクラブは世界で一番多くある。海と港が無いのが難点だが、 友達も沢山住んでいる。というか、住んでいる奴や、働きに来ている奴を友達にしたのだが。

 要するに「第二の故郷」という、自分が使うにはちょっと憚られるような言葉が世の中にはあるが、すっかりあれになってしまったのだ。なので、銀座も併せて、「ギンジュク系」と名乗ったが、まったく定着しなかった。銀座と新宿だけ。という都民が余りいないのだろうが、そもそもこういう言葉は定着などしない。随分と昔の話だが、椎名林檎という稀代の策士(褒めている。念のため)が、おそらく「渋谷系」という現象にアゲインストして「新宿系」を名乗り、あまつさえ「歌舞伎町の女王」という歌でブレイクスルーしたが、新宿の住民も、歌舞伎町の住民も、あれが良く出来たファンタジーで、PVの撮影を花園神社で行った以外、彼女が新宿とも歌舞伎町ともゴールデン街とも一切無関係であることは知っている。「アキシブ系」という、お子様ランチの様なものが出て来たと聞いたが、その後どうなったか知らない。唯一流行った「渋谷系」というのは、そもそも音楽のジャンルのことで、あれほど流行ったのに(流行ったから)今やほとんどの人々のノスタルジーの中で、嫌悪の対象に書き換えられている。いま、カフェかなんかで「オレやっぱり渋谷系だな。一生」と、照れた様な表情で心から嬉しそうに呟く30代の男を見たとしよう。いろいろあるだろうが、まずはとにかく驚くと思う。

 さて突然だがこの連載は、街のシミュラクラについてのものだ。今更説明も要らないだろうが、シミュラクラは、見ている物が、別の何かに見えてしまう事だ。聴覚にもある。スティングと和田アキ子の声、横山剣さんと山口グッさんの声のシミュラクラでひとつになってしまう。これは連載と関係ない。

 再び突然だが、第一回はパリ編である。早くも三度目の突然だが、むかし映画監督になりたかったので、今でも頭の中で映画を撮ることがある。最近よく撮る作品のタイトルは『セルブールの雨傘』というミュージカルだ。誤植ではない。「serveur」はレストランの給仕係のことである(男性形の名詞だが、つまりはウエイターやウエイトレスだと考えていい)。

 主人公は青山のフレンチでセルブールをしている32歳の「女子」。彼女は、自分の住む町をパリに見立てて暮らしている。フランスのファニチュアに囲まれて暮らし、フィガロを読み、日仏学院でフランス映画を観て、と、非常に良くあるライフスタイル。フランス語はまったく出来ないが、だからこそ、東京をパリ化するパワーにバイアスがかかる。この役を深津絵里がやる。主題歌「ここがパリじゃない理由なんかないわ」をはじめ、挿入歌「世界中!パリ以外はみんなパリ!」「ニコラ(サルコジのこと)はイタリア人」もほとんど作曲出来ている。

 映画の始まりは、主人公が部屋で『シェルブールの雨傘』のDVDを観ている、その再生ボタンを押す所からはじまる。『シェルブールの雨傘』の有名なオープニング画面。 そこに「自分が住んでいる場所を、違う場所だと信じて暮らしている、総ての人々に捧げる」という字幕が出て『シェルブールの雨傘』の主題歌に「ここがパリじゃない理由なんかないわ」がマッシュアップされる。彼女の生活は、渋谷をロスだと思っているヒップホップ青年との抗争、原宿をロンドンだと思っている恋人との行き違い、同じ店に勤務する、日本好きのアメリカ人スムリエとの議論に費やされている。妄想上の移民という、極めて現代的な病に冒された患者ばかりが登場する、感動的なミュージカルで、脳内ではほとんど撮り終わっている。最後は紆余曲折の末に結ばれたジブラと深津絵里が「ここは東京。あなたはあなた。わたしはわたし。だけど」という歌をデュエットする。

 そういえばそもそも最初にパリに行った時に、パリ高島屋とパリ三越にも行った。お上りさんが日本の店で安心する。というアレではない。デパートが死ぬほど好きなのである。出来ればデパートで死にたい。パリは世界で最初にデパートが出来た都市なので、言わばメッカであって、行ったら必ずパリ中のデパート(グラン・マガザンという)詣でをする。ボン・マルシェ、ギャルリー・ラファイエット、ラ・サマリテーヌ、プランタン、等の名店を巡ってから行ったパリ高島屋とパリ三越の中で「あれ? あれ? ここ新宿?」と、典型的なシミュラクラ性の混乱が起こったのが、高校生のときだ。

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