『やすらぎの郷』はシニア男性のドリーム全開!?  昭和的な女性観に物申す

 菊村、“マロ”、“大納言”は、ビーチで水着になった20代の女性スタッフを、双眼鏡でのぞき見る。

「ピチピチしたのがいるぞ」
「ばあさんのヌードとはだいぶ違う」
「あれが(ばあさんのように)なっちまうのかな」
「時ってのは残酷だね」

 というやり取りがあった上で“マロ”は叫ぶ。

「なぜだ。(若い)あの2人がああなっちまうのを(ばあさんになるのを)、マロは許さん!」

 これはいくらなんでも女性をバカにしていると思うのだが、いかがなものだろうか。しかし、「いやいや、まぁ、これも男性の本音でしょうね」と広い心で受け止めようと思った筆者に、さらに追い打ちがかかった。劇中、その日の深夜、“姫”と呼ばれる清純派女優・摂子(八千草薫)が菊村を訪ねてきて、「血圧が上がって具合が悪い」と嘘をつく菊村に、こう言うのである。

「夕子(自分の付き人)ね。あの子、意外とグラマーなのね、あれ見せられたらねぇ(血圧上がっちゃうわよね)」

 同年代の高齢男性が若い女性の水着姿を見て興奮することを、慈母のように理解し許容する女性。嗚呼、男のスケべ心はそうやって承認されることまで求めてしまうのだろうか。

 そのシークエンスで描かれたのは、老いた女性のヌードは見たくもないもので、「若い女性の体に絶対的な価値がある」ということ。それとは対照的に、女性にとっては「男性の体は老いても価値がある」と描いたようなところもあり、驚かされた。

 5月放送分、かつてプレイボーイでならした秀次(藤竜也)が入居してくる。摂子、涼子らのシニア女優たちは女子高生のように大騒ぎ。秀次がぎっくり腰になってしまうと、彼のコテージに押しかけ、「オムツを履かせるのは私よ!」と争うように世話を買って出る。これはなぜかと思ったら、後に「秀さんの(局部を)見たかったから」ということが判明。そんな70歳過ぎた女性たちが、同年代男性の局部なんて見たいものなんだろうか? どう考えても男にとって都合の良いドリームとしか思えない。

 そもそも、基本設定として妻に先立たれ実質独身となった脚本家が、かつての日本を代表する美人女優たちと共に暮らすことになり(しかも無償で!)、「先生、先生」と美女たちから頼りにされるという夢のようなお話。やすらぎの郷のスタッフを見ても、女性は「元大手航空会社のキャビンアテンダント」なのに、男性は「刑務所から出てきた前科者」というのも、首をひねってしまう。サービスされるなら(しかも無償)、女性は美しくて優しく気配りのできる人、男性は遠慮なく「おい」とあごで使える人、ということなのだろうか。

 そんなふうに随所に違和感を覚えるのだが、だからと言って、このドラマが企画・脚本・演技の面で画期的であることには変わりはない。ポイントとしては、そういった女性観の古臭さを感じることを言ったり行動したりするのが、ほとんどの場合、主人公の菊村ではないので、いやらしさが軽減されることも大きいだろう。元祖シティボーイである石坂浩二が、ご本人のキャラクター的にも役柄的にも、緩衝材になっている。

 筆者も、多くの視聴者も“政治的に正しいおとぎ話”を見たいわけではない。ただ、「これって高齢男性の幻想だよね」ということは申し上げておきたい。最近、ネット上で炎上した美術館で女性ハントをもくろむ“ちょい悪ジジ”問題とも通じるのかもしれない。そして、それが男性のニーズだとしたら、女性のニーズとして、いわゆる“乙女ゲー”(女性向け恋愛ゲーム)的な、男子校に男子と偽って入学したヒロインがモテモテというようなドラマが存在することと同じなのだと思う。ただ、そのことを指摘する言説が見受けられなかったので、この場を借りてひとこと言いたい。「面白いんだけど、女性としてはちょっとついていけないところがあります」。

■小田慶子
ライター/編集。「週刊ザテレビジョン」などの編集部を経てフリーランスに。雑誌で日本のドラマ、映画を中心にインタビュー記事などを担当。映画のオフィシャルライターを務めることも。女性の生き方やジェンダーに関する記事も執筆。

■放送情報
『やすらぎの郷』
テレビ朝日にて、毎週月〜金曜日 12:30〜12:50放送
出演:石坂浩二、浅丘ルリ子、有馬稲子、加賀まりこ、草刈民代、五月みどり、常盤貴子、名高達男、野際陽子、藤竜也、風吹ジュン、松岡茉優、ミッキー・カーチス、八千草薫、山本圭
作:倉本聰
公式サイト:http://www.tv-asahi.co.jp/yasuraginosato/

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