大人のための実写版『美女と野獣』レビュー “諸星大二郎”さえ感じさせる細部の面白さ

 大人であることとは何なのか? まず考えさせられた。この実写映画は、子どもも喜ぶだろうが、それ以上に大人向けである。大人と子どもの目線の違いとは何か? それは「複眼的」であることだ。

 主人公・ベルを演じるエマ・ワトソンが出演していた人気映画『ハリー・ポッター』シリーズと、スチールだけでいいから比べてみよう。『美女と野獣』には、圧倒的な背景の書き込み、構成要素の多さがあることに気づかされる。

 「ディズニーかあ〜」といいながら席について冒頭、王子(ダン・スティーブンス)が野獣化する魔法の発動が起こるプロローグに目を奪われた。中世フランスの豪華な夜会だ。ビジュアルの作り込みがとにかく凄い。「こんな化粧ありか」「このドレスはいったい?」と、ゴス好みの少女なら卒倒しそうな豪華さ。トンがったメイクと衣装の洪水である。

 

 マリリン・マンソン、(その先祖の)アリス・クーパー、ナイン・インチ・ネイルズ、レディー・ガガ、(その先祖の)ニナ・ハーゲン……およそ、ロックのゲテ物系、ビジュアル系、ゴス系といった分野のスター達の要素をチョイ取りしていったようなエグいメイク、ヘア・スタイル、スタイリングの横溢だ。もともと、ゴシック・ロリータは中世衣装などのデフォルメ・拡大解釈で作られてる現代ファッションだが、そういった現代の大げさなレトロファッションを、中世シーンに逆注入したわけだ。もちろん、中世にあんな洋服を着ていたわけがない。史実の映画化ではなく、オトギ話なんだからいいだろう?というわけだ。スタイリスト、ヘアメイク・アーティストのやり放題である。おとぎ話のそういう利用法もあるのである。

 冒頭10数分の野獣変身に至る夜会シーンは、大画面一杯に散りばめられた、現代アートシーンの成果、ビジュアルがてんこ盛り、それは子どもにはちょっともったいない。ガキの目線は、常にどこか1点。「わ〜お姫様だ〜、キレイ〜」「キャー、ケモノに変身した〜コワイ〜」と広い画面のどこかに集中する。

 大人は、画面のハジッコにエロい化粧のお姉さんが現れたらそちらに目が、それと同時に正面の主人公は「デッド・オア・アライブか? それともヴィサージュか?」等々分析しなくてはならない。大変だが楽しい。

 『美女と野獣』の冒頭イメージの横溢ぶりは『SING/シング』とも共通している。実写のCG処理が発達した結果、画面全体を使って見せ物にすることが流行になってきている。もちろん、そんな金をかけられるのは一部の映画。冒頭で「どのイメージがお気に入り?ハシからハシまで持ってけドロボー」と、笑点の最初の大喜利のように見せる。予算がないとできない。勝負は最初の10分、『SING』しかり『ラ・ラ・ランド』(車上のダンス)しかりである。

 

 そんな人工的ともいえるイントロダクションが終わると、画面は一気に18世紀頃のフランスの村に転換する。俗悪さが漂った夜会から、素朴さを味わう、空気が良く食べ物が美味しそうな田舎の風景へ。ここにおいても大人は徹底的に楽しまされる。

 ここで苦言をいうと、現代の日本の歴史物ドラマの画面はツッコミどころ満載だ。調度品のピカピカ具合から始まって、ヘアメイクのギラギラ過ぎまで。江戸時代とかにそんな風景があるわけがない。キラめき過ぎ。それで醒める。

 今のハリウッドは違う。『美女と野獣』みたいにお金のかかった映画だと“汚れ”を演出している。もちろんCGだ。日本で対抗できる作品はアニメの『この世界の片隅に』ぐらいだろうか。それも「キチっと大変だった第二次世界大戦中の様子を描こう」という意志があるからだ。

 

 『美女と野獣』の村のシーンは、まるで時代をワープして観光旅行しているような気持ちになる。とはいえあくまで観光旅行風だが。なぜなら、本物の18世紀のフランスはメチャクチャきったないから。ウンチとか平気で転がる臭気漂う世界だったらしいから。もしそれを実写したら大変なことになる。

 ほどよく素朴な村の雰囲気や18世紀の調度品の数々に目を奪われながら、大人の男なら首ねっこを捕まれるのが、前述したように、ハリー・ポッターで有名、今や世界有数のスターともなっているエマ・ワトソンだ。この英国女性が演じる少女は、フランス人という設定がなされている。だからフレンチ音楽を歌う僕にとってはツボであった。この映画でのエマは、ずばりセルジュ・ゲンスブールの愛する「ロリータ」系である。ソフィー・マルソー、シャルロット・ゲンスブール、英国だけどトレーシー・ハイド(『小さな恋のメロディ』)。いたいけさが残る清潔感と、ちょい知的な雰囲気の少女。彼女の表情は、村の青年ガストン(ルーク・エヴァンス)のエゲつない求愛でますます生きる。そして野獣との切ない愛で絶好調になっていく。

 「多次元的」な画面を支えるのは「脇役にも手を抜かない」という方針。野獣の城の給仕頭、呪いで 「燭台」 に変えられてしまったルミエールには『トレイン・スポッティング』で有名なユアン・マクレガー。時計、ポットと息子のカップ、モップ、などの物系の配役(大半は声のみ)で有名俳優を起用しているのがこの映画の底力を演出している。

 

 その中で、1991年のアニメ版でも人気が高かったキャラクターのポット婦人(エマ・トンプソン)と息子のカップのチップ(ネイサン・マック)に注目だ。ポット、カップに描かれている顔のアニメ絵が面白い。アニメ版のポット、カップは、ダンボにも通じるような愛くるしい、子ども受けする象さん的キャラであった。ここでは、何とも言えないファジーな表情をしている。

 特にチップだ。映画を見てない人は「美女と野獣 実写 チップ」と画像検索してほしい。「こんにちわ」と日本語キャプションした写真が出てくるだろう。この顔は欧米アニメではトンとお目にかからない絵柄である。ウ〜ン何かに似ているんだが……。

「諸星大二郎」だ! この目のウツロな表情は、日本を代表する怪奇漫画家、諸星大二郎の書く、現実を幻想的な視線で見つめる少年や女性の顔にソックリなのだ。「諸星大二郎 アダムの肋骨」で検索してみて下さい。絵柄のパターンが極まっている欧米アニメに新風を吹き込めるのは、膨大なパターンのキャラクターを持つ日本漫画の世界である。本作の作り手たちも、もしかしたら参考にしていたのかもしれない。

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