『シン・ゴジラ』脚本から見えた“もう一つの物語” 『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』徹底考察

中期プロットは実写版エヴァだった?

 しかし、何より驚いたのは隅田川付近にいたゴジラが霞が関へと移動する手段だ。プロットから引用すると「ゆっくりと身体が変形していく。脱皮して始祖鳥の様な姿となり、飛翔する巨大生物」と書かれている。それを目にした者は「まるで脊椎動物の進化を見ているみたいだ」と口にする。これは庵野の「隅田川沿岸からジャンプして一足飛びに霞が関に着地すれば途中の街を壊さなくていいし、ビジュアルインパクトもあるし、いいんじゃないか」ということで出されたアイデアだが、企画開発チームの大半から反対され諦めたという。しかし、これは『ゴジラ対ヘドラ』(71年)で物議を醸したゴジラの飛行シーンを再構築して成立させようとする果敢な試みにも思える。

 映画で石原さとみが演じた米国大統領特使にあたるヒロインは、この段階では女性官僚である。主人公の説明では「外務省でボスとぶつかって地方に出向中の東大後輩で優秀な女性官僚だ。男だったら最年少で次長になっているやつだよ」と語られる存在である。首都機能を失い、政府首脳の安否が不明の中で主人公は総理代理に就任するが、小松左京の『首都消失』を思わせる味付けが台詞からもうかがえる。「大阪に遷都構想か。知事と関西連合がからむと面倒だな」「皇室が戻られた京都、名古屋あたりも遷都狙いの動きをしている」など、『首都消失』で暫定首都を名古屋に置くまでの各県知事の動きを彷彿とさせる。この時期は皇室の動きも盛り込む予定だったようだが、製作サイドから「近隣諸国の国際情勢については劇中での明言を避けてほしいという要望と、皇室に関しては一切触れてはならない」という厳命があったと庵野は語り、こうした設定は以降の稿には登場しない。

 ヒロインの女性官僚は『新世紀エヴァンゲリオン』の葛城ミサトを思わせるキャラクターだが、和解することがないまま父の死を知った主人公が喪失感に襲われ、義母からの罵倒に精神が崩壊して碇シンジみたいになってしまった時に、「親に嫌われたからって、一国の総理がメソメソしてんじゃないわよ」と彼女が引きずっていくくだりなど、このまま映画になっていれば実写エヴァと言われただろう。

 クライマックスの構成は完成版に近いが、ゴジラへの核攻撃のため、多弾頭長距離核ミサイルが米国、中国、ロシアから発射され、迎撃不能のまま首都に迫る中、ゴジラの頭部が2つ、4つ、最終的に8つへと分裂し、全方位に熱線を吐いて全ミサイルを撃墜するという設定には驚かされる。八岐之大蛇を思わせるゴジラだが、飛翔といい頭部分裂といい既存のゴジラのイメージを覆そうという意欲があふれている。背中が割れて熱線が放出されるという設定も既にここで登場する。

映画『シン・ゴジラ』より

 このプロットは翌2014年にかけてもアップデートが重ねられ、庵野の単独執筆による『G作品プロット案修及び同2』(2014年7月7日・9日版)になると、完成版に登場する設定が多く見られるようになる一方で、クライマックスの最終決戦地が新宿高層ビル街になっているのが興味深い。84年版『ゴジラ』と同じ場所を選んだのは、同作でゴジラが新宿副都心の高層ビルに囲まれて為す術もなく立ちすくんでいたことへの庵野の修正リメイク的願望の実現とも言えるのではないだろうか。ここでは高層ビルを次々爆破して倒壊させてゴジラの動きを封じ込めるという、完成版では東京駅に舞台を移して描かれた設定が新宿副都心で展開する。

 ところで、このプロットではラストシーンでゴジラ担当及び復興相を拝命した主人公が就任祝いのカップ麺を基地の屋上で女性官僚と食べるというシーンが書かれているが、これは『太陽を盗んだ男』(79年)で菅原文太と池上季実子が屋上に座り込んで食事するシーンの引用だろう。完成版のラストシーンが同作に登場した科学技術館だったことを思えば、初期プロットから『太陽を盗んだ男』が意識されていたことがうかがえる。
 

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