阿部寛、東野圭吾のユーモアをどう表現した? 『疾風ロンド』が描く、大人の“上滑り”

 阿部寛は、初登場のシーンでワックスがかけられた廊下で滑って転ぶ。その後も、スキーで転び、ケガをする。彼は所長の命令に問題があることを理解しながらも、自分の中の疑問を押し殺しながら、事態をのりきろうとする。そのために、気合いを入れて、必死に行動する。だが、その行動のことごとくが“上滑った”ものになってしまう。そして、この、“上滑った”必死さこそが、この映画で笑いの対象となるものなのだ。

 本作に登場する大人たちは、サスペンス映画の主人公のごとく、やっかい事を華麗に処理したいと思っている。だが、事態に向き合わず、誤魔化し、逃げ切ろうとする姿勢では上手くいくわけがない。だから、妙な力みが出てしまい、彼らはコメディ映画の登場人物になってしまうのだ。阿部寛の過剰さを強調した演技も、この“上滑り”感を表現するものとしてうまく機能していると言えるだろう。

 

 そんな大人たちの姿に対して、この映画の若者たちの姿はとても軽快だ。間違ったことをしてしまった時にも、素直にあやまる力を持っている。彼らは“上滑り”だけはしない。だから、彼らはスキーやスノーボードを華麗にあやつることができる。大人たちの“滑れなさ”の合間に登場する若者たちの姿は、この映画に当初、期待していた軽快さにあふれている。彼らの滑走を撮影するために使われた小型の4Kアクションカメラという新しいテクノロジーもうまく活かされており、その疾走感を体感させてくれる。大人たちの“滑れなさ”が強調されるがゆえに、その対比から、若者たちの滑走の爽快感は強く印象に残る。“これこそ、見たかったものだ!”と。

 間違った力の入れ方で“滑れなかった”主人公も、若者たちの素直な爽快さに触れることによって、自分の“上滑り”に気付き、もう一度正しく“滑ろう”とする。自分の弱さを子どもにちゃんと伝え、これから先の困難を理解しながらも自分が正しいと思う行動を選び取る勇気を取り戻すのだ。それは“滑れない”自分をごまかすことから解放することでもある。

■片上平二郎
立教大学文学部文学科文芸・思想専修 助教。

■公開情報
『疾風ロンド』
全国公開中
出演:阿部寛、大倉忠義、大島優子、ムロツヨシ、堀内敬子、戸次重幸、濱田龍臣、志尊淳、野間口徹、麻生祐未、生瀬勝久、柄本明
監督:吉田照幸
脚本:ハセベバクシンオー、吉田照幸
原作:「疾風ロンド」東野圭吾(実業之日本社)
配給:東映
(c)2016「疾風ロンド」製作委員会
公式サイト:http://www.shippu-rondo-movie.jp/

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