大根仁は伊丹十三の正統継承者か? モルモット吉田の『SCOOP!』評
『SCOOP!』に漂う伊丹映画の気配
オリジナルとリメイクの関係は、終盤でいっそう際立つことになる。野火はカメラを手にある決定的瞬間を撮る。これはオリジナルもリメイクも同じ展開をたどるが、撮る瞬間の扱いに違いがある。オリジナルでは加害者は自分を撮れと静に求め、それが拒絶されると「じゃあ、俺が撮ってやる」と手にした銃口を静に向けて発砲する。それまでの過程をやや離れた場所から撮影していた野火は、その銃撃の瞬間を連写して写す。ファインダーから目を外し、本能的、職業意識的に撮ったという感じだ。
リメイクも流れは同じだが、拳銃を持った加害者が視界の隅にカメラを構えた野火に気づき「あれなんだよ?」と息巻き始める。野火に銃口が向けられたので静は身を挺して加害者の腕を掴み、そして発砲される。この時、「野火、撮れ」という静の声が野火に聞こえた気がするという描き方になっている。
念のため『シナリオノベルズ THE MOVIE SCOOP!』(KADOKAWA)で確認すると、
《 野火、指先をシャッターに置いたまま固まっている。
その時、野火の脳裏に静の声が響く。
静の声「野火……撮れ!!」
反射的にシャッターを押す野火。》
となっており、淡白ながらインパクトのあるオリジナルと、野火と静の関係性を加味して何のために撃たれたかの意味を明確にしたリメイクは、ともに甲乙つけがたいクライマックスになっている。
しかし、リメイク版の野火がこの瞬間にシャッターを押せるとは、2回観ても思えなかった。ピンボケの写メに静が激怒して、記者がカメラマンの気持ちが分からなくてどうすると説教する前半から、何度となく記者とカメラマンとしての意思疎通の様子は描かれるが、野火が本格的にカメラを手にするのは、このシーンの直前の連続殺人事件犯人の盗撮時である。それも静に言われて撮らされた、あるいは興奮のまま撮ってしまったという感じで受動的なのだ。
この後、静がキャパの『崩れ落ちる兵士』の写真でカメラマンを目指すようになったと野火に語り、その直後、まさに同様のポーズで撃たれる。こう書いていくと、野火が撮るだけの必然も揃っているのだが、実際に映画を観ると、クライマックスの直前に矢継ぎ早にそれらが提示され、熟成しないうちに終わりを迎えてしまうのでもう少し前の段階で描かれていれば、また変わったのではないかと思えた。静が実際にあの瞬間に「撮れ」と叫んで撮ったなら納得できたのだが。あの静の声の扱いが曖昧に思える。
ちなみに、オリジナルで野火を演じた斉藤慶子について宇崎竜童は当時、「まだ研究不足なんだ。カメラの持ち方だって、本当ならあんなのじゃないもの。カメラ使う者の経験なり心境なりを、いったん自分が通ってこそ、はじめて演技できるってとこがあるでしょう。撮影が始まってから、それをしてたんじゃ遅いんだ。」(『〈竜童組〉創世記』黒川創 著/亜紀書房)と辛辣に評していたが、今回のカメラを構える二階堂ふみの眼光の鋭さは素晴らしい。
『SCOOP!』には『チ・ン・ピ・ラ』(84年)や『コミック雑誌なんかいらない!』などの80年代日本映画の匂いと共に伊丹映画の気配も漂う。実際、アバンタイトルを除けば本篇は「スクープの女」と言っても通りそうだ。伊丹が好んでテーマにした異業種の物語であり、『マルサの女』(87年)でマルサ(国税局査察部)に入った新人の宮本信子が挨拶に訪れると、そのまま現場へ行くよう求められる展開は、本作冒頭と酷似する。『マルサの女2』(88年)で宮本と新人マルサの益岡徹がコンビを組むバディフィルムぶりにも通じるものがある。内偵の過程で宮本と津川雅彦がカップルを装ったり、あの手この手の秘密兵器を用いながら東京でロケーションを駆使して描いた点、エロへの固執も含め、『SCOOP!』は『マルサの女』を最も正統に継承した作品ではないか。殊に静と野火のコンビが次々とスキャンダルを激写していくシーンの高揚感は、マルサの活躍をモンタージュしたシーンと双璧である。
また、〈日本の公道でのカーチェイス〉に挑んだ点も伊丹映画との関連で語ることができるだろう。『アイアムアヒーロー』(16年)の様に韓国で迫力あるカーアクションが撮れる時代に、国内でカーチェイスを撮る意味があるのかという見方もあるだろうが、『スーパーの女』(96年)、『マルタイの女』(97年)と末期の伊丹映画はカーチェイスにこだわり続けた。本作のカーチェイスは国会前の走行、小道具の扱いも含めてかなり充実したものになっており、伊丹が求めていた迫力と笑いが混在したカーチェイスの理想形はこういうものだったのではないかと思える。
ところで大根は、伊丹と縁深い周防正行が監督した『それでもボクはやってない』(07年)について「伊丹さんの功績に対する歴史的評価を行ったと同時に、伊丹超えも果たした。」(『21世紀のポップ中毒者』)と卓見を吐いている。実際、伊丹の自死以降の周防作品は、『終の信託』(12年)に『大病人』(93年)を、『舞妓はレディ』(14年)に『あげまん』(90年)を連想させたように、伊丹が意図を伝えきれなかった後期作品を自分なりに捉え直したかのような作品が続き、伊丹映画の影が常に見え隠れする。
その意味では、本作もまた大根による伊丹映画の〈歴史的評価〉と継承を行ったのではないか。興行力も含めて往年の伊丹映画に匹敵する存在となった今、『SCOOP!』の出来栄えからして、「モテキ2」的と言われる次回作『奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール』(大根版『マルサの女2』か?)と合わせて、伊丹とは似て非なる形で異文化体験を描き続けてきた大根の「伊丹超え」が実証されるはずである。
■モルモット吉田
1978年生まれ。映画評論家。「シナリオ」「キネマ旬報」「映画秘宝」などに寄稿。
■公開情報
『SCOOP!』
全国公開中
監督・脚本:大根仁
出演:福山雅治、二階堂ふみ、吉田羊、滝藤賢一、リリー・フランキー
(c)2016「SCOOP!」製作委員会
公式サイト:scoop-movie.jp