映画とは命がけの娯楽であるーー女優・大塚シノブが役者目線で『下衆の愛』を観る

 

 またこれは日本の話ではないが、私がいた頃の中国はフリーで活動する役者が多く、有名な演劇大学の校門前には、よく高級外車が止まっていた。志望人数が多く、芸能界の競争も激しい中国では、皆、自分を芸能界のトップに押し上げてくれるパトロン探しに必死だったようだ。一度、一緒に住んでいた女優志望の中国人の友人に、無理やりカラオケに連れて行かれたことがある。ドラマ監督が出演者を探していて、監督を囲んで、志望者が何人かそこに集まるからとのことだった。気乗りはしなかったのだが行ってみると、カラオケのVIPルームに男女問わず20人ほどの俳優志望者たちが、監督と呼ばれる人物に群がり、ひと目で媚びていると分かるほどに、酒を注いだり、密着したり、世話を焼いていた。もちろん友人である彼女も擦り寄っていった。私はゾッとして、その様子を一番端の席に座り、遠巻きに冷めた目で見つめていた。
 
 果たして彼らは役を手にすることができたのだろうか。そこから起用されたという話は残念ながら、その後聞いていない。聞くところによると、そういう席では大抵仕事は決まらないという。ただ、媚びとは別で、人間関係を構築した結果、人として認められ、役をゲットするということは、大いにあり得る話だとも思うが。やはり実力もなく、それだけに頼ろうとするのは危険だ。これは役者の観点からの話だが、それで自分は幸せになれるのか、問題はそこである。

 

 ただ、それほどまでに捉えたものを惹きつけて離さない、それが映画の魅力でもある。その一方で、人生を滅ぼしてしまうかもしれないほど、強い破壊力を持つのも映画である。私も映画に身を滅ぼされた人を何人か見て来たが、莫大な金額が動くのだから、映画とは命がけの娯楽である。ただここまで欲望むき出しの下衆なこの作品は、渋川清彦氏も言っているが、私もファンタジーだと思う。これを現実として受け止めるというより、ファンタジーとして楽しみたい。そしてそれは「ここまでしても愛してるんだぜ」という、内田監督の映画に対する究極のリスペクトなのではないかと、私は思っている。

 映画とは、魔物のごとく、夢のような現実だ。

■大塚 シノブ
5年間中国在住の経験を持ち、中国の名門大学「中央戯劇学院」では舞台監督・演技も学ぶ。以来、中国・香港・シンガポール・日本各国で女優・モデルとして活動。日本人初として、中国ファッション誌表紙、香港化粧品キャラクター、シンガポールドラマ主演で抜擢。現在は芸能の他、アジア関連の活動なども行い、枠にとらわれない活動を目指す。
ブログ:https://otsukashinobu5.wordpress.com/

■公開情報
『下衆の愛』
2016年4月2日(土)よりテアトル新宿レイトショーほか全国順次公開
(C)third window films
配給:エレファントハウス 
製作会社:サードウィンドウフィルムズ
宣伝:フリーストーン 
2015年/日本/110分/カラー 
公式サイト:www.gesunoai.com

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