『ライチ☆光クラブ』が描く中二病的ロマン 野村周平ら演じる少年たちは“美少女とロボット”に何を夢見る? 

 演出家の飴屋法水や個性派俳優として知られる嶋田久作らによる劇団「東京グランギニョル」が1985年に上演した伝説の舞台『ライチ☆光クラブ』。これに衝撃を受けた漫画家・古屋兎丸が、20年の時を経て発表した同名コミックは人気作となった。そしてこの度、『先生を流産させる会』(2012)の新鋭・内藤瑛亮監督によって、耽美で退廃的なダーク・ファンタジー映画として生まれ変わり、2月13日より公開される。陽の差し込まない閉塞した廃工場の秘密基地で大人のいない世界を作ろうとする少年たちの愛憎と、彼らが作り上げたロボット“ライチ”と美少女の純愛が、過激で残酷に、そして美しく描かれる。「光クラブ」の創設者タミヤを野村周平、独裁的に君臨する帝王ゼラを古川雄輝、謎めいた美少年ジャイボを間宮祥太朗、囚われのヒロイン・カノンを中条あやみが演じる。

 実写化不可能とも言われてきた本作だが、内藤監督は次世代を担うイケメン俳優たちに妖艶な演技を求め、臆することなく残虐な暴力を表現することで、原作ファンも満足させる作品に仕上げると同時に、思春期の暗い衝動と鬱屈に迫ってみせた。本稿では、なぜそのような演出が採用されているのか、またいかにしてフィクション性の高い独創的な世界観を構築しているのか、その理由を探っていきたい。

(c)2016『ライチ☆光クラブ』製作委員会

「我々は薄汚い大人たちを否定する。永遠の美を手に入れ、この町に君臨するのだ」──秘密結社「光クラブ」とは、大人を「疲弊しきった醜い」ものと見なし、その存在自体を罪だと否定した美しき少年たち9人が集まって廃墟に創り出した、若さとイノセンスのユートピアである。ここではものの善悪よりも美醜が問われ、美こそがすべてなのだ。『ライチ☆光クラブ』では、支配者ゼラを中心としたホモソーシャルな空間で多感な中学生男子たちが性に関心を覚え、嫉妬に燃える愛憎のドラマが展開される。天才的にチェスを得意とするゼラは、ほかメンバー8人──タミヤ、ジャイボ、カネダ(藤原季節)、ダフ(柾木玲弥)、ニコ(池田純矢)、雷蔵(松田凌)、デンタク(戸塚純貴)、ヤコブ(岡山天音)──を駒に見立てて掌握し、大人を排除した世界を夢見て巨大ロボット作りに励んでいたが、拉致してきた美少女カノンの存在によってクラブに亀裂が走っていく様が描かれる。

 舞台となる蛍光町はいつもどんよりとした灰色の空に覆われている。町全体に工場からの黒い排気ガスが溢れ、秘密基地のある廃工場内部は薄暗く色味に欠いている。このような『ライチ☆光クラブ』の景色は、見事に原作漫画の世界観を再現しているとともに、大人世界を嫌悪し屈折した思春期を送る少年たちの心象風景を創り出してもいるだろう。それぞれドイツ語の称号を与えられたメンバーたちが、ドイツ語で指令を飛ばし合い、厳格な敬礼でゼラに忠誠を尽くしていることからは、ゼラがナチスへの憧れを抱いていることが見て取れる。秘密基地(秘密結社)、仲間内だけでのあだ名や合言葉、ナチスへの傾倒、肥大した自己愛と全能感、大人を全否定する誇大妄想に破壊願望、そして歪んだ美少女(処女)への崇拝と軽蔑……そう、14歳を目前に控えたゼラは、いわゆる中二病を煮詰めたような人物なのである。そう考えれば『ライチ☆光クラブ』は、ピュアだからこそ危険な思想に傾いてしまう子どもたちの寓話だと捉えることもできるのではないだろうか。

(c)2016『ライチ☆光クラブ』製作委員会

 内藤監督は、デス・ゲーム小説を大胆にアレンジした傑作『パズル』(2014)にて、犯人グループのリーダーでニキビを神経質に気にする湯浅(野村周平)に自身の思春期を投影させていたが、本作でもゼラを決して理解のできない存在としてではなく、共感をも込めて描いているように見える。原作漫画以上に、ゼラがカノンに拒絶されることを極度に恐れ、彼の脆さや幼稚性が強調されているのはそのためだろう。考えてみれば、『ライチ☆光クラブ』は内藤瑛亮が監督する以外には考えられなかった。短編処女作『牛乳王子』(2008)では中学生男子が教室で自慰行為に及んでいるところを同級生の好きな女の子に目撃され笑い者にされてしまい、長編デビュー作『先生を流産させる会』では女子中学生が女教師が妊娠していること自体を「気持ち悪い」ものと嫌悪する──このような少年の女の子への憧れと恐れ、あるいは思春期の大人への屈折した感情や感覚は、最新作『ライチ☆光クラブ』でも色濃く引き継がれている。みんな死ねばいいのに──くすぶっていて暗く鬱屈した学校生活を送る繊細な少年少女の他者/世界への悪意こそ、内藤監督が関心を寄せ続けているものなのだ。

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