『ワイルド・スタイル』&『Nas/タイム・イズ・イルマティック』対談

KGDRが解説する、ヒップホップ名作映画とその影響 Kダブ「『ワイルド・スタイル』には歴史的価値がある」

KGDR。左からZeebra、DJ OASIS、Kダブシャイン

 1982年に公開され、その後のヒップホップカルチャーに多大な影響を及ぼした映画『ワイルド・スタイル』が、30年余りの時を経て、7月3日にDVD作品『ワイルド・スタイル HDニューマスター 30周年記念スペシャル・エディション』として発売された。また、90年代以降の音楽シーンに大きな足跡を残してきたラッパー・Nasのドキュメンタリー映画『Nas/タイム・イズ・イルマティック』(2014年公開)のDVD作品も、6月2日に発売された。ヒップホップの歴史を語るうえで重要な両作の発売を記念し、7月5日にHMV record shop 渋谷にて、日本のヒップホップシーンを牽引してきたKGDRがトークイベントを開催。その終了後、KGDRのメンバーにインタビューを行い、改めて両作の見どころやその影響について語ってもらった。

Kダブ「バトルの要素があるのは、ずっと変わらないヒップホップの根幹」

ーーまずは『ワイルド・スタイル』について、それぞれどのようにしてこの映画と出会ったかを教えてください。

Kダブシャイン(以下、Kダブ):俺の場合は観たタイミングがけっこう遅くて、VHSテープ版がアメリカで発売された91~92年頃。レトロな雰囲気も感じられる映像だったので、はじめは一世代前のヒップホップ映画だと思ってそれほど関心を抱かなかったのですが、何回も観ているうちにその映像の歴史的な価値を実感していきました。ちなみに劇中の音がNASの「The Genesis」という曲でサンプリングされてますね。

ーー「一世代前のヒップホップ」と感じたのは、具体的にどんなところでしょうか。

Kダブ:服装やサウンドの傾向が、当時の自分たちが求めていたヒップホップとは異なっていたところです。ヒップホップの原点ともいうべき映画なので、そこから次第にモードが変化していったということでしょう。この映画ではパーティーラップが主流で、ファンタスティック・フォーやコールド・クラッシュが、「みんなで楽しい時間を過ごそうぜ」と盛り上げる曲が多かった。ただ、映画の中で人が出演しない、ストリートの映像だけを見せるような画面では、グランドマスター・キャズのシリアスなラップが流れたりしていて、そこは印象深かったですね。一方でバトルの要素があるのは、ずっと変わらないヒップホップの根幹だということを感じました。バスケットボールをしながらラップバトルをするシーンがあって、「俺たちはスポーツマンシップに乗っ取った上で、自分たちの優位性を誇示しながら相手と戦っているんだぞ」、というイメージでした。ちなみにバスケのシーンは18回も撮り直ししたそうです。

Zeebra:自分は当時、VHDで観ました。VHDというのはレーザーディスクと同じビデオディスクの一種で、LDとは規格が違い長方形のケースにディスクが収納されていたものです。当時はブレイクダンスに関心があったので、その延長でこの映画に辿り着いたという感じ。ハービー・ハンコックが1984年にグラミー賞を受賞して、そのときのライブパフォーマンスの中に出てきたブレイクダンスに魅せられたのが興味のきっかけで、それが放送された翌日は学校でも話題になったし、つるつるですべりのよい学校の廊下で、セーター姿でクルクルと回ったりしていました。その後に『ワイルド・スタイル』を観たので、映画館で上映されてから1年遅れくらいですね。

Kダブ:『フラッシュダンス』(1983年公開)もほぼ同じ時期に上映されたので、ブレイクダンスというものが日本で認知され出したのはこの頃。

Zeebra:ちなみに「笑っていいとも!」に『ワイルド・スタイル』のダンサーが出演し、中国語もどきのラップを披露するタモリさんと共演している動画があって、YouTubeで観ることができます。ブレイクダンスはとても特異な動きをしますよね。ロボットみたいになったり、くるくる回ってみたり、アクロバティックな動きで、見る人を魅了して、それで日本でも注目されたんだと思います。

Kダブ:はじめはロボット的な動きというか、パントマイムのような動きのダンスが流行したけれど、それらもブレイクダンスのカテゴリのひとつだと、当時のフェイズツーが語っていました。ブレイクダンスというと、どうしてもアグレッシブな動きをするものだと一般には思われがちですが、この映画の中でも、手袋をした二人組みがポーズだけ決めている場面があります。

Zeebra:自分も以前、アメリカのロック・ステディ・アニヴァーサリーでロック・ステディ・ジャパンのMCとしてライブをしたことがありますが、そこで出演していたダンサーはパワームーブよりむしろフットワークに美的感覚を求めているような印象でした。どちらかというと、パワームーブはロサンゼルスを中心としたウエストモードなんですよね。

Kダブ:なるほど。ところでやっぱり、日本のヒップホップのアーティストたちがラップやDJを始めたのは、この映画がきっかけだったのかな。

Zeebra:そうだと思いますよ。みんな、あの頃にはじめたはず。

Kダブ:DJ KRUSHさんは『ワイルド・スタイル』を見て、スクラッチをはじめたみたいだね。実は81年に『ワイルド・スタイル』が制作されて、はじめて上映されたのは日本だったんです。葛井さんという方が82年秋に開催予定の映画祭で公開しようと企画して、出演者も大勢日本に呼び寄せて30日ほど日本に滞在してもらったんですけど、彼らは東京の日本人DJたちがすぐにスクラッチするのを見て驚いたそうです。「こいつら早い!」って。

――DJ OASISさんはどのようにして本作と出会いましたか。

DJ OASIS:自分は家にあったVHSテープで『ワイルド・スタイル』をはじめて観たんですけど、そのときにまず感じたのは「この人たちは命がけですごいなあ」ということ。パーティの中にもやはりバトルっぽい場面があり、その中に身をおくということは、常に自分が一番だというプライドを持つべきものなんだという印象を受けました。ヒップホップを志す人、特にラッパーにとっては、そのことはかなり重要だと思います。

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