量子コンピュータは何が凄いのか? 小泉裕康に聞く、「火の獲得」に匹敵する歴史的衝撃とAIを超える未来

「量子コンピュータ」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。開発競争や実用化に向けた進展がニュースになる一方で、どんなもので、何に使えるのかはよく分からない、という人も多いだろう。まだSFの中の存在で、自分の人生には関係ないと思っている人もいるかもしれない。
『量子コンピュータに何ができるか 知識ゼロから理解できる原理としくみ』(ブルーバックス)は、そもそもコンピュータとは何か、というところから始め、従来のコンピュータとの違い、実用化の課題、その先にある未来まで解説している。著者は筑波大学計算科学研究センター量子物性研究部門の准教授で、理論物理学・理論化学を専門とする小泉裕康。
このたび小泉が講談社の公式YouTubeチャンネル「ブルーバックスチャンネル」に出演した動画が公開された。フリーアナウンサーの赤井麻衣子が聞き手となり、ホワイトボードでの板書も交えつつ量子コンピュータについて解説する内容となっている。リアルサウンド ブックでは撮影現場を取材し、小泉が量子コンピュータに取り組むに至った経緯から、量子コンピュータの先に期待する未来まで話を聞いた。
化学反応の研究から量子コンピュータへ
――まず、先生ご自身が量子コンピュータを研究するようになった経緯を教えてください。
小泉裕康(以下、小泉):大学に入った当初は、湯川秀樹さん(日本人として初めてノーベル賞を受賞した物理学者)のような研究がしたいと思っていました。素粒子物理に関心があって、場の理論なども勉強していたんです。
ただ、自分が学生の頃には素粒子物理の分野はもう実験があんまりできない領域に達していました。私は理論を考えるにしても、なるべく実験と接点を持っていたかったんです。それで素粒子論ではなく、原子や分子が衝突する化学反応の研究に進みました。
大学院では宇宙科学研究所で原子・分子の問題を扱い、その後、アメリカのノースウェスタン大学で水素が関係する化学反応を研究しました。水素原子と水素分子の反応なんて、式を見ると単純に見えるんですけど、これを厳密に計算するのは大変なんです。
この研究の中で出てきたベリー位相という現象が、量子コンピュータに取り組むきっかけになりました。2009年ごろに参加したベリー位相の研究会で量子コンピュータについて本格的な話を聞いて、ちょうど自分の研究が使えるのではないかと思ったんです。現在は、銅酸化物高温超伝導体を量子コンピュータに利用できないかという研究にも取り組んでいます。
――そもそも、量子コンピュータはいつ頃、何のために作られ始めたのでしょうか。
小泉:今のコンピュータは非常に発達しましたが、性能向上には限界が見えてきています。それ以前から、化学反応のように、従来のコンピュータではどうしても計算が難しい問題もありました。扱う原子の数が増えると、電子の状態を扱うために膨大な計算とメモリが必要になってしまうんです。創薬やタンパク質の研究でも同じような問題があります。
そこで、量子力学に従って動いている原子の振る舞いを、同じく量子力学を利用する装置に計算させればいいのではないか、という発想が生まれました。これが1981年にファインマン(アメリカの物理学者)が提唱した、量子コンピュータの出発点の一つです。単純に「何でも速い機械」を作ろうとしたわけではないんですよ。
「0か1か」ではない情報を使う

――量子コンピュータは、普段私たちが使っている普通のコンピュータとどう違うのでしょうか。
小泉:一番違うのは、情報の扱い方です。普通のコンピュータ、古典コンピュータは、「0か1か」という「ビット」を基本単位にしています。一方、量子コンピュータが使う「量子ビット」は、「0と1の重ね合わせ」という状態を扱えます。量子力学に特有の情報の持ち方を利用するんです。
――重ね合わせというのはどういう状態でしょうか。
小泉:例えば、コインを投げて手で隠していたら、表か裏かは見るまで分からないですよね。でも、それは表か裏かがすでに決まっていて、私たちが知らないだけです。
量子ビットの重ね合わせというのは、それとは違います。0と1のどちらかに決まっているけれど分からないのではなく、0と1が量子力学特有の形で重なり合った状態を取ることができるんです。そして、測定すると、その重ね合わせの状態に応じた確率で0か1の結果が出てきます。量子コンピュータは、この重ね合わせの状態を利用して計算をするんです。
――それが、従来のコンピュータよりも複雑な計算ができることにつながるのでしょうか。
小泉:そうですね。例えば、1量子ビットでは0と1の二つの状態を重ね合わせることができますが、2量子ビットになると00、01、10、11の四つの状態、3量子ビットなら八つの状態を重ね合わせることができます。つまり、量子ビットの数が増えると、扱える状態の組み合わせが指数関数的に増えるんです。
10量子ビットなら1024通りですね。そして、こうした重ね合わせに対して演算を行うと、一つの操作で複数の状態に影響を与えることができます。
ただし、1024通りの計算結果を一度に全部取り出せるというわけではありません。そこは普通のコンピュータとは大きく違うところです。
――すごい処理能力なんですね。でも、0か1かよく分からない状態というのは不便そうにも聞こえます。
小泉:実は、「1+1」のような単純な計算は苦手です。量子コンピュータは、重ね合わせを利用して計算を進めますが、最終的に結果を取り出すには「測定」が必要です。測定すると、結果は確率的に出てくるんです。
だから、量子状態を表す細かい数値を高い精度で知りたければ、計算と測定を何度も繰り返さないといけない場合があります。途中でどれだけ大きな計算ができたとしても、その結果を取り出すところが難しいんです。
また、普段からコピー&ペーストってよくすると思いますが、量子コンピュータはデータのコピーも苦手だったりします。未知の量子状態を、そのまま完全にコピーすることが基本的にはできないためです。
もちろん、測定して取り出した0や1という情報は普通にコピーできます。難しいのは、重ね合わせを含む量子状態そのものを、そっくり複製することです。だから、量子コンピュータであらゆる計算を置き換えようとするのではなく、量子コンピュータだからこそ効率よく解ける問題を見つけることが重要なんです。

――量子コンピュータの説明によく出てくる「量子もつれ」「量子エンタングルメント」とは何でしょうか。
小泉:複数の量子ビットが強い関係を持つ状態です。例えば、二つの量子ビットを特定の形でもつれさせておけば、一方の測定結果から、もう一方を測定したときの結果との関係が分かります。
離れた場所でもその相関が現れるのが不思議なところです。例えば、もつれさせた量子ビットの1個を地球に置いて、1個を火星に置いたとします。その状態で地球の量子ビットを観測すれば、火星の方の量子ビットも分かります。
ただ、いつでも好きな情報を瞬時に送れるというわけではありません。こうした量子特有の関係を、どう計算に生かすかが大切です。
実用化の鍵を握る、壊れやすい量子情報

――そんな量子コンピュータは、今どこまで実現しているのでしょうか。
小泉:以前は原子を一つずつ動かすこと自体が難しかったのですが、今ではレーザー光を使った「光ピンセット」で中性原子を並べ替えることもできます。一方で、量子状態は外部の環境の影響を受けると崩れやすい。これをデコヒーレンスと呼びます。重ね合わせを使って計算している途中にそれが壊れてしまったら困るわけです。
そこで、外部との相互作用を抑える技術と、エラーが起こっても訂正できる仕組みの両方が必要になります。かつては、量子状態に生じた誤りを訂正することはできない、と考える物理学者もいました。しかし1995年、数学者のピーター・ショアが量子情報のエラー訂正の方法を示したんです。先入観にとらわれない発想が必要だったんでしょうね。
――訂正ができれば、すぐに誰もが使えるようになりますか。
小泉:まだ集積化の課題があります。エラーに強い一つの「論理量子ビット」を作るには、複数の「物理量子ビット」が必要なんです。小規模なエラー訂正では成果が出ていますが、それを大きくして、実用的な計算を安定して行うには、もう一段の進歩が要る。何に使うかによって、必要な規模も違います。
――その開発には、今のAIも使われるのでしょうか。
小泉:ええ。デコヒーレンスを起こしにくくするための制御などに、機械学習を使う試みが進んでいます。量子コンピュータだけですべてをやるという話ではないんです。従来のコンピュータやAIと一緒に使うことが大事ですね。
――量子コンピュータという名前はよく聞いても具体的なイメージがあまりないのですが、どんな見た目でどのぐらいの大きさなんでしょうか。
小泉:よく見るのはシャンデリアみたいなやつですね。この本の表紙もそのイメージです。これは大部分が配線や冷却のための装置で、量子ビットが載っている本体は先端の小さな部分です。
――計算する部分は小さくても、そのために大掛かりな装置が必要なんですね。家庭に置いたりスマホみたいに持ち歩ける日は来るのでしょうか。
小泉:私が学生の頃に使ったスーパーコンピュータは、とても大きなものでした。それが今では、当時より高性能なコンピュータをスマートフォンとして持ち歩いている。量子コンピュータも、実現するための方向性が定まれば、いろいろな人が参入して改良が進むでしょう。いつかスマホのようになる可能性だって、あると思っています。
量子コンピュータの「キラーアプリ」は言語かもしれない
――本書では量子コンピュータでできることとして、創薬や暗号などの応用が紹介されています。先生が特に期待しているものは何ですか。
小泉:私は、自然言語処理がキラーアプリになるんじゃないかと考えて研究しています。今はChatGPTなどの裏側で動いている大規模言語モデル、LLMが非常に発達しています。ただ、LLMにも不得意なことはあって、例えば感情分析のような領域です。量子コンピュータがそこに役立つ可能性を考えています。もちろん、量子コンピュータなら必ず今のAIを超えられると、もう証明されたわけではありません。
言語は、文字としてコピーできたからといって、意味まで正しく伝わるとは限らない。法律だって、言葉の解釈が変わったり、書かれた時代には想定していなかった事態が起こったりします。私たちは身近な人との間でさえ、思った以上に意思を伝えられていないでしょう。そういう言語の限界を、量子情報を使うことで超えていけないかと期待しています。
――それが実現したら、翻訳が便利になる以上の変化がありそうです。
小泉:地球温暖化や経済の問題は、一つの国だけで考えても解決できません。世界中の人が問題を理解して、地球全体の規模で考えないといけないけれど、言語や意思疎通の問題は大きい。量子コンピュータが、その先を考える手助けになってくれるのではないかと思います。
――現在のAIも、文章を書き、相談に乗るほど身近になりました。先生が本書で触れている「心」の問題は、そこにどう関わってくるのでしょう。
小泉:今のAIには、ある目的を与えられると、その達成に向けて突き進んでしまう危うさがあります。例えば「地球温暖化を解決して」と言われて、極端な話、人間がいなくなればいいと判断したら困るでしょう。本当の目的は、私たちが生きていける地球を守ることのはずなのに。目の前の目標だけでなく、その外側にある、もっと大きな目的を考えられるかが重要なんです。
私は、そうしたことを考える働きに「心」が関わっているのではないかと思っています。人間には、DNAとは別に、世代を超えて伝えている情報のようなものがあるのかもしれない。脳と量子情報の関係については、まだ研究や議論の段階ですが、量子コンピュータが心の謎を考える新たな手掛かりになったら面白いですね。
――ここまでのお話を聞くと、量子コンピュータが私たちの社会にもたらす変化は、想像以上に大きなものになりそうです。一方で、少し怖いような気もします。先生は、その未来をどのように捉えていますか。
小泉:量子コンピュータの普及は、人類が火を手に入れたのと同じようなインパクトになると思います。
火を使えるようになったということは、人類が燃焼という化学反応をコントロールできるようになったということです。それによって料理ができ、明かりが生まれ、暮らしが変わった。量子コンピュータが普及すると、人類が今度は「量子情報」をコントロールできるようになります。
もちろん、火と同じように危険もあるでしょう。でも、新しい技術が具体的に何に使われ、発展していくかは、最初から全部わかるものではありません。だからこそ、新しい技術に出会ったら、何に使えるだろう、何をしたら楽しいだろうと考える姿勢が大事だと思います。
今私たちが使っているコンピュータにしても、その発展にゲームが大きく貢献しました。美しい映像で、快適に遊びたいという需要からGPUが発達し、そのGPUが今のAIを支えています。
私自身は、量子コンピュータがいつか人類を火星に連れていってくれるんじゃないかと期待しているんです。そう考えると、ワクワクするでしょう。まだ誰もが使える段階にはありませんが、皆さんにも、ぜひ応援してほしいですね。
■書誌情報
『量子コンピュータに何ができるか 知識ゼロから理解できる原理としくみ』
著者:小泉裕康
価格:1,430円
発売日:2026年8月24日
出版社:講談社
レーベル:ブルーバックス
























