人はなぜ音楽で感動するのか? 脳神経科学者・大黒達也が明かす「予測のズレ」と心のメカニズム

『言葉にならない感動を科学する 人ははぜ音楽に揺さぶられるのか』(中公新書ラクレ)は、誰もが経験したことがあるであろう“音楽による感動”を科学的な知見をもとに解き明かそうとする書籍だ。著者は脳神経科学者の大黒達也(東京大学大学院 情報理工学系研究科・准教授)。幼少期からピアノを弾き、作曲家を志していた時期を経て、脳神経科学者として「音楽とは何か」を研究している大黒。本書では、音楽が人にもたらす作用、受け取り側の人間に起きていることをこれまでの研究を下敷きにしながら、よりわかりやすく記している。その根底にあるのは、人間らしさとは何か? という根源的なテーマだ。
「データ」の先にある「感動」を解き明かす挑戦

——『言葉にならない感動を科学する』、大変興味深く読ませていただきました。音楽を聴いたときの身体的な反応を解説した第二章「内臓から起こる感動」、“感情は動きとして立ち上がる”ことを示した第三章「行動から起こる感動」、言語化やメタファーなどによって感動が編まれていく過程を綴った第四章「概念から起こる感動」と、音楽に感動するとはどういうことが立体的に認識できる書籍ですが、まずは執筆の動機を教えていただけますか?
大黒達也(以下、大黒):私は脳神経科学者として音楽を研究しているのですが、これまでは心拍や脳波などの客観的データをもとに、音楽がどう認知されているかに関する統計的な「エビデンス」を積み上げていく手法が主だったんです。ただ、それだけではなかなか本筋に辿りつけないと感じる部分があって。そこを突き詰めていきたいと思ったときに、大切になってきたのが“感動”というテーマでした。まずは専門的な海外の学術誌に論文で発表したのですが、アカデミアでも「感動とは何か?」に関心があることがわかり、それをよりわかりやすく書いてみようと思ったのが、この本の最初のきっかけですね。
——大黒さんご自身がピアノを弾き、作曲していたということも関係していますか?
大黒:もちろんそうです。こんなことを言うと面映ゆいですが、人生のなかで音楽に救われたと感じることもありましたし、聴き手としてだけではなく、演奏者、作曲する側の経験も含めて、音楽を研究することが私のテーマになっているので。
——本書でまず印象的だったのは“脳の予測誤差”でした。脳が音楽を聴く際に無意識に行っている次の音の“予測”と、それが良い意味で裏切られる“ずれ”によって、ドキドキするような身体的感覚や感動につながるという。
大黒:これだけで完全に解き明かすことはできないと思いますが、もっともシンプルでわかりやすい説明の方法の一つが、予測や確率なんですよね。音楽に関して言えば、展開を予測しやす過ぎない、予測しづら過ぎないちょうどいい値のときに、身体的な反応が起こりやすい。学習可能性とも言えるかもしれません。小学生にとって大学の数学は難しすぎますが、高校生であれば「がんばれば理解できる」とやる気になるかもしれない。音楽もそういうところがあって、小さい子供は童謡のような音楽に興味を持つし、現代音楽のファンはあまりにシンプルな構造の音楽は退屈してしまう。その人にとってのちょうどいい予測誤差が存在しているということですね。
ネガティブ・ケイパビリティと音楽を受け取る主体性

——人によって感動のパターンが異なる、と。時代による変化もありそうですね。
大黒:感動の表現は学習の集積の結果でもありますからね。時代ごとに学習される音楽モデルのようなものが人間の脳にはあって、それをもとに感動が生まれるので。たとえばピアノフォルテ(チェンバロから派生した、現代のピアノの原型となる楽器)はいわば科学的な技術によって作られた楽器で、初めてその音を聴いた人たちはおそらく感動しづらかったかもしれません。シンセサイザーの音もそうですよね。でも、我々は新しい音にも慣れるにつれて、それを使った音楽にも感動できるようになる。
——そうやって感動のパターンを更新していくわけですね。現在では感動がコンテンツとして消費される傾向もあって。考察ブームなどもあり、身体的に受け取る感動がないがしろにされている印象もあります。
大黒:それが必ずしも悪いわけではないと思うんですよ。言語は科学的な発明でもあって、それがあったから人間の文化はここまで発展したので。ただ、我々はぼんやりとした状態に長く耐えられないんですよね、ネガティブ・ケイパビリティ(すぐに答えの出ない、どうにも対処のしようのない事態や不確実な状態に耐える能力)と言われますが、よくわからない不確実な情報を受け取ると人は不安定になるし、それを引き受け続けるのはやはり辛い。それを言葉や記号で押さえつけることができれば、安心できるんですよね。心臓がどきどきしたときに「今、自分は”不安”なんだ」と言語化できれば少し安心できるのと同じで、音楽を「これは〇〇だから感動できる」とタグ付けすれば情報処理が一気に軽減される。予測誤差を是正するということですが、それは人間の基本的なモチベーションだと思います。
——言葉にすることで安心できる。確かにそうですね。
大黒:ただ、それだけでは作り手側から提示した予測モデルを学習しているに過ぎなくて。その人自身が実際にどう感じて、どんな予測モデルを作るのかという主体性がなくなってしまうと思うんです。学校の勉強にたとえると、教師が作ったモデルを効率よく得ているだけで、本当にワクワクしながら自主的に学んでいるわけではない。もっと自分の身体の声を聞いて、自分なりに学習して、何が好きで何が好きではないのか、何が良くて何が良くないのかという自分なりのモデルを生み出すことが大事ななんだと思います。
ボトムアップの人間とトップダウンのAI:感動の真逆の構造
——感動とは主体的な行為でもある。それはこの本のポイントの一つだと思います。
大黒:感動は“感じる”、“動く”と書きますからね。英語だと“be moved”で“心を動かされる”なんですけど、やはり何かを感じ取って、行動を起こすことがポイントなのかなと。“良い”、“悪い”という評価軸の場合だと、いろいろな文字情報で学習して「自分は“良い”と思ってるんだけど、世間一般は“悪い”と評価してるから、“良くない”ものなのかな」ということが起きやすいと思うんですよ。感動はそうではなくて、自分のものにしやすいんですよね。人間の感性は、他者に委ねることができないはずなので。
——なるほど。
大黒:道徳や倫理観などは社会として共有すべきだし、コミュニティを生み出すためにも大事じゃないですか。感動はそこから一歩離れているというか、自分だけのものだから、他人の評価に影響されづらいと思うんですよね。でも、どうなんでしょう? 「流行ってる曲だから、感動しなきゃ」みたいな感じもあるんでしょうか?
——今はそういう傾向が強いような気がします。音楽フェスで「お客さんが同じ動きで盛り上がるのはどうなのか」という議論が持ち上がることがありますが、あれはもしかしたら「感動は個人的なものなのに、それを多くの人が同じように共有していることに違和感がある」ということなのかも……。
大黒:それも感動の一部だとは思いますけどね。“身体で感じる感動”“行動から起こる感動”“概念から起こる感動”の3つの要素のなかで、概念的なものはかなり社会的な影響を受けやすい。でも、爆音で鳴らされるリズムに同期するように身体が動くのは、身体のほうが勝手にやってるところがあるので。その反応はその人だけのものだし、感動を他者に取られてしまうことはないんじゃないかなと。
少し話は変わりますが、子供が一生懸命に歌っている歌を聴いて心を動かされるのも、その人だけの感動だと思うんです。上手い・下手というのは社会的な価値観ですけど、子供の拙い歌に感動してしまうのは、そうではないので。
——そのことも本に書かれていますよね。「人はなぜ下手な歌にすら感極まるのか」という。
大黒:それも統計的手法を用いた科学では説明しづらい部分といえます。仮に説明できたとしても、その瞬間にその人は子供の歌に感動できなくなるかもしれない。そう考えると、言葉で説明しないことも科学の一つの在り方なのかなと思います。どうしてそうなるか? を説明しなくても、「そうである」という状態を理解できたら、それでいいと言いますか。そこにAIとは違う、人間のポテンシャルみたいなものがあるような気もしますね。
——第五章「AIは感動するのか?」も興味深かったです。
大黒:AIはどんどん状況が変わっていくので、アッという間に議論が古くなってしまうんですよね。半年くらい前までは「身体を持っている人間にしか感じられないものがある」という前提がありましたが、今はフィジカルAI、ロボットAIが登場し、非言語的な情報を学習しているので。今後AIなりの感動というものが生まれるかもしれないですね。ただ、人間の感動とAIの感動は成り立ちが違うんです。AIは感動という言語情報を学習したうえで「これは何なのか?」とトップダウンで追求している。人間はそもそも言語が及ばないものを身体で感じ取って、「これを興奮と呼ぼう」「悲しみと呼ぼう」とボトムアップ式で感動を生み出してきたので。
——感動の方向性が真逆なんですね。
大黒:そうですね。AIが言語に頼らず、視覚や触感などの感覚情報だけで何かを生み出す可能性もありますが、ロボットが人間らしい感動を経験する必要はないので。
時間芸術としての音楽がもたらす一期一会の体験
——もう少し音楽の在り方についても聞かせてください。映画、小説、絵画など様々な芸術の形式があるなかで、音楽だけが与えうる感動とはどのようなものなのでしょうか?
大黒:まずは時間的揺らぎでしょうね。たとえば絵画は空間的な芸術で、鑑賞する側がどこを見るかを決めることができる。音楽は時間芸術で、聴く順番を演奏側がコントロールできるんですよ。
——まずBメロを聴いて、Aメロに戻って……みたいにリスナーが決めることはできないですからね。
大黒:時間の流れのなかで、予測誤差を作ったり、予測通りになったりということを繰り返して、感動を生み出していく。映画やドラマなどは言語が大きく介入してきますよね。音楽は“悲しい”“楽しい”などの感情を音で表現するので、すごくアバウトでありつつ、リッチな情動の情報が立ち上がることがあって。それも音楽ならではの美しさですよね。
——歌詞についてはどうでしょう? ポップスの場合は「歌詞に感動した」ということも多いですが、それも音楽的な感動と呼べるのでしょうか?
大黒:朗読や読書などとは違う感動があるのだと思います。“悲しい”という言葉であっても、ピッチや音量によって伝わり方は大きく変わりますし、そういう意味では歌詞のある楽曲も音楽的な要素が強いのではないでしょうか。桑田佳祐、玉置浩二などの優れた歌手の曲を聴くと、言葉や声も楽器として使われている気がするんですよ。
——確かに! 当然ですが、同じ歌詞でも歌い手によってまったく違う歌になるし、受け取る感動も全然違いますからね。
大黒:あと、演者側が真に感動していないと、聴き手にも伝わりづらい気がするんですよ。私も演奏経験があって、ジャズバーなどでピアノを弾いていたことがあるのですが、同じ曲であっても「今日の演奏はいいな」と自分でグッとくる瞬間があって。そういうときはお客さんも同じように感じていることが多いんですよね、確率的に。ちょっとした体の動き、その場の状況などがピタッとハマるというか……。それも科学では証明できないんですが、演奏できない人も「いいな」と感じ取れる何かがある。しかもそれは再現不可能なんですよ。
——この本のなかにも「私たちが実際に生きる感動は、つねに『この声』『この場』『この一回』と結びついています。」という一文がありますね。本書はいろいろな読み方ができる本だと思いますが、大黒さんご自身はどのように受け取ってほしいと思っていらっしゃいますか?
大黒:まずはこの本の内容を鵜呑みにしないでほしいです(笑)。なぜかと言うと、私自身の気持ちが書いてあるから。論文には厳密な客観性が求められますが、一般書には自分の主張も書ける。つまり「自分が何を考えているか?」が論文よりもはっきりと伝わるんですよね。この本に書いてあることが客観的・普遍的な事実ではなく、いろいろな研究を重ねるなかでたどり着いた、今時点での「私の意見」ーーそういうふうに読んでもらえたらなと思っています。自分のことで言えば、一時期は論文に集中していたんですが、今は一般書にポテンシャルを感じているんですよ。自分自身と向き合えながら書けるのもそうだし、本は研究者が真にワクワクしていることを伝えられる場所じゃないかなと。今回はご依頼をいただいて書きましたが、今後は自分で企画して書くこともやっていきたいですね。
■書誌情報
『言葉にならない感動を科学する-人はなぜ音楽に揺さぶられるのか』
著者:大黒達也
価格:1,100円
発売日:2026年10月7日
出版社:中央公論新社
レーベル:中公新書ラクレ

























