28歳無職男性はいかにして講談師になったのか? 玉田玉山『ここからが面白くなってくるわけでございますがッ』が面白い

玉田玉山『ここからが面白くなってくるわけでございますがッ ポンコツ弟子の上方講談修行戦記』(集英社)は、2025年の開高健ノンフィクション賞の最終候補作になったが、惜しくも受賞を逃した。応募時のタイトルは、「上方講談戦記 ポンコツ弟子の修業日記 2018~2025」。28歳無職男性が、伝統芸能の講談に弟子入りして講談師になるまでを書いた内容だ。この話が、やたらと面白い。
講談は、落語や浪曲と並ぶ寄席演芸で、「釈台」という机を「張扇」(講談では「はりせん」ではなく「はりおうぎ」と呼ぶ)で叩いて調子をとりながら語るものだ。ふるくから歴史上の人物や出来事を題材にした物語の演目が伝えられてきたが、古典ばかりでなく時事ネタなど新作も作られている。関西では、豊臣家が滅んだ大阪の陣を描いた「難波戦記」がスタンダードになっていて、著者は自身の失敗続きの修行ぶりや上方の講談界のゴタゴタを、その種の「戦記」に見立てて書いたわけである。読むと、ところどころで張扇がパンパンと鳴るのが想像できるほど、文章のテンポがよい。
ただ、この本のもとになった原稿が応募された際の第23回開高健ノンフィクション賞を受賞したのは、内戦状態になったシリアの難民について書いた小松由佳『シリアの家族』だった。現実の戦争をめぐる内容であり、「ノンフィクション」という言葉から連想されるシリアスな方向性に合致している。その点で玉田玉山の見立ての「戦記」は、「ノンフィクション」と呼ぶには面白すぎて受賞を逃したのだろう。だが、こうして書籍化に至ったことを嬉しく思う。
というのも、今年1月に東京で催された「松が丘寄席 神田山緑一門会」で、ゲストの玉田玉山が自分の弟子入りまでのドタバタを講談として実演するのを見て、大笑いしたからだ。演劇活動が上手くいかない青年・丸山俊吾は、玉田玉秀斎の講談に魅了されて救いの光と感じ、弟子入りを志願する。玉秀斎はすぐには認めず、まずMessengerでのやりとりを申し渡す。伝統芸能なのにMessengerとは「思ってたんと違うな……」となりつつアプリでのやりとりは続き、玉秀斎は彼の師匠である四代目・旭堂南陵の講談塾に通えと青年に命じる。やがて南陵から「一門に迎え入れる」といわれるが、青年はふと思う。玉秀斎を師匠にしたかったのだが、自分は誰の弟子になるんだ……?
くすぶっていた青年が、紆余曲折を経て講談の弟子入りを果たすのを語ったその演目は、「玉田玉山物語」と題されていた。当日の会ではほかの講談師が「安倍晴明伝」、「真柄のお秀」、「木村又蔵 鎧の着逃げ」、「魚屋本多」といった歴史上の人物や物語の架空の人物について口演したのに対し、この人はぬけぬけと自身をそれらと同等の講談の主役としてあつかい、大声でリズミカルに語ったのだ。なんともおかしかった。その際、いろいろなエピソードで「玉田玉山物語」が何本も作られていることを紹介していたし、ぜひ続きを知りたいと思っていた。私が聞いた「玉田玉山物語」は、今回の『上方講談修行戦記』の序盤に相当する部分であり、本ではその続きも語られる。
入門した彼は、師匠の下働きをするが失敗を繰り返す。講談の会場ではブルートゥース・スピーカーで出囃子を流す段取りなのだが、ロックの筋肉少女帯「釈迦」を流してしまったりする(このバンドには物語をセリフでいう曲があって「講談みたい」といわれもするが「釈迦」はそういう曲でもない)。まだ、自分には実力がないくせに、先輩や同期の講談師に嫉妬し、侮るといった心の動きが赤裸々に綴られていく。東京には神田伯山という講談のスターがいるが、上方の講談界にはそんな存在はなく、しかも3つの協会に分かれていて主人公が所属する団体は内紛で分裂する。主人公にとっては生活基盤を揺るがす一大事なのに、生来の「政局好き」、「揉め事好き」ゆえに興奮してしまうのだ。困った性格である。
なかでも印象的なのは、主人公が親しみを覚えていた先輩が、講談の最中に台本を忘れる場面だ。セリフを思い出すきっかけを作ろうと張扇を叩くが、やはり駄目。パン! という音だけがむなしく響く。当人の苦悶の表情。客席の気まずい空気。地獄のような時間を、5ページ近くにわたり描写する。映像に喩えれば、講談師と客席のカットの切り換え、それぞれの顔のアップ、スローモーションのといった感覚で語られている。
昔から「講釈師、見てきたような嘘をつき」という言葉がある。講釈師(講談師)が、目撃したはずのない歴史上の出来事をいあわせたかのように話す。芸による彼らの口の上手さからそんな言葉が生まれたわけだが、本書はノンフィクションの賞に応募したくらいだから、事実をベースに書かれたはずだ。とはいえ、事実を忠実に写生しようというのではなく、話の受け手を楽しませることに主眼がある。本書(や講談「玉田玉山物語」)は、自身の体験や見聞をもとにしているものの、講談師が「見てきたような嘘」をつくのと同じく、題材と適度な距離を持ってあつかっている。だから、面白おかしく語れるのだろう。なかには、修行中にうつになったり、妻との関係などシリアスな要素もある。でも、湿っぽくなりすぎない。笑いと涙のエンタテインメントになっている。
主人公は下手で売れない状況が続きながらも、自分が面白いと思えないことはやらない頑固さを捨てない。「講談はクローズドな場所では最強の芸能」という師匠の言葉の意味をやがて自分なりに理解し始める。伝統的な演目を勉強する一方、「玉田玉山物語」、「水曜どうでしょう講談」(あの番組の視聴体験を演じるのだ)といった得意の演目を生み出す。東浩紀が自身で立ち上げた会社ゲンロンで起きたトラブルやそれへの対処をまとめた新書『ゲンロン戦記』を、玉田玉山がゲンロン友の会総会で講談にして演じ大ウケしたエピソードも興味深い。
タイトルの『ここからが面白くなってくるわけでございますがッ』は、講談の締めくくりの決まり文句で、「この続きはまたの機会に」などとつなげる。本書の続きは。ぜひまた講談で聞きたいと思う。

























