辻堂ゆめ『残火』はSNS時代に必要な物語だーー紙上健吾と解き明かす「加害者家族」ミステリ
作家・辻堂ゆめが『残火』(東京創元社)を上梓した。大藪春彦賞を受賞した『トリカゴ』の続編となる本作では、14年前の放火殺人事件によって人生を変えられた「加害者家族」と「被害者遺族」が描かれる。それぞれの立場から見える事件は、決して同じ姿ではない。物語が進むにつれて、読者が「真実だ」と思っていたものは何度も覆されていくーー。
発売前に重版が決まったという本作は、今年後半の話題を攫うはずだ。刊行にあたり、かねてから辻堂作品のファンだという紙上健吾【けんご@小説紹介】と辻堂が、その背景を語り合った。
どんでん返しの「向こう側」にあるもの
紙上健吾(以下、紙上):新刊『残火』を読んで、僕は「先入観」について考えさせられました。人間は、こんなにも先入観に振り回される生き物なのか、と。
今は、現実の悲惨な出来事や看過できない事件も、ニュース記事の見出しや、たった1つの言葉だけで全体を判断する人が少なくありません。しかもSNSではニュースのある一面だけが切り取られて、瞬時に消費されてしまう。僕自身がSNSを中心に活動しているので、その雑さを痛感しています。
でも『残火』では、自分の先入観がどんどん覆されました。しかも、最後に大きくひっくり返ったと思うと、その先にまた別のショックが待ち受けている。辻堂さんの小説の中でも、ミステリとしての仕掛けが一歩進んだ作品だなと思いました。本当に面白かったです。
辻堂ゆめ(以下、辻堂):ありがとうございます。ミステリ的には「どんでん返しの先に意外な真実」という展開が好まれますよね。ただ、今回書きたかったのは、単に読者の予想を裏切ることだけではありませんでした。「私たちは物事の『真実』を断言できるのか?」という疑問を投げかけたかったんです。
というのは、ある事件について当事者が発言しても、当事者が複数いれば、見えるものはそれぞれ違います。だから「これが真実だ」と断言することには、重い責任と危うさが伴うと思うんですよ。
一見「真実」だと思ったものの下には、別の「真実」がある。その下にまた、新たな「真実」がある。皮をいくら剥いても別の層が現れて、辿り着くゴールが見えない。今回はそういう「真実」のあり方を書きたいと思いました。
紙上:僕自身、読みながら何度も「狭い範囲の先入観で捉えていたな」と思わされました。特に印象に残ったのが、14年前の放火殺人事件の加害者の息子・湊川潤(みなとがわ・じゅん)の発言です。
「殺人事件の加害者家族と被害者遺族──一つ選べと言われたら、あなたはどちらになりたいですか?」
この問いは、読む前と後で意味合いが大きく変わりますね。今回はなぜ「加害者家族」「被害者遺族」というテーマを選んだのでしょうか。
デビュー前には書けなかったテーマを、今こそ
辻堂:「被害者遺族」というテーマは、作家デビューの前から興味を持っていました。江戸川乱歩賞に応募しようと思った時期があり、当時メディアでよく耳にした被害者遺族を題材に『その火を消し止めて』という長編を書いたんです。ただ、後に編集者さんから「殺人の動機が弱すぎる」と指摘されて。
言われてみたら確かにその通りだな、と。当時の私は力量不足で「ミステリだからこういう理由で事件が起きて、1人死んで、さらにここでもう1人殺して……」と、ストーリーの構成要素として殺人や動機を安易に扱っていた部分があったんです。だからこの話はお蔵入りになりましたが「事件に直接関わっていない周囲の人たちを書いてみたい」という気持ちは残っていました。
紙上:そうだったんですね。
辻堂:その後、『トリカゴ』が刊行された頃に「ある有名な事件の加害者家族が、幼い子どもと無理心中した」というニュースを見たんです。生前、日常的に子どもを虐待していた可能性があるという報道も出てきました。
その人が、加害者家族としてどんな人生を歩んできたのか。なぜそんな行動に至ったのか。亡くなった後ではもう誰もわかりません。ただ、この報道は私の心に強く残っていて、『残火』のプロットを考え始めたときに「あれはどういうことだったのか?」という疑問が甦ってきました。そこで加害者家族について調べると、その人たちの苦しみはとても見えにくいものだとわかってきたんです。
紙上:見えにくい苦しみ。
辻堂:殺人事件が起きた後に加害者の人となりを語るのは、祖父母や親戚など、ちょっと離れた関係の人が多いんです。もっと加害者に近い、実の親やきょうだい、子どもなどの家族の声は、なかなか報道されません。
そこには声をあげられない事情もあると思いますが、実際は外野には見えない壮絶な苦しみがあるのではないか。そこで『残火』では、14年前の事件の加害者の妻と息子という「加害者家族」側にも踏み込むことにしました。
さらに、作家デビューから10年以上経った今なら「被害者遺族」というテーマにも真摯に向き合えるかもしれないと思いました。何より、この10年で私自身の人生が大きく変わったからです。
紙上:デビューして10年。その時間は大きいですよね。
辻堂:一番大きいのは、自分のライフステージが変わったことです。デビューした頃は大学生でしたが、その後社会人になり、結婚して、今は4児の母親になりました。上の子はもう小学生です。
学生だった頃の私は、物事の見え方が今よりも限定的だったと思うんですよ。たとえば「親」という存在を、子どもの立場からしか見ていませんでした。でも今は、私自身が現実生活で「親」なので、何かの事件を書くときに、親目線にも、犯人目線にも、かつての子ども目線にもなれる。こういう視点の広がりが出たことは、自分の中で大きいですね。
あとは、これまでの作品づくりを通して少しずつ経験を積んできたことも、このテーマに向き合う後押しになっています。
紙上:たとえばどんなことでしょうか。
辻堂:デビュー当初は、自分がわかる範囲の青春系ミステリを書いていましたが、そこから少しずつ幅を広げてきました。特に『トリカゴ』は初めての警察小説への挑戦で、無戸籍という社会問題を取り上げたこともあって、取材や資料読み、関係者へのインタビューなど、書く前に綿密にリサーチしました。そうやって集めた材料をもとに物語を組み立てていくうちに、少しずつ手応えをつかめるようになったんです。
デビュー前は自分の作品が誰かに読まれることを実感できず、無責任に書いていたところがありました。でも、プロになって実際に作品が人に読まれるようになると「加害者家族」「被害者遺族」のような重いテーマを自分が扱っていいのだろうか、という怖さも出てきました。
それでも、取材方法や物語を書き切る力、キャラクターを深掘りする方法を少しずつ身につけてきたので、今ならこのテーマに向き合えるかもしれないと思えました。「人間の心の奥まで踏み込んで、殺人の動機や加害者家族、被害者遺族が背負う痛みまでしっかりと書きたい」と思ったんです。
『トリカゴ』から一変、『残火』はあえて“多視点”で書いた
紙上:『残火』は『トリカゴ』に続く警察小説シリーズですが、子育て中の女性刑事・森垣里穂子を再び書くにあたり、どんな思いがあったのですか。
辻堂:『トリカゴ』は「里穂子が人間臭くてよかった」という感想をたくさんいただいたんです。私自身も小さい子どもを育てる母親という点で、里穂子と重なる部分がありました。読者の方に受け入れていただいたキャラクターだし、もう一度彼女を主人公にして別の事件を書いてみたいと思ったんです。
ただ、『残火』はシリーズ作品ではありますが、『トリカゴ』を読んでいない方も違和感なく読めるようにしたつもりです。私、東野圭吾さんの「加賀恭一郎」シリーズが好きなんですよ。あのシリーズは10作以上あるのに、どの作品から読んでも1つの物語として楽しめる。一方で、全作を読んでいる人には、登場人物の変化や作品同士のつながりも見えるのが魅力的で。私も里穂子と羽山という刑事たちをそういう形で扱いたく、再登場となりました。
紙上:加賀恭一郎シリーズには、加賀が最初から最後までストーリーを牽引するものもあれば、途中から存在感を見せる話など、いろんなバリエーションがありますよね。『残火』は後者のほうかなと思いました。
辻堂:そうですね。『トリカゴ』は里穂子の視点で話が進みますが、『残火』は構成をまったく変えて、事件そのものにさまざまな角度から迫ることにしました。この事件の「真実」に近づくためにはどの人物の視点が必要か。どの場面を誰の目から見るのが一番適しているか。そこに制約を設けず、必要な視点を選びました。
紙上:冒頭は湊川の独白で始まり、次に監禁事件に巻き込まれた大学生・安野の視点、その後で里穂子が登場しますね。とりわけ、湊川の長い独白は異彩を放っていました。
辻堂:「留置中に延々と話し続ける」というキャラクターは、原型になった『その火を消し止めて』のときから考えていた設定です。湊川という人物を印象づけたかったので、このシーンから始めました。
紙上:読みながら「これはどういうことだ? この人物はなぜこんな話を?」と引き込まれます。
辻堂:書き手としては、湊川の「加害者家族」として生きてきた軌跡をきちんと伝えなければという責任感のようなものがありました。
でも、彼の人生を考えれば考えるほど、私自身がそれに吞み込まれるような……湊川の半生の重苦しい余韻が私にも残り、原稿を書いている間だけでなく、仕事から離れてもなかなか現実に戻れない感覚はありましたね。
こういう書き心地の作品はこれまでに経験したことがなかったし、書けば書くほど抜け出せないように感じて、私自身も全力で臨みました。書き切れてホッとしています。
紙上:そこまで入り込んで書かれたんですね。辻堂さんと湊川の人生は全く違うと思いますが、どうやって彼の感情にご自身を寄せていったのでしょうか。
辻堂:実際に加害者家族となった方や、その支援者の資料などはたくさん読みました。ただ、そのまま書いても意味がないので「この人はこの瞬間に何を感じたのだろう」と想像し、「私だったらどうするだろうか」と置き換えながら物語に落とし込んでいきました。私と彼の人生は違いますが、彼がずっと感じてきた「自分で選び取れない理不尽さ」のようなものは、ほんの少しですが、私もわかる気がするんですよ。
私、転校を繰り返しているんです。父の仕事のために小学校、中学校、高校をすべて途中転校していて、しかも毎回かなりの遠距離移動。茨城から神奈川に行き、中学はアメリカへ行き、高校でまた神奈川の学校に編入しています。
転校は強制リセットのようなもので、新しくやり直せるという面もありつつ、せっかく築いたよい関係も断ち切られてしまいます。そうすると、新しい環境で嫌な状況に陥ったときに「前の環境だったらうまくやれたはずなのに」「本当はこうじゃなかったのに」と、他責思考になってしまいがちだったんです。
湊川も14年前の事件以来、自分のせいではないのにどうにもできないものを背負わされた人です。事件後は、人間関係や仕事がうまくいかないときに「あの事件のせいで」と過去に戻ってしまう。もちろん、彼の苦しみに比べれば私の経験はちっぽけですが、「自分で選び取れなかったことをずっと根に持ってしまう」ことには気持ちを寄せられるので、その感覚を彼の言葉にしていきました。書いている間は、私も湊川の人生を生きていたのかもしれません。
動機と「真実」をめぐって
紙上:もうひとつ僕が印象に残ったのは、最後に語られる今回の事件の動機です。「殺したのは……〇〇から」というところはゾクッとしました。「犯人はそのためにこんな犯行に至ったのか」と納得しつつ、ものすごくやるせない気持ちになってしまって。
辻堂:そこは私としても気持ちを込めて書いたところです。どんな理由ならば、読者の方々に「あぁ、そういうことだったのか」と素直に受け止めてもらえるか、すごく考えました。『残火』で一番読んでもらいたい部分です。
紙上:しかもその動機は、最後の最後に明かされる「真実」によって、別の形に見えてきますよね。
辻堂:〇〇という気持ちが成立したのか、というところですね。犯人ですら知りえなかった事情があるという。
紙上:そこは全く想定していなかったので、最後の数ページで本当に驚かされました。
僕は『サクラサク、サクラチル』や『二人目の私が夜歩く』『君といた日の続き』『トリカゴ』など、好きな辻堂作品がたくさんあるんです。
そして今回の『残火』であらためて感じたのは、辻堂さんの作品は1回の反転では終わらない複層構造になっていることです。最後まで「何か」が用意されているんですよね。そこが僕はいつも楽しみで、今回も期待以上の驚きを提供してくださったので「さすが、辻堂ゆめさん!」と思いました。
辻堂:ありがとうございます。私の小説は、あくまで「エンタテインメント作品としてのミステリ」から離れたくないんです。謎があって、それを解く人がいて、思いもかけない真実がある。私はそういうエンタテインメントの形はすごく美しいと思うし、そこに惹かれているので。
そのうえで『残火』は、タイトルの通りですが、いつまでも燻り続ける火のような、今までとは違う読後感を目指しました。
タイトル『残火』に込めた意味
紙上:この作品は雑誌連載からスタートして、その際のタイトルは『その火を消し止めて』でしたよね。それが単行本化にあたって『残火』に変わったのは、どんな意味を込めたのでしょうか。
辻堂:『その火を消し止めて』だと柔らかい印象なので、もっと警察小説らしく短い単語にしようと。そこで、もともと第4章のタイトルだった「残火」を採りました。
ただ、どちらのタイトルにも同じ意味合いを込めています。今作では事件だけではなく、そのあとに残るものも含めて描きたいと思っていました。14年前も今回も「事件」としては解決しても、実際は憎しみ、悲しみのようなやるせない思いがずっと燻り続けます。さらにそれを、SNSも含めて周りの人たちが焚き付けると、いつまでも燃え続けてしまう。でも「いつかその火を消し止めたい」という思いがあるんです。
紙上:その話を伺うと、作品全体で描かれているものが、より繋がって見えてきます。一度起きた事件は、関わった人たちに何かを残し続ける。そして、別の誰かに伝わったり他人の印象が加わることで、また形が変わっていくんですよね。
そういう意味で僕は、『残火』はSNS時代の今に必要な物語だと思いました。直接的にSNSの問題を取り上げてはいませんが「物事を俯瞰して正しく見るとはどういうことか」を突いた作品だと思うんですよ。だから、僕よりも若い10代、20代の人たちにも、ぜひ『残火』を読んでもらいたいです。「その“真実”は自分の先入観でつくりだしていないか」「真実と言い切る覚悟はあるのか」ということを考えるきっかけになると思います。
辻堂:ありがとうございます。健吾さんがそう受け取ってくださるのはとてもうれしいです。
真実はいつも綺麗なわけじゃない
紙上:『残火』は、これまでの辻堂作品とは読後感が違いますよね。タイトルの通り、いつまでも心に燻るものがあるようで。
辻堂:デビューした頃は「読後感が爽やかでいい」と言われることが多くて、私自身もそういう雰囲気の話が好きだったんです。先ほど健吾さんが挙げてくださった『君といた日の続き』や『サクラサク、サクラチル』も、わりと綺麗に終わる話だと思います。
ただ「辻堂作品は読後感がいい」というイメージが定着してしまうのもどうなんだろう、と思うようになって。特にミステリは先を読まれたくないのに「この作家はいつもラストが同じ」「辻堂だから、最後はどうせいいところに着地するだろう」というイメージがついたら困るな、と。
それに、実際に世の中で起きる事件はそんなに綺麗じゃなかったりしますよね。だからここ数年は、自分のパターンを壊したいという気持ちがありました。『残火』はある意味、その集大成的な作品になったかな、と思います。読者の方には「真実」がどう見えるのか、そして犯人の動機にぜひご注目いただければうれしいです。
■書誌情報
『残火』
著者:辻堂ゆめ
価格:2,200円
発売日:2026年8月31日
出版社:東京創元社
『トリカゴ』
著者:辻堂ゆめ
価格:990円
発売日:2026年8月31日
出版社:東京創元社