小説家・朝倉かすみ、“あばたを負った女性”の尊厳を描いた理由「圏外の人たちの人生を逆転させたかった」
『平場の月』で知られる小説家の朝倉かすみが、作家生活20年を経てついに挑んだ初の時代小説『けんぐゎい』(光文社)。江戸を舞台に、醜い痘痕(あばた)を負う姉・ふゆと、美しき妹・りよが辿る過酷な運命を描き出す。落語のような独自の語り口で綴られるのは、理不尽な性被害や社会の「圏外」に置かれた者たちの叫び。生殖さえも国家に管理される時代、女としての尊厳を問うふゆが辿り着いた「生の祝福」とは。執筆の裏側を朝倉に聞いた。
古文書や江戸の言葉に魅了された創作の源泉
――『けんぐゎい』は朝倉さんにとって初の時代小説ですが、ずっと、書きたいお気持ちはあったんですか。
朝倉かすみ(以下、朝倉):もうずっと、ありました。たぶん、書きたいと言い始めてから20年くらい経つのじゃないかな。学生時代から落語や講談を聞くのが好きで、その世界の言葉づかいも大好きだったんですよ。だから、自分で小説を書くときも「こしらえる」とかね、その世界に通じる言葉を使うんだけど、そうすると編集者さんに直されるんです。普通に書いてください、って。だから、時代小説を書けば、そういう言葉をたくさん使えるんじゃないかと思って。
――たとえば『平場の月』でも、「おっかなかった」とか「だけども」と言った、口語として自然なんだけど、どこか古めかしいような響きのする言葉が使われていますが、朝倉さんのそうした文体に個人的には惹かれています。淡々としているんだけど、温度があるというか。
朝倉:ありがとうございます。『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)や『浮世風呂』(式亭三馬)なんかを読むのも好きだったので、見聞きしてきたいろんなものの影響を受けていると思います。言葉のリズムや文体がいいんですよね。
――『けんぐゎい』では、登場人物の会話だけでなく、地の文も江戸言葉のような文体だったので、驚きました。まさに、落語や講談の語りのようで、からめとられるように物語のなかに吸い込まれていったのですが、自然と書けたものなんでしょうか。
朝倉:まさか、まさか。読むと書くのとでは大違いですし、私もこんなふうになるとは思ってもみませんでした。時代小説って、型みたいなものがあるじゃないですか。なんとなく、みんなが書いている“感じ”が。だから私も、藤沢周平みたいな小説を書くんだというつもりだったのに、書き始めたら全然違うふうになってしまったから、私自身もびっくりしました。
――でもきっと、その文体でなくてはならない何かが、この小説にはあったんですね。
朝倉:そうかもしれませんね。私の頭のなかにはずっと、物語ができあがっていて。プロットを書くまでもなく、筋が見えているから、ただそれを文章に写し出せばよかったんです。そのためにはたぶん、こういう文体である必要があったんでしょうね。だから、浮世絵に添えられた文章を読んだり、カルチャーセンターで古文書を学んでみたり、いろいろ調べました。岡本綺堂とか、明治生まれの人が書いた時代小説なんかも読みましたね。
消えない傷、理不尽な「女の宿命」、時代を超えて響く深い痛み
――主人公の、顔を含めて全身に痘痕(あばた)を負ったふゆという女性はどのように生まれたのでしょう。
朝倉:圏外の人ばっかりを集めた小説を書きたかったんですよ。普通、と呼ばれる場所からはじかれているような人たち。見目形にハンディキャップを負っているのがいちばんわかりやすいので、ふゆはそのようにしました。どうしたって、人と比べられて、人目を感じてしまいますからね。あと、賢いということもまた一つのハンディキャップだと思ったので、利発な少女にしようと。
――なぜ圏外の人たちを集めたいと。
朝倉:逆転させたかったから、そういう人たちの人生を。あと、時代小説を書きたいと思ったとき、徹底的に悪いやつを書きたいとも思ったんですよね。現代だといろいろ憚りがあって、表現することもだけど、存在すること自体がなかなかむずかしい、なんだか気持ち悪いような人……わかりやすく一言で言ってしまえば、サイコパスみたいな存在も書いてみたいと思ったんです。そういう意味での圏外も、書いてみたかった。
――そのサイコパスみたいな存在に、ふゆは人生をゆがめられて、思いもよらぬ道を歩んでいくわけですが、ご自身で書いていて「こうなるとは思わなかった」というような、意外な展開はありましたか?
朝倉:展開は、先ほども申し上げたとおり、ずっと見えていたんですよ。ただ、物語のなかでたびたび性被害について書くことで、そこから受ける傷というのは想像以上に根深いものなのだ、と改めて感じました。被害を受けた人は、どんなに割り切って、人生を切り開いて、成功したふうに見えていても、ずっとずっと傷ついているでしょう。それはもちろん、そうなんだろうと想像してはいたけれど、その深さを改めて思い知った気がします。
――被害を受けた人側が、傷を薄めるために、自分が望んでそうしたかのように思うシーンもありました。現代よりも、女性の尊厳が軽んじられているとはいえ、その心理は今となんら変わりがないんだなと胸が痛くもなりました。
朝倉:ふゆの妹のりよが、奉公先の旦那に襲われて逃げかえってきたとき、おっ母が「そういうもんだ」と言い放つシーンがありますよね。奉公に行けば、一度は味を見られるもんなんだよと。そんなのおかしいといくらりよが訴えても、それくらいのことで騒ぐなという人のほうがおそらく多数派で。あれは書いていて苦しかったですね。あんなにちっちゃいのに、股をおさえて、痛い痛いと訴えているりよのことが本当に悲しくて。
――その悲しみと痛みを抱えながら、やがてりよは、旦那の愛人として立場を得ていきますが、そうして生き延びようとする姿がまた切なかったです。
朝倉:誰かの女になることで、一応の権力を得る。それもまた、生きる道ですからね。
望まれぬ命であっても、存在そのものが肯定される場所
――自分が圏外の存在であることや、被害を受けて何かがゆがんでしまったような気持ちになること。それはすべて、自分のせいで起きたことではなく、自分はなんら罪悪感を抱く必要がないのだということに、やがてふゆはたどりついていきます。その人が、ただその人であることを善とする、というのは朝倉さんの書かれる小説に通底するテーマなのでは、とも思ったのですが。
朝倉:なるほど、そうかもしれません。言われてみれば、生きる上での「申し訳なさ」というのがどこからくるのか、いつも気になっているんですよ。キリスト教の幼稚園に通っていたからかな。卒園式のときに先生が書いてくれた「神様はいつもかすみちゃんを見ていますよ」という言葉に、まじか、って思ったのを覚えているんです。そのせいか、いまだにどこか、何かに対して、申し訳ない感じがしているんですよね。私が私でごめんなさい、という気持ち。それは、小説を書き始める前から抱えているものです。
――何か悪いことをした、とかではなく。
朝倉:違うんですよね。だから、意識はしていないけど、小説も自然とそういう方向にいってしまうことが多いのかもしれませんね。あと、私は自分の人生に集中してる人が好きなんですね。ふゆはもちろん、そのサイコパス的な人だって、ある意味では集中している。自分で選んだわけじゃない、選ばされることの繰り返しだった人生だとしても、その結果得た自分の人生にきっちり集中して生きていく。そういう人をこれまでも書いてきたし、これからも書くような気がしています。
――そのなかで、本作だからこそ見出すことのできた光、みたいなものはあるでしょうか。
朝倉:やがて産科医療の道にたずさわっていくふゆが、双子の赤ん坊をとりあげる出産のシーンですね。出産を書いたのは初めてだったのですが、これまた、想像していた以上に、子どもが生まれるというのは嬉しいことなのだと知りました。よく、望まれずに産まれる子どもは不幸だという人がいるけど、生まれるというのはそれだけで大いなる祝福なのだと。たとえ親が望んでいなかったとしても、誰かが祝福せずにはいられないものなのだと思いました。
膨大なイメージが結実した「ふゆ」の半生記
――理不尽に翻弄され続けてきたふゆの人生がめぐりめぐって、命の誕生にたどりつく。命とはなんなのかを自身にも問いかけながら、生きることの哲学を読者に示してくれもするラストでした。
朝倉:それはやっぱり、この小説が書かせてくれたものだと思います。実は、もともと私が書きたかったのは、その出産以降の物語なんですよ。双子として生まれた二人が、それぞれまるで違う境遇で育つことになったとしたら、いったいどんなふうになるんだろうと、『ふたりのロッテ』(エーリッヒ・ケストナー)みたいな物語を書いてみたかった。で、書くからには、その背景をしっかり描きたいと思ったんです。
――ということは、当初の予定では、ふゆが主人公ではなかった?
朝倉:主人公は主人公なんだけど、ふゆがどんな思いで双子をとりあげるのか、産科医療に対してどんな思いを抱いて、双子が生きる場所を選んだのかを、まずはちゃんと描きたいなと。当初の予定では、そのパートは短くまとまるはずだったんです。私の頭のなかには道が一直線に見えていたから、すぐにたどりつけるだろうと。そうしたら、思いのほか長くなっちゃって。
――まさか、すぎます。
朝倉:私も、びっくりしました。でも、書き始めるまでにいろんな本を読んでいて、書きたいこともたくさんあったんですよね。『ナイチンゲールの「看護覚え書」』もその一つなんだけど、ふゆたちと同時代を生きた人だから、看護の話はちゃんと書きたいなとか、一角獣についての本で、角が象徴するものが何かを知ったり、イメージがふくらんだりして、それも取り入れたいなとか。いろんなものを組み合わせていたら、肝心のシーンを描くまでで一冊になってしまいました。
史実から見えてきた女性たちの過酷なリアルーーふゆが繋いだバトンは次作へ
――参考文献もかなり掲載されていますが、特に参考になった書籍はありますか。
朝倉:沢山美果子さんの本はどれもおもしろかったですね。私は、『江戸の捨て子たち―その肖像』『江戸の乳と子ども いのちをつなぐ』『性からよむ江戸時代 生活の現場から』の三冊が読みやすくておすすめなんですけど、そのなかで、昔の人は赤ちゃんがお腹の中でもおっぱいを飲んでいると思っていたと知ったんです。だから、お母さんが転んだりすると、乳首が口から外れてしまって栄養補給ができなくなるのだと。それで流産するのだと信じられていたから、流産したという届け出をおかみに出すときも「私が転んだせいで赤ちゃんが乳首を放したため死んでしまいました」と書かれていたりする。
――そんな記録が。
朝倉:そもそもなんで、そんな届け出を出さなくてはいけないかというと、国家ってなんかずーっとなるべくたくさん税金をとろうとがんばってるんですよね。あの有名な太閤検地だって、ごまかしがきかないようにきっちり見張るため。正確に税金を徴収するため、生殖にも監視の目を向けるんです。懐妊したら届けて、生まれたらその人数を届けて、流産や死産をしたら「おろしたんじゃないか」「産まないことで税金を逃れたんじゃないか」と疑う。
――堕胎が禁じられているのも、そういう理由があるわけですね。
朝倉:そう。鬼のような顔をした人が赤ちゃんを殺している絵を配ったりして、堕胎をすること、赤ちゃんを死なせることは、こんなにもよくないんだってことを、支配者さんたちは教育しようとしていたみたいです。でも農繁期の忙しいときには女性も働かなきゃいけないから、無理をして流れてしまうこともある。何度も妊娠しては流産することのくりかえし、という人も多かったみたいですね。当時の理屈にのっとって避妊はちゃんとしていたみたいなんだけど、ざっくりしていて、あんまり意味のないことも多かったみたい。そんな歴史背景のなかで女性たちがどう生きていたのかを知るのは、とても興味深かったです。
――次作は、いよいよ双子たちの物語が読めるのでしょうか。
朝倉:お勉強しなくちゃいけないことがたくさんあるから、今すぐにというわけにはいかないけれど、書きたいと思っています。そもそも、時代小説を読みなれている人が『けんぐゎい』を読んでどう思うのかもわからないんだけど、楽しく読んでくださったらうれしいですね。表紙のfeebeeさんのイラストも、とても素敵なので。以前から好きだった絵を、この小説のためにお借りしたんです。心の中に潜む得体の知れないもの……理不尽にあいながらもふゆが決して手放さなかった自分だけの衝動を、圏外の人たちが抱えているものを、表現するにはぴったりなんじゃないかなって。快く許諾してくださったことに、とても感謝しています。
■書誌情報
『けんぐゎい』
著者:朝倉かすみ
価格:1,980円
発売日:2026年4月22日
出版社:光文社