『九条の大罪』改変、なぜ受け入れられた? 柳楽優弥が再解釈した原作とは違う「人間味」

 柳楽優弥とSixTONES・松村北斗が出演する配信ドラマ『九条の大罪』(Netflix)が、国内のNetflix週間視聴ランキングで1位を獲得したことが発表された。海外のNetflix週間グローバルランキングでもトップ10入りを達成し、好発進を見せた。

 本作は、『闇金ウシジマくん』で知られる真鍋昌平による同名コミックを実写化した法と道徳の境界線を描くリーガルエンターテインメント。ネット上では「1話見たら止まらなくなって最後まで一気に完走した」「柳楽優弥の演技が良すぎる」「ネトフリの本気を見た」といった声が飛び買い、大反響となっている。

 その一方で、原作との違いも話題に。ドラマを観た読者が最も違和感を覚えたのは、柳楽演じる主人公・九条間人のキャラクター解釈ではないだろうか。原作における九条は、「法の悪用者」に近い冷酷さを漂わせており、道徳的に擁護できない犯罪者であっても法律の穴を突いて無罪へと導く。そこに感情は一切介在しない。この何を考えているのかわからない表情の乏しさや、正義感の介在しない合理的な行動が生み出す緊張感は、真鍋作品に共通する魅力だ。悪人が野に放たれる不条理に戦慄しながらも、その卓越したリーガル・ハックの鮮やかさに、読者は背徳的なカタルシスを覚えざるを得なかった。

 そんな原作の九条が「陰」のキャラクターなのに対し、ドラマ版では葛藤や人間味といった「陽」の魅力を引き出したことで、より幅広い層が感情移入しやすい物語へと再構築されている。

 この人間性を補強しているのが、同じ事務所のエリート弁護士・烏丸真司(松村)との関係性の変化だ。東大法学部を首席で卒業したエリートの烏丸は、原作では当初から九条の思想を理解している「相棒」であるが、ドラマ版では九条のやり方が善か悪かを見極めるためにやってきた「観察者」としての役割が与えられており、非道な現実に感情を露わにする姿は、「なぜ悪人を弁護するのか」という視聴者の不満や疑問を代弁する存在でもある。

 各エピソードの改変も、ドラマならではの味付けがされていた。飲酒運転による交通事故で被害者が片足を切断することになった第1話では、九条の「裏での救済」を早い段階で描写。これにより、九条が単なる悪徳弁護士ではなく、不条理なシステムからこぼれ落ちた者を拾い上げようとする意思を持つことが明確に示された。他にも、裏社会の住人たちの絶妙なキャスティングも見逃せない。壬生憲剛を演じる町田啓太は、原作の武闘派なイメージとは異なる知的な狂気を漂わせ、京極清志を演じるムロツヨシは、コメディアンのイメージを覆す冷徹な演技で物語を牽引する。

 こうした演出や俳優陣の熱演により、ドラマの完成度が高まったのは間違いないが、一方で原作漫画が持つ魅力も忘れてはならない。真鍋氏が描く『九条の大罪』の本質は、読む者の神経を逆なでするような徹底したリアリズムにある。ドラマではコンプライアンスの観点からかマイルドな表現に置き換えられたり、カットされたりした描写も多かったが、原作では目を覆いたくなるような残酷な暴力シーンや、過激な性描写が容赦なく描かれている。その妥協のない生々しさこそが、綺麗事では済まされない社会の闇をえぐり出し、読者に「これが現実だ」という逃げ場のない衝撃を与えている。ドラマが「エンターテイメント」であるならば、原作は現代社会の底辺に蠢く地獄をありのままに活写した「ドキュメント」に近い。この両者の違いを読み解くことこそ、本作をより深く楽しむためのポイントと言えるだろう。

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