ミステリ作家・服部倫が『大阪ウェットランド』で挑む、脱マッチョのハードボイルド「今、この主人公こそがリアル」
この3月、ミステリ作家としてデビューした服部倫(はっとり・りん)。第29回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作『大阪ウェットランド』は、売れないドラマーの主人公が聴覚障害の少年を助けたことをきっかけに、半グレやヤクザとのトラブルに巻き込まれていく。さらに希少生物や開発利権の要素も絡み合い、物語は大阪中を駆け巡る、予想外の展開へ──。
受賞時に「ハードボイルドを書きたかった」と語った服部だが、同作は既存のハードボイルドとは違い、「強いマッチョな男」を前面に押し出さない。こなれた語りと多層的なモチーフが掛け合った独自のスタイルは、どのように生まれたのか。「好きなものを全部入れた」という創作の背景から、その方法論を訊いた。
「“らしくない”ハードボイルドを書きたかった」
ーーデビュー作『大阪ウェットランド』は、売れないドラマーが聴覚障害の少年を助けたことから、裏社会、希少生物、工事利権など多様な要素がストーリーに絡み合っていきます。服部さんがこの作品で一番書きたかったことは?
服部倫(以下、服部):まず「一人称ハードボイルド」をやりたかったんです。そのうえで、一般的なハードボイルドのイメージを壊したい思いがありました。ハードボイルドというと「強くてカッコいい男の話」みたいな、マッチョなイメージがありませんか?
ーーそうですね。男くささのようなものを感じるジャンルだと思います。
服部:それを抜きたかったんです。というのは、僕自身が弱虫なので「強い男」や「男性優位」な世界に拒否感があって。だから最初に、主人公からマッチョイズムを抜いたら何が残るだろうと考えました。
ーーすると残るのは……?
服部:「やせ我慢」と「ワイズクラック(減らず口)」だろうと。主人公の椿恭志郎というキャラクターをつくるときは、この2つが根底にありました。
あと、僕はハードボイルドはミステリのサブジャンルだと思っているので、「謎解き」の要素は必須だろうと。そういうマイルールを敷いたうえで、エンタメとして成立するかに挑戦したいと思いました。
ーーそうだったんですね。新人賞受賞時に「ハードボイルドを書きたかった」とコメントしていたので、もっと猛々しい世界が好きなのかと。
服部:すみません、そのあたりが自分でも矛盾していて……。僕は長崎出身の九州男児で、男性が主人公のハードボイルドが好きで、我ながら男目線で世の中を見ている部分があると思うんですよ。どこか、九州男児の嫌なところを引きずってるというか。
ーー嫌なところ。
服部:娘がいるんですが、彼女と接するときはつい「父親」っぽい言動をする自分がいて、それが自分でも嫌だなと思っていて。自分は弱い人間だし、マッチョイズムが苦手だ、捨てたいと思っているけれど、一方で自分の中に強く残る男性性も感じるんです。
ーーたとえばどういうところに?
服部:強がりというか、人に弱みを見せたくない、みたいな。だから自分がハードボイルドを書くときは、「男の力強さ」や「男性はか弱い女性を守るべき」という要素は抜きつつ、「やせ我慢」のように自分と共通する部分は残そうと。
これは、マイクル・Z・リューインという、アメリカのハードボイルド作家の影響もあります。1970年代に始まった“アルバート・サムスン”という探偵シリーズがあって、これも一人称で話が進むんですが、主人公が全然マッチョでもタフでもなく、弱いんですよ。初めて読んだときに「こういうのもアリなんだ!」と驚いたのが、今作を書くうえで大きなヒントになっていますね。
「今ハードボイルドを書くなら、こういう主人公がリアルじゃないか」
ーーハードボイルド“らしくない”といえば、主人公の椿は音大出身のドラマーで、専業では食べられないので音楽教室の講師バイトもしています。これも、あえてそういう設定にしたのでしょうか。
服部:ハードボイルドというジャンルが生まれてから、もう100年くらい経つんですよね。だから「2025年にハードボイルドを書くなら、こういう主人公がリアルじゃないか」という意識はありました。「主人公とその周りの男性キャラは全員弱くしてみよう」と。
椿はまず、フィジカル面が弱いんですよ。仲間の女性のほうが強い。
ーーそうですね。冒頭の喫茶店で椿と会話している女性・桐原夏実はプロボクサーでした。
服部:夏実のキャラクターは完全に、沙村広明さんのマンガ『無限の住人』の影響ですね。乙橘槇絵(おとのたちばな・まきえ)という圧倒的に強い女性剣客がいるんですが、登場シーンがめっちゃカッコいいんですよ。こういうベタにカッコいい場面を書きたくて、温めていた女性像なんです。
「自分の引き出しをフル開放してみました」
ーー話は、椿が理不尽に半グレに殴られるところからグイグイと展開しますね。服部さんは受賞時に「自分の感覚や好みをストレートに出した」とコメントしていましたが、それはどのあたりに?
服部:まず、生物や分類学、環境の話ですね。女子ボクサーが出てくるのは、僕自身がボクシングファンだから。あとは音楽ですね。椿はポストロック、マスロック系のドラマーですが、これは完全に僕の趣味です。この作品を応募前に娘に読ませたら「パパ、自分の引き出し全部開けてるやん」と言われたくらい、全編に自分の好きなものを詰め込んでますね。
ーーなぜそうしたのでしょう。
服部:これまで公募の文学賞には4作応募しましたが、自分のカラーは抑えていたんです。でも、最終選考までは残って落選というのが続いて。だから今回は「どうせダメなら、一度は自分の感覚をフルで出してみよう」という気持ちでした。
ーーそれが見事に受賞。
服部:ありがたい話ですね。主人公が友達と交わす台詞回しや人との距離感も、僕の感覚そのままです。最初に「一人称ハードボイルドをやりたかった」と言いましたが、一人称だと僕の普段の思考が丸ごと出ちゃうんですよね。それはどうかな……と思いつつ、全部結局入ってます。だから僕のリアルな知人が読んだら、「全部アイツやん」と言われますね(笑)。
「僕は『活字』『マンガ』『ゲーム』『釣り』『音楽』でできてます」
ーー今作には希少生物や環境の話がありますが、服部さんは大学院の博士課程修了ですよね。もしかして、専門は生物系?
服部:いえ、僕はずっと文系の人間です。生物学や分類学に興味を持ったのは、もともと釣りが趣味で、30代に入ってから魚の種類に興味が出てきたんです。そこから分類学の本や図鑑を読み始めたら、素人なりに沼にハマって。
ーー意外です。経歴と紐づいているのかと。
服部:学生時代はずっと文系で、30代で一度転職したんですが、それは全く違う業界です。小説を書き始めたのは、子育てがある程度落ち着いた40代からですね。
ーーそしてついに作家デビュー。「遅咲き」といわれそうですが、これまでに培ったものがたくさんありそうですね。服部さんをつくってきたカルチャーはどんなものですか?
服部:「活字」「マンガ」「ゲーム」「釣り」「音楽」。僕はこの5つでできてますね。「活字」は極端にいえば、文字が書いてあれば何でもいいです(笑)。ジャンルにこだわりはなく、その時々の新作を読んできました。ミステリはもちろん好きですが、SFや時代小説、歴史小説などもよく読みます。
ここ数年は、意識的に翻訳ミステリを読んでいます。というのは、最初に書いた小説を妻に読んでもらったら「東直己さんにそっくりやな」と。でも、言われてみると僕自身「これはコピーやん」と思ったので、マズいと。
ーー受賞時のコメントにも「原尞さんや東直己さんが好き」とありましたね。
服部:そのお二人からの影響はいまだに残っていると思います。だから、これ以上日本人作家を読むのは止めようと、海外作品を手に取るようになりました。最近のミステリだと、ユッシ・エーズラ・オールスンの『特捜部Q』シリーズや、M・W・クレイヴンの『ボタニストの殺人』は面白かったですね。
ーー音楽はどんなものを?
服部:原点はYMOです。これが強烈な洗礼で、YMOしか聴かない数年間を過ごしたら歌モノが苦手になって、以降は時代の流行と全く外れたところにいます(笑)。
基本はマスロック、ポストロックが好きで、バンドでいえばインドネシアのMurphy Radio(マーフィー・レディオ)とか、日本ならtoe(トー)や、大阪のparanoid void(パラノイド・ボイド)、171(イナイチ)も好きです。リアルサウンドさんの171の記事が面白かったので、本当は僕の話よりその話をしたいくらい(笑)。
ーー次々に出てきますね。今作でも、椿が聴覚障害の少年にドラムを教える場面がイキイキと描かれていました。
服部:それも「好きなことを書いてみよう」という、僕の趣味の現れですね。ハードボイルドとしては異端だと思うので、認めていただいたのは本当に感謝しかありません。
「個人と社会の対峙」をテーマに書いていきたい
ーーでは、今後書いていきたいテーマ、モチーフなどは?
服部:たぶん、ひとつのジャンルを掘り下げるというより、その時々の自分が否応なく引き付けられたものを書いていくと思います。今興味があるのは、女子野球。プロ野球や高校野球も好きですが「これからは女子野球の時代じゃないか」とさえ思っていて。
ーーハードボイルドとはだいぶ違う世界ですね。
服部:そうですね。ただ、自分の中では「個人が社会と対峙する」というテーマがあって、どの作品でもそれを書きたい気持ちがあります。
ーーその個人とは、やはりマッチョではなく?
服部:何か大きなものに向き合いつつ、いかにやせ我慢するか。そういうものがモチーフにはなるだろうと思います。自分を出そうとするとこうなるというか、どうしてもそっちに関心が向いてしまいますね。
たとえば今作は『大阪ウェットランド』というタイトルですが、これは環境用語としての湿地帯や干潟の生物環境の重要性が、世の中にもっと知られてもいいんじゃないかと。
ーーそんな思いが根底に。
服部:興味のない方も含め、多くの人に知ってほしいという気持ちがあって。結構重いテーマをぶち込んでますよね。ただ、読者の方には楽しんでほしいので、エンタメとして読めるよう工夫したつもりです。本好きの方はもちろん、普段は本をあまり読まない方も楽しめる仕掛けをたくさん入れているので、「こんなスタイルのハードボイルドもありなんだ」と感じてもらえるとうれしいですね。
■書誌情報
『大阪ウェットランド』
著者:服部倫
価格:1,870円
発売日:2026年3月11日
出版社:光文社