武田砂鉄が語る、自分を明け渡さない生き方「『みんながやってるから』で自分を曲げるほうが偏屈」
会議や打ち合わせの終わらせ方について考えたり、仕事に行き詰まるとなぜか迷惑メールのフォルダを眺めてしまったり、同窓会で交わされる「変わらないね~」に思いを馳せたり。ほとんどの人がやり過ごすアレコレに「ちょっと待てよ。これって……」と立ち止まり、考え、また戻る。ライター・武田砂鉄の新刊『そんな気がする』(筑摩書房)は、“どうでもいい”と“これって大切だよな”の間を揺らぐエッセイ集だ。
「日経MJ」で連載中のコラムから厳選した123本を収録するという構成による書籍は、『べつに怒ってない』(筑摩書房)についで2冊目。時事性や批評性は薄め、いつ読んでも何となく楽しめる本作の成り立ちについて聞いた。
出がらしの雑巾をもう一滴絞るように書く
——新刊『そんな気がする』は、「日経MJ」の連載コラムをまとめた書籍。連載がはじまったのは2017年ですが、当初はどんなテーマでスタートしたんですか?
武田砂鉄(以下、武田):特にテーマはありませんでした。「武田砂鉄のそもそもそれって」という連載名なのですが、なぜそのタイトルにしたのかも忘れてしまいましたし、何の制約もなく、自由に書かせてもらっています。毎週締め切りが近づくと、机の前に座って「何かないかな」と無理矢理ひねり出す感じです。だいぶ前から出がらしになっていますが、「もう絞れない」という雑巾も、もう1回絞ったら一滴出たりするじゃないですか。その一滴を書く。出なければ「出ない」ことを書けばいいし、その後は、雑巾の古さについて書けばいい。そうやってつなげていけば何かが出てくる。文字数も800字くらいなので、とにかく出して、つないでいく。この連載は原稿フォーマットに合わせて書いてるんですけど、53行までいかなきゃいけないところ、18行くらいで止まったりするんです。そこからどう伸ばしていくかが腕の見せ所で、2段落目で急に話が変わることもあるし、なんとか続けていく。でもそれは、投げやり、ではなくて、それはそれで頭を使っています。
——もうムリというところから、何とか形にする。ヘヴィメタル的なやり方かもしれないですね。
武田:そうかもしれませんね(笑)。とりあえず、リフは思い付いたけど、これ、どうしようか? というか。多くのエッセイには「私の話を聞いてほしい!」という前のめりな要素があると思うんですけど、この連載の場合はそうではなくて、用意された箱に文字を埋める。長めの評論などの場合は、書いているうちに「ここを膨らませよう」と思ったり、自分が考えていることに気づいて別のアプローチを加えることもありますが、この連載は「とにかく埋めよう」なんです。これ、どちらがいいとか、ラクということではなくて、どっちも大事なんです。
「みんながやってること」を疑ってみる
——本書に収録されたエッセイは123本。「困る」「なんかいい」「その話はもう」などのテーマ別に編集されています。
武田:そこは編集者にお任せしました。もしかしたら編集者も今頃、「どうしてこれを選んだんだろう? なんでこの順番?」と思っているかもしれないけど(笑)、それくらいでいいんです。123本あるので、パラパラと読んでいけば8本くらい「おっ!」と引っかかるんじゃないかなと。
——8本でいいんですね(笑)。武田さん自身、本になったことで「確かにこう思ってた」とか「これはよく書けてる」みたいなことを思うのでしょうか?
武田:そうですね……(と『そんな気がする』のページを開く)「見たことのない景色」という回では、「ミュージシャンのインタビューを読んでるとよく出てくるのが『見たことがない景色を見せてくれた』というフレーズ」と書いてますけど、これ、ずっと気になっています。ライブのMCでこういうことを言う人がいますが、そのたびに「えっ、こっちは景色なの?」と。「みんなの笑顔が見られてうれしい」ならまだわかるんです。「見たことがない景色を見せてくれた」って、そのまま気持ちよく流せばいいけれど、じっくり考えると失礼な気がするし、「いつ頃から言うようになったんだ?」と気になっています。どうしてその言葉を選んだのか? を考えると、なかなか興味深いんです。
——なるほど。個人的に印象的だったのは、“~をやめたい”“~をしない”というスタンスの文章でした。「他人のデザートを査定するのをやめたい」(「他人のデザート」)、4月によく見る“新生活”に対して「この先どうなるか『わかんない』んだから、新しくならない状態を大切にしたい」(「新しくならない」)など、なんとなく当たり前とされているものに「そうなの?」という視点を向けるのも武田さんらしさなのかなと。
武田:そうかもしれないですね。みんながやってることに対して「なんでそれをやってるんだろう?」と考えて、自分はやらないかもなと判断するまでにも2段階くらいの過程があります。こういう話をすると「偏屈な人間だ」と言われるんですが、自分に問いかけて答えを出すって、すごく素直な行為だと思うんですよ。「みんながやってるから」という理由で、自分の意図と反する行動を取るほうがよっぽど偏屈だと思います。たとえばみんなが水を飲んでいるとして、本当はコーラが飲みたいのに「みんな水を飲んでるから、自分もそうしよう」って、自分の気持ちを捻じ曲げてることになる。自分が思っていること、考えていることが少数派であっても、それを明け渡す必要はありません。
雑誌好きの視点でエッセイを書く
——「みんなはこうだけど、自分はこうです」を素直に表明するのが難しい世の中なのかもしれないですね。
武田:よくないですよね。今の政治もそうですけど、どこかが一方的に勝つと「これだけ勝ったんだから、黙れよ」という人がいっぱい出てきます。おかしなことです。大勢の側に立つことで自信を持つなんて、よっぽど自分がないんだなと思いますね。
——世の中の流れみたいなものに乗らず、「どうなの?」と立ち止まることも大切ですよね。それも本書に通底しているスタンスなのかなと。
武田:全部つながってますからね。“かき氷のブルーハワイ味”についても書いてますけど(「ブルーハワイ」)、「ブルーハワイと高市政権について書いてほしい」と言われれば、書けると思うんです。こじつけになるかもしれないけど、じっくり見ていけばどこかでつながっているはずで、まったく別のところに存在しているわけではない。そういう可能性は捨てないほうがいいなと思ってます。
——そうやっていろんな要素を繋げていく、と。
武田:雑誌がまさにそうだと思うんですよね。巻頭のエッセイがあり、特集のスクープ記事があり、連載コラムがあり、グラビアがある。僕が日々やっていることもそれに近いところがあると思っています。今の社会に対する評論を書いた後に、芸能ニュースをネタにしたコラムを書いたり、そして、『そんな気がする』のような“中身があるようなないような”文章も書きます。「これは雑誌でいうと、このくらいのページにあるやつだな」みたいな視点を自然に持っているはず。そこには編集者的な視点もあるし、雑誌好きの視点もあると思いますね。雑誌って、「高市政権を問う」の後に「羽賀研二が再び……」とやるわけですからね。
——すごい落差ですね(笑)。
武田:雑誌を読んできた世代からすると、当然の落差なんです。政治の話、ほっこりした日常の記事、芸能スキャンダルが並んでるという。朝の情報番組もそうですよね。政治のニュースを見て、星座占いにガッカリして、そのテンションのまま石原さとみ新CM発表会の映像を見たりするわけですから。そういう偶然性、一回性みたいなものって、面白いと思うんですよ。政権の問題、さそり座が12位、石原さとみの新CMが並ぶのはその日しかないわけで、その時に自分の頭のなかで何が起きてるかを見つめるのが楽しいんです。
どんな出来事も「1回しかない」と思えば楽しい
——本書のあとがきにも書かれてましたね。「あらゆる物事は一回きりだ。この流れが再現されることはもう二度とない。大した出来事ではないが、その出来事自体を愛でたいと思っている」と。
武田:いいこと書いてますね(笑)。その「あとがき」は新宿の喫茶店で書いたんですけど、ガトーショコラを注文してお手洗いに行こうとしたら、「ガトーショコラだけがございませんでした」と声を掛けられて。振り向きざまに「では、ショートケーキで」と言ったんだけど、そのまま歩こうとして段差につまずいたという話で。些細なことですけど、その光景はもう二度と訪れないわけですよね。この話自体、別に面白いわけではないし、どうってことないんだけど、「1回しかない」と思うと語りがいがあるというか。
——そうやって日常を観察する力はどうやって養ってるんですか?
武田:どうなんでしょうね。(本をめくりながら)「何人もいるアイドルグループが笑顔で並んでる写真を見て、どの人の笑顔が本物で、どの笑顔が偽物かを判別しようとする。嫌な趣味である。」(「笑顔になる途中」)と書いてますけど、これ、やりますよね?
——やりますね(笑)。
武田:写真が掲載される前には、事務所のなかでいろんなやり取りがあるはずなんですよ。Aちゃん推しのスタッフが写真を選んでいたら、Bちゃん推しのスタッフが「こっちのほうがいい」と言い出して、別のスタッフが「間を取って、これでどうですか?」と入ってきたり。もちろん勝手な妄想で、もっと冷静な戦略があるはずですが、そういうことを考えたほうが面白くないかなと思うんですよね。この前、連載で書いたのは妻と福岡に行ったときの話で。夜遅くまでやってるアイス屋さんに行ったら、いろんな組み合わせのお客さんが入ってくるんですよ。「男性1人、女性4人」だったり「中年男性1人、若い女性1人、若い男性3人」だったり。それを見ながら「送別会の流れかな? いや、会社の飲み会の二次会に行きたくない人がこっちに流れたのかな?」みたいなことを勝手に話してたんですけど、そういうの楽しいじゃないですか。
——それができるとずっと退屈しないですね。
武田:そういう想像が新しいモチベーションにつながることもあるんですよ。今、いくつかラジオ番組をやっていて、番組でゲストの方と話しているときもそうなんです。もちろん自分が聞きたいこともあるんだけど、相手の反応や表情を見て「本当はこんなことを考えてるんじゃないかな」みたいなことを加えると、別の話にも広げられるので。別の目線を入れて、混ぜていく。喋っていても書いていても、そういう感覚はありますね。
曇天くらいのテンションでちょうどいい
ーーテンションが低めで安定しているのも、武田さんの文章の特徴だと思います。怒りに任せたり、ブチ上がるような感じで書くこともないですよね。
武田:文章でも日常的な場面でもそうですけど、怒りに任せて行動しても、その怒りを収めるときが来るじゃないですか。その収めるとき、というか、「怒り終わり」を見るのが恥ずかしくてしょうがないんですよね。小学校の時の先生にしても、会社勤めしていた時の上司にしても、怒られる原因を作ったのは自分なんですが、「この怒り、この後どうするのかな」と思ってたし、怒りを表明するのは、終わらせるのが難しいし恥ずかしい、という気持ちがどこかにあるのかもしれないですね。あと、最近は「気持ちを晴れやかに」などとやたらと言いがちな風潮にも警戒感があります。ミュージシャンもよく「明けない夜はない」みたいなことを言いますけど、そこまで明るさを目指さなくていいんじゃないかなと。
——確かに前向きで明るいことが正義みたいな空気はありますね。
武田:ずっと曇天でいいと思うんですよね。晴れを目指すから、雨が降ると「どうして晴れじゃないんだ」と焦ってしまうわけで、ずっと曇天だと思ってれば「まあ、こんなもんか」という感じで日々を過ごせると思うので。僕も“テンション爆上がり”みたいなことはないですけど(笑)、それなりに楽しく生きてるつもりなので。
——それは本書からも伝わってきました。このテンションで生活していると、全然退屈しないだろうし、毎日楽しそうだなと。
武田:そう思ってもらえるとありがたいです(笑)。今回の本の表紙、ウサギが金色になってますから。SNSにも投稿したんですけど、光の入り方次第で暗くなったり、光ったりするんです。
——見る角度によって表情が変わる。この本の内容みたいですね。
武田:まさに。ウサギの顔が「今日もがんばろうぜ!」に見えるのか、呆然としてて「今日はムリ」に見えるのか。表紙を見るだけでその日の状態がわかるかもしれません。朝のワイドショーの占いより正確です(笑)。こんな加工までして売れなかったら編集者が大変なことになるので、ぜひ手に取ってみてください。
■書誌情報
『そんな気がする』
著者:武田砂鉄
価格:1,870円
発売日:2026年3月11日
出版社:筑摩書房