「2025年 情報・テクノロジー本BEST3」速水健朗 編 AI時代に問い直す〈管理〉と〈自由〉の行方
第1位 『修理する権利 使いつづける自由へ』アーロン・パーザナウスキー・著、西村伸泰・訳(青土社)
第2位 『飛脚は何を運んだのか 江戸街道輸送網』巻島隆(ちくま新書)
第3位 『サトシ・ナカモトはだれだ? 世界を変えたビットコイン発明者の正体に迫る』ベンジャミン・ウォレス・著、小林啓倫・訳(河出書房新社)
米TIME誌は2025年の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に「人工知能(AI)の設計者たち」を選出した。ちなみに同誌は1982年に「The Computer(パソコン)」を選んでいた。当時はコンピューターが普及し始めた初期で、このチョイスは洒落の効いたものとして受け止められたのだろう。当時は「5、6年以内に労働人口の60パーセントがコンピューターの前で仕事をするようになる」と予測されていた。43年を経た現在、AIによる失業を懸念する人の割合が71%に達している(米ロイター/イプソス、2025年8月)。「パーソン・オブ・ザ・イヤー」を人間以外に賞を与えると洒落にならない時代になったのだ。
『修理する権利 使いつづける自由へ』(アーロン・パーザナウスキー・著、西村伸泰・訳)
さて、今年の本のベスト3を、情報やテクノロジーの話に結びつけて選んでみた。人間と機械の関係は、どのように変わりつつあるのか。それを示す書籍として、まずは『修理する権利 使いつづける自由へ』(アーロン・パーザナウスキー・著、西村伸泰・訳、青土社)を取り上げたい。
いまどきの電子機器メーカーは、できる限り独自部品を使うことで知的財産権の囲い込みを行う。例えばスマホは、裏ぶたを開ければ保証対象外と警告される。だから街の修理屋ではなくメーカーへの持ち込みを余儀なくされつつある。修理市場をメーカーが独占すれば、競争原理は働かず、修理代金は高くなる。メーカーとしては、買い換えてもらう方がお得とユーザーに思ってもらったほうがビジネス上有利でもある。そんな具合に実際に、少し前までたくさんあった街の修理屋の数も減りつつある。
著者は知財の専門家。かつてユーザーの権利であった修理がビジネス的にも、制度的にも縮小しつつある。ただし、100年前はまるで状況が違った。100数年前、ヘンリー・フォードはT型フォードの普及にあたり、自社製品に汎用部品を多用し、構造をシンプルに保つことで、街中に修理工場が増える土壌を作った。どこでも直せる安心感が、自動車の爆発的な普及を後押ししたのだ。規格化や標準化は、修理の権利の拡大でもあったということ。
対して、現代のテスラが志向するのはその真逆である。部品は独自規格化され、多くの不具合対応はソフトウェア・アップデートによって処理される。この問題は、欧州でiPhoneをはじめとする電子機器の充電端子が「USB Type-C」に統一(義務化)された動きとも地続きだ。単なる不便の解消ではない。標準化や規格化は、メーカーの囲い込みを防ぎ、ユーザーの主権を守る。「修理する権利」という補助線があって初めて、その本質が見えてくる。
『飛脚は何を運んだのか 江戸街道輸送網』巻島隆
第2位は、江戸の飛脚の話。
江戸時代の日本は、内戦もほぼなく、緩やかな中央集権国家として運営されていた。ただ、そこには街道という、わりと立派な近代的な交通網が整備されている。『飛脚は何を運んだのか 江戸街道輸送網』(ちくま新書)は、『南総里見八犬伝』の著者である滝沢馬琴の日記に残された記録を元に、当時の飛脚システムについて掘り下げた一冊だ。
馬琴は、江戸に住みながら大阪の版元と飛脚を使って校正(ゲラ)をやり取りしていた。編集者と著者が顔を合わせずとも書籍の刊行が可能だったのだ。重要なのは、これが民間の商人の事業として成立していた点である。安価で使いやすいサービスでなければ、こうした日常的な利用はできない。そして、一度送れば8、9日で届く。この期間も、料金次第で早く運ぶことは可能。このあたりも民間ゆえ。ただ、飛脚という仕組みは、明治になると郵便制度という官営のものに置き換わってしまう。
古今東西、大きな国家は道路や通信制度を整えることで、広い領土の統治を行ってきた。GoogleやTikTokの利用を政府が制限しようとする最近の動きを見ても、通信のインフラを誰が管理するかという問題は、現代でも変わらないルールなのだ。
『サトシ・ナカモトはだれだ? 世界を変えたビットコイン発明者の正体に迫る』ベンジャミン・ウォレス・著、小林啓倫・訳
3位に選んだ『サトシ・ナカモトはだれだ? 世界を変えたビットコイン発明者の正体に迫る』(河出書房新社)は、ビットコインの生みの親とされる謎の人物の正体を追うノンフィクションだ。
すべての始まりとなる技術論文が発表されたのは、2008年10月31日。その後、サトシ・ナカモト(偽名とされる)としての最後の痕跡が確認されたのは2014年3月7日。著者は当時のメーリングリストでのやり取りなどを手掛かりに、その足跡を追っていく。
結論から言えば、本書にその正体の答えは書かれていない。だが読み進めるうちに突きつけられるのは、あらゆるログが残り、追跡可能なこの現代において、完全にその行方を隠し通すこと自体が、奇跡に近いという事実だ。その中でサトシ・ナカモトは10年間完全に姿を消し続けている。なぜそこまでして、彼は匿名性を貫くのか。それは、この人物が単に変わり者だったからではない。
そもそも暗号通貨は、国家の管理を受けない、中心の存在しない通貨を目指して生まれた。ビットコインもそうだ。中心がドーナツの穴のように空白であるからこそ、特定の権力に依存しない分散型のシステムが成立する。そのパズルの考案者であるサトシ・ナカモトは、自ら姿を消すことによって、その最後のピースを完成させたということ。