「老い」から逃れることはできるのか? オートファジー研究者・吉森保に聞く、老化研究の最前線
オートファジー研究の第一人者である吉森保氏の新刊『私たちは意外に近いうちに老いなくなる』(日経BP)は、老化研究の最前線を、各分野の研究者への取材を通してつないでいく一冊だ。
著者の専門であるオートファジーの話題に始まり、免疫、細胞の老化、長寿な生き物、逆に短命な生き物まで、様々なトピックに関する最先端の研究が紹介される。皮膚のシワやシミ、睡眠習慣など、普段の生活に活かせるような身近な話題も多い。
扱う話題は最先端の生命科学だが、著者によって噛み砕かれた記述になっているため、生物の知識がなくても読みやすい1冊となっている。
そもそも「老い」とは何か。なぜ「意外に近いうちに」状況が変わると言えるのか。取材の舞台裏から、オートファジーと老化の関係、そして老いが制御可能になった先の社会像までを聞いた。
「老い」とは?
吉森:老化というのは複合的な現象なので一言で言うのは難しいのですが、たとえば「年を取ると病気になりやすくなる」という面から老化を捉えることもできます。専門的には加齢性疾患と呼ばれるもので、がんなどは年齢とともに発症率が上がる。今回の本も、まずは「年を取ることで病気になりやすくなる」状態を、どこまで避けられるかという視点が大きいです。
ーー「意外に近いうちに」というのは、どれくらいをイメージしていますか。
吉森:「近いうちに」なんて書いてますが、科学の世界では「何年まで実現できます」とはなかなか言えません。ただ、具体的に言うなら、5~10年のうちに老化はかなり制御できる方向に進むと見ています。完全に老いなくなる、不老になるというよりは、「受け入れるしかなかったものが、こちら側がコントロールできる領域に入ってくる」という感覚ですね。
ーーそう感じるのは、何か決定的な発見があったからなのでしょうか?
吉森:そうではありません。老化は複合的なものなので、何か一つでパッと全部解決できるようなものではないんです。いろいろな側面・原因それぞれで研究が進んでいて、全体が底上げされてきている。だから遠くない将来に大きな変化が来るだろう、という見立てです。
また、技術の進展によって、ちょっと前には想像もできなかったスピードで研究が進むようになった分野もあります。例えば、この数年ChatGPTなどの生成AIが話題ですが、生命科学の分野でもAIは活躍しています。たんぱく質の構造予測は以前は何年もかかるものでしたが、最新のAIではたった10分程度で高精度な予測ができるようになったんです。みなさんご存知のようにAIは平気で嘘をつくので人間がやらなければならないことはまだまだありますが、この技術によって薬の研究などは大きく加速しました。
このような予想外のブレイクスルーが今後もあるだろうという期待も含めて「近いうちに」と書いています。
老化の研究を通して覗く、現代の生命科学
吉森:老化についての本を書こうと思った段階で、こうしようと決めました。私は細胞内の現象であるオートファジーの研究者であって、老化そのものの専門家ではありません。老化は原因も結果も多様で、分野ごとに専門家がいる。ならばそれぞれの先生に話を聞いたほうが早いと考えました。
老化は生命のあらゆる側面に関わってくる題材なので、通して読むことで、現代の生命科学を俯瞰することができるような一冊に仕上がったと思います。
ーー9名の専門家に取材されたとのことですが、意見が割れる部分や、相反する主張はありましたか。
吉森:意外なことに、ありませんでした。先ほども言ったように老化は定義しにくいものなので、捉え方の違いや意見の相違があってもおかしくないと思っていたんですけどね。特に、「老いは必ずしも悪いことじゃない」「老いにも役割があるんじゃないか」という感覚は分野を超えて共有されているようでした。
ーー各章のテーマはどのように選びましたか?入れたくても入れられなかったテーマもありましたか?
吉森:はい、本当はもっと入れたいテーマはありましたが、多すぎると読むのも大変になってしまうので数を絞りました。なるべく尖っていて一般の方が知らない話題を選んだつもりです。
ーー取材や執筆の過程で苦労したのはどんな点でしたか。
吉森:みなさん噛み砕いてお話してくださるんですが、やはりそれぞれの領域での最先端の研究ですので、生命科学の研究者である私が話を聞いていても難しいところがありました。それを生物や理系の話題に馴染みのない方が読んでも理解しやすいようにまとめる、という作業が一番大変でしたね。
ーー本書は本当に読みやすくて驚きました。このような一般向けの書籍を書こうとしたきっかけは何かあるんでしょうか?
吉森:コロナ禍を通じて、社会全体の科学リテラシーを高めていくことがとても大事だと痛感しました。生命科学の分野は特に、下手をすると命を落としてしまうことにもつながるので……。本書のテーマである老化についても、どんどん新しい技術が出てくると思いますが、安全面や倫理面で議論が必要になるはずです。その時、専門家以外の方も自身で考えたり議論できたほうが良い。そのために専門家として貢献していかねばと思っています。
老化とオートファジーの関係
吉森:オートファジーは、細胞が自分の中身を少しずつ分解し、材料として再利用しながら入れ替えていく仕組みです。単なるリサイクルというより、古い部品を壊して新しいものに作り替え、細胞を良い状態に保つことが重要なのです。細胞が健康なら、結果として体全体の健康にもつながります。
もう一つの役割は、細胞内の有害なものを除去することです。細菌やウイルスなどの侵入者を分解し、アルツハイマー病やパーキンソン病の原因となるタンパク質の塊も処理します。さらに、傷んで活性酸素を漏らす危険のあるミトコンドリアが出ると、それだけを選んで処分し、細胞へのダメージを防ぎます。
ーーオートファジーは2016年に大隅良典先生がノーベル賞を受賞したこともあって耳にする機会が増えましたが、誤解されてしまっている例などもあるのでしょうか。
吉森:典型的な例は「オートファジーダイエット」ですね。16時間断食するとオートファジーが活性化して痩せる、という話が広まりました。でも、そもそもオートファジーはダイエットと直接イコールではないですし、10時間以上断食することでオートファジーが数倍に活性化するというようなデータは今のところありません。
ーーオートファジーを活発にするために断食する必要はない?
吉森:そうです。オートファジーは何もしなくとも日々、身体の中で動いています。空腹になると活発になるということはありますが、断食せずとも腹八分目で我慢するだけで十分です。「適度な運動、バランスの良い食事、よく寝る、食べ過ぎない」といった一般的に健康に良いとされることを心がければオートファジーの活性化にもつながります。極端なことや特別なことをする必要はありません。
ーー今年(2025年)のノーベル生理学・医学賞受賞で話題になった「制御性T細胞(Tレグ)」も老化と関係しているのでしょうか?
吉森:はい、関係しています。制御性T細胞は免疫の暴走を抑える役割を果たすものですが、年を取ると増えてくる。高齢者は免疫力が弱く、ワクチンが効きにくいとか感染症に弱い、ということが知られていますが、制御性T細胞の増加がその一因なんです。
ーーオートファジーとの関連もありますか?
吉森:実はあります。年をとって増える制御性T細胞は、若い人の制御性T細胞と少し違って機能が正常じゃないんです。一般の免疫は弱めてしまうのに、抑えるべき炎症や自己免疫疾患をうまく抑えられない、という問題が起こる。この機能低下にオートファジーの低下が関与している可能性が示唆されていて、制御性T細胞とオートファジーと老化はつながっているんです。
老いを克服した社会はどう変わる?
吉森:超高齢社会はディストピアとして語られがちです。実際、このままだと、医療費や介護の負担で社会全体が圧迫されてしまう。でも、もし健康寿命を伸ばせたら――お年寄りが元気で働けたら、労働人口の減少も和らぐし、なにより本人がハッピーになれる。社会への貢献がモチベーションになって、さらに生きる力になる。
完全に老化をなくさなくても、ある程度元気であれば成立する。そうすると人生観も変わって、いまは「年を取るのが嫌」だけど、年を取るのが楽しくなるかもしれない。
私は年を取ること自体は悪いことじゃないと思っています。経験も増えるし、アンティークのように価値が出る。ただ、病気はよくない。加齢による病気を減らせれば、温かくて明るい社会に近づくと思います。
ーー老化の克服に向けて、吉森先生ご自身は今後どんなテーマに注力したいですか?
吉森:私はオートファジー研究者なので、やるならオートファジーです。特に、ここからは社会実装を頑張りたい。これまで30年、仕組みを調べる基礎研究をやってきました。次はそれを使って、実際に人間を若がえらせられないか、というチャレンジです。いまの人生最大のテーマですね。
ーー最後に、この本をどんな人に読んでほしいですか。
吉森:もちろん老いが迫っている世代は気になると思うので、まず読んでほしい。でも私は若い人や子どもたちにも読んでほしい。生命科学の教科書的にも読めますし、将来必ず老化に向き合う世代こそ、社会の設計を考える意味でも必要だと思うからです。すでに年を重ねている方も、「手遅れ」だと思わないでほしい。若返りの可能性もあります。つまり……全員に読んでほしい、ですね。
■書誌情報
『私たちは意外に近いうちに老いなくなる』
著者:吉森 保
価格:1,980円
発売日:2025年11月15日
出版社:日経BP