『悪役令嬢転生おじさん』なぜヒット作に? 中年男×令嬢の“独創性“と父親としての“人間力”

「異世界転生」+「悪役令嬢」の鉄板コラボに「中年公務員」を掛けたら傑作が生まれた。上山道郎の『悪役令嬢転生おじさん』(少年画報社)は、52歳の公務員がゲーム世界の悪役令嬢に転生して起こる騒動のコミカルさで人気の漫画。2025年1月から始まったTVアニメの出来の良さにも押し上げられて、これまで以上の評判を獲得し始めている。

悪役令嬢もののテンプレートを踏んで…いない?

 妻沼田市役所に勤める屯田林憲三郎52歳が、ボールを追って道路に飛び出した子供を助けようとしてトラックにはねられ、目覚めるとファンタジー世界の公爵令嬢になっていた。『悪役令嬢転生おじさん』はそんな、異世界転生もののテンプレートといったシチュエーションで幕を開ける。

 転生したのが乙女ゲームの悪役令嬢ということで、そこから悪役令嬢もののテンプレートにも沿うように、ヒロインの成功を邪魔して断罪される悲惨な運命から逃れようと頑張る話になるのだろう。そう思ったら違っていた。屯田林憲三郎は真面目に生きてきた公務員だけあって、転生したグレイス・オーヴェルヌという名の悪役令嬢の役割を、しっかり勤め上げようと決意する。

 ここでひとつツッコミたくなる。真面目な公務員がどうして乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまった状況を平然と受け入れられるのか? 悪役令嬢としてどのように振る舞うべきかを理解できていたのか? それは、屯田林憲三郎が若い頃から筋金入りのオタクだったからだ。仕事は仕事としてこなしながら、プライベートでは妻と娘ともどもオタク趣味を嗜んでいたことから、乙女ゲームの世界にすんなりと入り込めた。むしろ入り込むことこそが本道とすら考えていた。これぞオタクの鏡といった振る舞いだ。

 そして、こうした設定が、『悪役令嬢転生おじさん』をムフフといった笑いが漏れ出る作品にしている。グレイスはさっそく、転生した乙女ゲーム『マジカル学園ラブ&ビースト』のヒロイン、アンナ・ドールを虐めにかかる。平民ながら魔法の素質に優れていて魔法学園に首席で入学したアンナが、虐めなどの障害を乗り越え王子をはじめとした攻略相手の誰かと結ばれるというのがゲームのシナリオ。ならばとグレイスは校門で待ち構え、登校してきたアンナにこう言い放つ。

「この学園は本来、貴族の生まれでなければ入れない場所ということはご存じなのかしら?」。まさしく悪役令嬢だ。続けざまに罵倒して辱めることで、アンナは発奮して学園生活を頑張り、イケメンの誰かと結ばれ幸せになるのだ。だからグレイスは、怯えながらうなずくアンナにこう畳みかける。「さぞかし見識のある親御さんに大切に育てられたのでしょうね……!」。おいおい、それは罵倒ではなくて慈愛だぞ?

 そうなのだ。グレイスは悪役令嬢でも、中に入っている屯田林憲三郎は妻がいて娘もいる父親なのだ。アンナ相手にも親としての感情が出てしまって、罵倒の言葉が慈愛に変わり、怯えさせるどころか感動させてしまった。以後もグレイスは、悪役令嬢として振る舞うべきところを親の立場で話してしまい、管理職としての経験も乗せてアンナを導いたことで、アンナが結ばれるはずだったイケメンたちから信頼されるようになってしまう。

『ナイツ&マジック』『本好きの下剋上』など他の異世界転生系との違い

 前世の経験や知識が、転生後の世界で役に立つというのも異世界転生ものの重要な要素だ。凄腕のプログラマーが異世界で巨大ロボットを作り出す天酒之瓢『ナイツ&マジック』(ヒーロー文庫)や、現代人の女子が異世界に存在していなかった紙を発明し、菓子も作って成り上がっていく香月美夜『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~』(TOブックス)など例を挙げればきりがない。

 ただ、『悪役令嬢転生おじさん』のように公務員としての仕事の知識や、父親としての人生経験が異世界で役に立つ、それもまったく立場が異なる悪役令嬢に転生して良い方向に働くというのは、他にあまり例をみない。男性サラリーマンが異世界の女の子に転生して、軍人となって戦功を上げ続けるカルロ・ゼン『幼女戦記』(エンターブレイン)も、役に立っているのは軍事や歴史の知識で、人間性はあまり関係ない。

『悪役令嬢転生おじさん』の場合は、中年の公務員で父親だっただけに過ぎない人間の存在そのものが、異世界の悪役令嬢として大いに役立ってしまう。目上の人にはお辞儀をする屯田林憲三郎の社会人としてのモットーが、スキルのような「優雅変換(エレガントチート)」の影響で貴族令嬢らしい所作となって現れ、周囲からの賞賛を集めてしまう。公務員としての事務処理能力や中年ならではのおやじギャグまでもが、グレイスの存在感を際立たせてしまうから意味が分からない。

 それではもはや悪役令嬢ではないだろうというツッコミがここでも入りそう。実際、ストーリーが進むに連れて「悪役」といった雰囲気は薄れ、貴族令嬢の中に中年男性が入って起こる意外な展開の面白さにウエイトがかかってくる。ただ、舞台が完全な異世界ではなく、あくまでも乙女ゲームの中だという設定が、単行本の第2巻に描かれるエピソードによって改めて浮かび上がって、現代への帰還という道が見えてグレイスの行動に関わってくる。これが先への興味を誘う。

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