中世でも近代でもない、ヨーロッパ「近世」の特徴とは? 宗教、経済、帝国、戦争で捉える新たな歴史観

 ヨーロッパ史において「近世」とはいかなる時代か。宗教改革からフランス革命にかけてのこの時期は、ときに「近代」の準備段階とみなされ、ときに「長い中世」の一部とされてきた。だが近年、複合国家論などが提唱されるなかで、中世とも近代とも異なる独自の時代として近世を位置づける動きが広がっている。

 静岡大学名誉教授・岩井淳氏による新書『ヨーロッパ近世史』(ちくま新書)は、近世を多様な地域が複雑に絡み合う歴史的空間と捉え、人やモノのグローバルな移動に注目することで、これまで教科書などでは十分に語られてこなかったその複雑なうねりをダイナミックに描き出した一冊だ。

 岩井淳氏に、ヨーロッパ近世史を巡る現在の状況と、いま改めて学ぶ意義を聞いた。

ヨーロッパ近世には、500前後の独立した政治単位が存在した

――本書『ヨーロッパ近世史』を書くに至った経緯と理由からお話しいただけますか。

岩井:本書はヨーロッパ近世という時代を「諸地域からなる複合国家」と「人や情報のグローバルな移動」という2つの特色から描いたものです。本書の「あとがき」でも指摘したように、高校の教科書などを見ると、近代という時代を国民の一体性を強調する「国民国家」の考えに基づいて説明しようとする見方が一般的です。そして、それに対応するように、ヨーロッパの近世を「主権国家」の時代として説明しようとする傾向が強くあります。つまり、近世とは近代の前段階として国家に権力が集中していった時代であって、それに成功したからこそ、ヨーロッパの国々がいち早く国民国家を発展させたという見立てです。しかし、本当にそうなのか? そのような見方によって、見落としているものがあるのではないか? そういった素朴な疑問が、本書の出発点になっています。

――ヨーロッパの「近世」とは、具体的にはいつ頃の時代を指すのでしょう。

岩井:近世というと日本史の場合は主として江戸時代を指すのですが、ヨーロッパ史では通常、15~16世紀の大航海時代や宗教改革に始まり、18世紀後半のイギリス産業革命とフランス革命までを念頭に置くことが多いです。ただ、この近世という区分自体、古くからあったわけではなく、19世紀までの主要な歴史家たちは、ヨーロッパ史の時代区分として古代、中世、近代という三分法を用いていて、大航海時代や宗教改革から始まる時代は、中世とは区別される近代として認識されることが一般的でした。実際、「近世」というのは英語ではearly modern、つまり「初期近代」と表現します。しかし、宗教改革からフランス革命まで300年近くあるわけで、それが19世紀まで続いていくというのは、時代区分としてはあまりにも長い。その時代を19世紀以降の歴史に従属させるのではなく、ある程度の独自性をもった自立した時代として捉える必要があるのではないか。そういう捉え方が、今の歴史学では一般的になっているんです。

――自分が高校で世界史を学んだ頃は、教科書の中に「近世」という区分は無かったような気がします。

岩井:そうかもしれません。ただ、17世紀の前半にオランダで作られたヨーロッパの地図などを見るとよくわかるのですが、そもそも近世ヨーロッパの国境線は、現在の国境線とはかなり違っています。1500年頃、近世ヨーロッパには、500前後の独立した政治単位が存在したと言われています。それが1900年には25ヵ国まで減少している。つまり、小さな政治単位が大きな政治単位に吸収されながら、現在の状況に近づいていったということなのですが、ここにはひとつ問題があります。

 近代歴史学は、19世紀に帝国主義的な列強となるドイツやイギリス、フランスといった国々で19世紀に成立しました。それらの国々が、自分たちの国家が正統的な国家であることを国内外に表明するために、近代歴史学が作り上げられていったところがあります。そのため、イギリス史はロンドンがあるイングランドを中心に、スペイン史はマドリードがあるカスティーリャを中心に、ドイツ史はベルリンがあるプロイセンを中心に描かれていくわけですが、そうするとやはり、そこから抜け落ちてしまうものがあります。イギリスのスコットランドや、スペインのカタルーニャ、あるいはドイツのザクセンやバイエルンなど、近世においては主権を持っていた地域が、軽視あるいは無視されてしまうのです。つまり、近代の国民国家を起点として近世までさかのぼっていくと、近代に国民国家を形成できなかった地域の歴史が、丸ごと抜け落ちてしまうことになる。

――なるほど。近世にはもっと多くの独立した政治単位があったのに、それがなかったかのようにされてしまうと。

岩井:さらに言うならば、それによってイギリス史の中心と見なされるイングランドは、スコットランドやウェールズに比べて、主権国家から国民国家への発展に貢献した「進んだ地域」であるという見方が、いつの間にか浸透していったところがあります。明治期の日本が欧米諸国に対して持っていた、あの国は自分たちの国よりも「進んでいる」といったイメージですね。こうした現象を私は「国家の優生学」と呼んでいるのですが、そのような見方はやはり見直されるべきでしょう。そういった主権国家から国民国家への進化を当たり前とするような見方ではなく、これまで注目されなかった地域の歴史にも目配りをしながら、ヨーロッパ近世史を再構成する必要があるのではないか。そのためには「複合国家」という捉え方が有効なのではないかと考え、それを基軸にして本書を執筆しました。

――複合国家とは、どういったものを指すのでしょう?

岩井:複合国家とは、ある国の主権者(君主など)が、法的・政治的・文化的に異なる複数の地域を同時に支配する体制のことです。最近の近世史研究では、この複合国家という枠組みを用いて、近現代との連続性よりも、近世ヨーロッパの独自性を提示する傾向になっているのです。もちろん、一人の君主が複数の地域を統治するような「複合君主政」こそ、本来の複合国家であって、君主がいなければ複合国家は成り立たないという議論もありますが、私の場合は、君主のいない「共和政」を経験した国にも、複合国家的な側面があると捉えています。それで、本書の第二部では神聖ローマ帝国やスペイン、フランスといった「複合君主政」の国々を取り上げながら、第三部ではオランダやイギリスといった「共和政」を経験した国々を複合国家として見ていくことにしました。

ナショナルヒストリーでは捉えられない近世ヨーロッパの特色

――先ほど、1500年頃のヨーロッパには、500前後の独立した政治単位があったという話がありましたが、それを現在の国の枠組みで捉えようとすると、なかなか複雑なところがありますよね。

岩井:そうですね。それこそドイツがいちばん複雑で、今のドイツ連邦共和国みたいな国が近世にあったら分かりやすかったのですが、神聖ローマ帝国の中がさらに複雑に分かれていて、途中から皇位を世襲するようになるハプスブルク家の君主国に至っては、神聖ローマ帝国からはみ出した東のほうにも領土を持っていた。プロイセンも神聖ローマからはみ出して、現在のバルト三国のほうにも領土を持っていたりするので、かなり複雑です。

 ただ、私たちは、各国単位で歴史を見るということ、いわゆるナショナルヒストリーというものに、少し慣れ過ぎているようにも思います。各国の歴史ごとにヨーロッパ近世史を捉えていって、そこである種のサバイバルレースが始まって、最後に残っていくのがプロテスタントではイギリス、カトリックではフランスで、その両者が雌雄を決するといったような見方ですね。そういった大国の興亡史が、かつては歴史学の世界においても強かったのですが、それでは近世ヨーロッパの全体的な差異が捉えられないのではないか。そもそも、それらの国々は必ずしも集権的にまとまっていたわけではなく、その国の中にも地域的な多様性があります。国家としてのまとまりは、戦争などによってつくられ、その点を意図的に強調していったようなところだってあるわけです。

――なるほど。その場合、どのような基準で近世ヨーロッパを見ていったらよいのでしょう?

岩井:本書でも描いたように、近世ヨーロッパの場合、たとえば「宗教」があります。宗教というのは、ヨーロッパ近世史を考える上で、非常に重要な要素のひとつです。イングランドでは国教会、フランスとスペインはカトリック教会、ドイツだとルター派が強いなど、宗教についても私たちは国単位で考えがちなのですが、実際にはそのような「一国一宗教」のような形にはなっておらず、国内にも複数の宗派が存在していました。とりわけ、近世ヨーロッパの場合、キリスト教が中心にあることは間違いないのですが、16世紀に始まる宗教改革がカトリックとプロテスタントの分断を招いていくなど、宗教が内紛や戦争の要因にもなっていったわけです。

 ただ、それが逆に、人や情報の移動をもたらしたところもあり――たとえば、スペインでユダヤ教徒が迫害されたとき、あるいはフランスでユグノーと呼ばれるプロテスタントの人たちが迫害されたときに、それらの人たちがイングランドやプロイセンなど、プロテスタント地域に移住していったわけです。そういうふうに宗教的な対立が、他国への移動、さらにはその人たちが持っていた技術の移転、ひいては富の移転をもたらしていったという側面があります。それが、近世ヨーロッパのひとつの特徴でもあるんです。

――それが、最初に挙げられた「人や情報のグローバルな移動」にあたるわけですね。

岩井:そうです。それは、政治的なことだけではなく、経済現象とも密接に関わっています。さらに、17世紀になると、ピューリタンがアメリカ大陸に渡っていくなど、新天地を求める動きも活発になっていく。つまり、近世のキリスト教は、世俗権力によって完全に統制されていたわけではなく、ひとつの「歴史を動かす力」として、ときには血なまぐさい宗教戦争を招きながら、その一方で人や情報の移動を引き起こすなど、非常に大きな役割を果たしていた。それは、この本の中で言いたかったことのひとつです。

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