『昭和歌謡史』刑部芳則 × タブレット純 対談 歴史研究家の視点から見た昭和歌謡の魅力とは?

刑部芳則「J-POPと歌謡曲は完全に分離している」

――若い世代に向けて、お二人から“昭和歌謡の入り口”としてお薦めしたい作曲家や歌手を挙げていただけますか?

刑部:作曲家ではやはり古賀政男ですね。歌謡曲のあらゆるパッケージを作ったのが古賀政男だと考えていて。たとえば「二人は若い」のような男女が声を掛け合うように歌うデュエットソングもそうだし、「うちの女房にゃ髭がある」のようなコミックソングもそうですが、いろいろな型を作っているんですよね。“哀愁があって、テンポが速い”という曲調もそう。それは中森明菜の楽曲にまでつながっていると思います。歌手では、古賀政男とコンビを組むことが多かった藤山一郎。授業の後「どの歌手が良かった?」とアンケートを取ると、圧倒的に藤山一郎が票を集めるんです。「東京ラプソディ」「夢淡き東京」「青い山脈」などもそうですが、哀愁がありつつもリズミカルでポップなところが若者を引き付けるのでしょうね。

タブレット純:なるほど。僕はやはり、マヒナスターズをお勧めしたいです。和洋折衷と言いますか、とても不思議なサウンドなんですよ。基本的にはハワイアンなんですが、いきなり裏声が入ってきたり、スティールギターを夜の雰囲気を出すために使っていたり。戦後に入ってきた欧米の文化を取り入れて、それまであった日本の音楽と融合させたことで、独自の形になった。それを「面白い」と感じる若い人もいるんじゃないかなと。あと、ムード歌謡のグループはじつはバンドなんですよ。もともとはナイトクラブで演奏していたし、凄腕のミュージシャンで、コーラスも上手い方がたくさんいらっしゃった。音楽性もいろいろで、ラテンを基調としていたり、ジャズやリズム・アンド・ブルースが得意なグループもいて、バンドとしても楽しめるんじゃないかなと思います。

――確かに“和洋折衷”は歌謡曲の特長ですよね。

刑部:そうですね。今も昔もそうだと思うのですが、世界の音楽、特に欧米の音楽を取り入れて。しかも日本人が好むように上手く落とし込んでいたのが歌謡曲じゃないかなと。たとえばグループサウンズの楽曲を今聴くと、歌謡曲に聴こえると思うんですよ。ザ・ゴールデンカップスの「長い髪の少女」なんて私も大好きですけど、ドラムやエレキギターを使ってなかったら、当時の歌謡曲と大差がない。

タブレット純:確かにそうですね。ザ・スパイダーズは“ビートルズの日本版”ということで始まったはずですが、ロックには聴こえないですから。

刑部:ええ。私は“錯覚”と呼んでいるんですが、誰が歌っているか、どういう衣装かによって分かれていただけで、じつはすべて歌謡曲だったと言いますか。たとえば「雨の慕情」を山口百恵が歌っていたら歌謡曲と呼ばれただろうし、「秋桜」を八代亜紀が歌ったら演歌になったはずなので。

――なるほど。現在のJ-POPに対しては、どんな印象をお持ちですか?

刑部:J-POPと歌謡曲は完全に分離していると思っています。歌謡曲は“演歌・歌謡曲”という扱いになり、流行歌はすべてJ-POPになって。その結果、歌謡曲はどこかに行ってしまった。

――日本の情緒的なものが排除され、洋楽に近づいたということですか?

刑部:それもあると思います。そういう試みは昭和の時代からあったんですよ。フォークやニューミュージックの人たちは歌謡曲に対抗していたし、定型されたものに対する反抗心もあった。純然たる歌謡曲みたいなものは父母の世代が聴いていたもので、自分たちはそうじゃないんだという意識もあったと思います。その先端を行っていたのが、今でいうシティポップですよね。当時は一部のコアな人たちが聴いていたのですが、J-POPの時代になり再評価が進んだということだと思います。

タブレット純:僕も今のJ-POPはほとんど聴かないですね。多様化し過ぎて、どんな曲が売れているのかわからなくて。テレビを見るのは大体サウナなんですが(笑)、音楽番組を見ても、読み方もわからないようなアーティストばかりで。曲の作りもよくわからないし、子供の頃から歌謡曲に親しんできた者にとっては宇宙人の音楽のように聞こえます。日本人の琴線に触れてきた歌謡曲はどこに行ってしまったのか……。『昭和歌謡史』には、大衆に寄り添っていた歌の意義が徐々に失われ、ニューミュージックの時代になると個人的な恋愛などが歌われるようなったという流れも書かれていて。本の最後あたりで、阿久悠さんの言葉が紹介されていますよね。「歌謡曲を真ん中にドンと座り、右翼に伝統的演歌、左翼に輸入加工のポップスというバランスの筈であったのが、真ん中がスポッと抜け落ちてしまった」と。歌い心地がいい「聴き歌」がなくなったというのが、この本の一つの結論なのかもしれないですね。

タブレット純「『昭和歌謡史』もぜひたくさんの方に読んでほしい」

刑部:ただ、大学の学生の反応を見ていると「日本人が持っている音楽的な感性は変わっていないのでは」とも思うんですよね。先ほども申し上げましたが、知らないだけじゃないかなと。たとえば政府がJ-POP禁止令を出して、すべてのアーティストは歌謡曲を作らなくてはいけないとなれば、また歌謡曲が流行ると思うんですよ(笑)。

タブレット純:ハハハハ(笑)。

刑部:それは冗談として、今はかなり意識して探さない限り、歌謡曲を聴くことができませんから。新しい歌謡曲もありませんしね。最近でいうと、ブルーベリーソーダという女性グループの「天使が通る」は「いい曲だな」と思いましたが、それほどヒットはしなかったようです。

タブレット純:人間性みたいなものは変わってない気がするんですけどね。僕が生まれた頃に流行った「神田川」は、当時の若者がこぞって「いい曲だ」と思ったわけじゃないですか。最近はマイナー調の曲も減っている気がするし、何を歌っているのかわからないような曲を聴いて、どんなところに魅力を感じているのか……。自分にとっては謎だらけですね(笑)。ただ、刑部先生のお話の通り、その裏で少しずつ昭和歌謡が見直されている感じもあって。自分より年下の方なんですが、落語家の林家たけ平さんも戦前の歌謡曲にお詳しいんですよ。

刑部:私、たけ平さんと一緒にYouTubeの番組(「刑部たけ平の昭和の歌声」)をやってるんですよ(笑)。若い人にとって昭和の歌謡曲は、逆に新鮮なんだと思います。昭和の若者にとってグループサウンズやフォークが新鮮だったのと同じと言いますか。

タブレット純:“昭和歌謡”と銘打った新人のアーティストもそこそこ出てきてますからね。ただ、その方々が言う昭和歌謡は、1980年代あたりなんですが。あとは弘田三枝子さん、ちあきなおみさんの影響が大きくて。

刑部:ちあきなおみさんの人気は最近すごいですよね。

タブレット純:ファッションなどもそうですが、今風に言うと“ヤバい”、“エグイ”という存在なんだと思います。

刑部:逆にいくら「いいよ」と言ってもなかなかわかってもらえないのが、小唄勝太郎さん。今年生誕120年、没後50年です。昭和8年に「島の娘」であれだけ一世を風靡したのに、全然良さが伝わらない。

タブレット純:「東京音頭」を歌った方ですよね。

刑部:そうです。戦前に芸者歌手(戦前から戦後にかけて活躍した流行歌を歌う芸者兼歌手、芸者出身の歌手)のなかでいちばん人気があったのが、小唄勝太郎。私は高校時代、生徒手帳に小唄勝太郎のプロマイドを入れていました。

タブレット純:それはすごい(笑)。

刑部:タブレットさんに芸者歌手などの話をしていただけると、とても心強いです。私とタブレットさん、林家たけ平さんで懐メロ三国同盟を組みたいと思っているので。

タブレット純:よろしくお願いします(笑)。『昭和歌謡史』もぜひたくさんの方に読んでほしいです。音楽を志す人にとっては歌の在り方の根本を見つめ直すきっかけになるだろうし、作る歌も変わってくるんじゃないかな、と。僕もこの本で初めて知った歌がたくさんあったし、戦前の歌謡にも興味が出てきて。いろいろ聴いてみようと思っています。

■書籍情報
『昭和歌謡史-古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで』
著者:刑部芳則
価格:1,155円
発売日:2024年8月20日
出版社:中央公論新社

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