カツセマサヒコ“無自覚の加害性”に向き合った最新作「小説を書くことで少しでも気づいていけたら」

これからも自分を疑いながら考えていきたい

マジョリティという特権性を自覚することが大切

――一方の守は、長年付き合って同棲していた恋人にプロポーズをし、順風満帆かと思いきや、婚約者の翠との間で思いもよらぬ出来事が起こります。守に共感し、土方の境遇を他人事として読んでいた人も、あの場面にはハッとさせられるのではないでしょうか。

カツセ:それが最初にもお話しした、無自覚の加害なんですよね。たとえば僕は、都内に実家がありますし、両親や家族との仲も悪くないし、シスジェンダーでヘテロセクシュアルだし、と一見最強のカードを持ち合わせたマジョリティなのですが、その特権性への自覚がないと、誰かを踏みつけにする一方だと思うことが増えました。

 ただ難しいのは「マジョリティの僕もこんなに気づくことができましたよ、わかっている側の人間ですよ」とアピールするのも居心地が悪いというか、言葉を選ばずにいうと、気持ちが悪いなって思うんですよね。

――それも最初におっしゃっていた「強い言葉で非難する人」につながりかねないですよね。

カツセ:そうなんです。『ブルーマリッジ』を書けたことは、僕にとって一つの手ごたえというか、もっといろんな小説を書けるかもしれないと思える経験でしたが、だからといって「僕は大丈夫」と慢心せずに、これからも自分を疑いながら、マジョリティ性の高い人間としてどう社会に向き合っていくべきか、考えていきたいと思っています。きっとまだまだ、無自覚な加害性は内包しているはずなので。

夫婦とは人生という戦場を生き抜くパートナーであるべきなんじゃないか

――結婚も本作の一つのテーマですが、なにか考えることはありますか?

カツセ:結婚しなくてもよくなった時代、みたいなことはよく言われますが、僕より若い世代の話を聞いていると、結婚への悩みや憧れを抱きすぎていて、個々人の考えはそんなに変わっていないことを実感します。

――いまだに、憧れは強いんですね。

カツセ:恋愛のゴールに結婚がある、というロマンスの過程を数々のフィクションが描きすぎていたせい、あるいは結婚業界のマーケティングの賜物なんじゃないかと思いますけど、現実はただの生活の延長線上にしかなくて、もっと地味ですよね。結婚相手はお互いを見つめてにこにこし合う関係よりも、背中を預けて人生という戦場を生き抜くパートナーであるべきなんじゃないか、ということも今作で描きたかったことの一つです。

 だからこそ、そのパートナーに無自覚な加害を働かないよう、よくよく意識しなくちゃいけないのだと思います。安心感とか、なんの気も遣わないとか、恋人や夫婦との関係ではいいことのように語られるし、それはもちろん大事だけど、一定の緊張感を保ち続けるのは大切だろうな、と。そのうえで「さっきの発言はひどい」「その振る舞いは、傷つく」など、お互いに言い合えるのが理想なんじゃないでしょうか。

――ネガティブなことを何も言えなくなるのがいちばんよくないですもんね。

カツセ:作中で「ホワイトボックス」という、社内の告発を人事部が直に受け取れるホットラインを登場させましたが、風通しのいい職場ならそんなものは必要ないはず。物語そのものはホワイトボックスのおかげで動き出すけれど、そうなる前に解決する手立てを打てる組織をつくるのが本来の理想ですよね。でも現実は、なかなかそううまくはいかないから……小説を書くことで少しでも誰かが何かに気づくことができたら、というよりも僕自身が気づいていける一歩にできたらいいなと思っています。

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