『伊集院静さんが好きすぎて』 足跡を辿って上野・浅草へ 心に沁みるおでんといい店の条件を知る
浅草『おかめ』
もう一軒は、観音通り(裏浅草)にある“酒処・食い処 おかめ”さん。伊集院さんのエッセイの中に浅草のおでんといえばここと書かれていたので、休日に伺ってみた。お店に向かう前に電話を入れると、電話越しでも女将さんの気さくな人柄が分かる。
「お店までの行き方わかりますか? 分からなかったら言ってくださいね」
この気遣いにこのお店は間違いないと確信した。暖簾をくぐると、おでん屋さんの出汁の匂いで溢れかえっている。カウンターと上り座敷があり、店内には綺麗に花が生けられている。店に入ると、店名の“おかめ”と言わんばかりの笑顔で迎えてくださる、女将さん。
「来る前に、一回電話を入れて下さって。今時珍しいのよ。どんな人がくるのかって、常連さんと話していたのよ。寒いでしょ、座って座って」
女将の他に、男性の常連さんがひとりカウンターで飲んでいる。この方も素敵で、実家のテーブルで父親と晩酌しているかのような空気感の方だった。そして、そして厨房内で一緒に働ているのは、女将さんのお姉さんだった。話を聞くと、この女将も東北の生まれの方だった。
「若いのに、どうして、このお店に辿り着いたの?」
「実は、伊集院静さんの本の中にこのお店が紹介されていました」
そう話すと「伊集院さん、コロナの前はお見えになっていたわよ。あなたの今座っている席にいつも座っておられたわ」
湯島の多古久さんのときもそうだったが、伊集院さんは、カウンターの端で飲むのが好きだったことがわかる。
「このお店のこと、どんなことが書いてあったの?」
女将さんが興味深そうに聞いてきた。持参していた伊集院さんの本を女将に見せた。
母娘の女将二人が切り盛りしているが、母女将はきっぷがイイ。若女将は楚々としていていかにも下町の美人である。
その文章を見せると、女将さんは娘さんの話をしてくださった。店内に入ったときから、その姿がないのが少し気がかりだった。実は、数年前に娘さんは亡くなったという。娘さんとの時間は女将さんにとってかけがえのないものだった。話を聞いていると、そのシーンごとの光景が目の前に浮かんできた。お通夜には、想像を超す人たちが娘さんに会いに参列し、とても驚き「娘は本当に多くの人に愛されていたんだ」と気付いたという。
はじめて会った私に、亡くなった娘さんのお話をしてくださっただけでなく、仕事が一段すると、私の近くまで来てくれて、目を見て話を聞いてくださる。お店を出るときに、「これは、ご縁だから、また疲れたりしたら飲みにきなさい」そう言ってお店の外まで見送ってくださった。
店を出て思わず、親友であり人生の先輩でタクシー運転手の左右さんに電話をした。左右さんから「澤井君のこんな声のトーン、はじめて聞いた」と言われる。
多古久にしても、おかめにしても……“お金を落とすお客さんと、料理を作る店員さん”という淡白な関係ではなく、“人と人として付き合っているお店”=伊集院さんの贔屓店だったのだ。聖地巡礼をすることで、伊集院さんの言っていたこと言葉が沁みる。
“美味い、不味いじゃない。” 行き着くところは「味より人」である。
その意味を理解するまでは到底及ばないが、少しだけ分かった気がした。
“人がいいところは結局、味がいい”
「東京は西と違って人や街が冷たい」とよく言う人がいる。私は西から東京へやってきたが、決してそんなことはない。昔から変わらない人情あるお店は、まだ東京には残っている。私が生まれた平成人たちにとっての東京の街のイメージといえば、渋谷、恵比寿、六本木などのキラキラした街になってしまう。けど、本当の東京の人情ある街は、実はここ(上野・浅草)にあるのかもしれない。
「人間らしくありたいなら、東京という街をもっと好きになってもいいんじゃないか?」
叱る言葉じゃないけれど、伊集院静さんの声が聞こえた気がした。