『進撃の巨人』完結後に残った最大の謎 なぜ始祖ユミルはミカサを選んだのか、その理由を考察
ミカサが始祖ユミルに与えた影響とは
そこで謎を解く鍵となってくるのが、「自由」というキーワードだ。最終巻でエレンは始祖ユミルがフリッツ王を愛していたことを語ると共に、「自由を求めて苦しんでいた」ことを指摘している。
愛情は必ずしも幸せな関係に結びつくものではなく、時として人を縛ることがある。エレンの見立てに従えば、始祖ユミルはフリッツ王への愛情によって、自ら自由を失っており、そのことを彼女自身も自覚していたのだろう。
「座標」でエレンから自由になるように言われ、涙を流したのは、愛情という鎖に縛られた状態から解放されたいというアンビバレントな精神状態だったことを示していたように思われる。さらにいえば、始祖ユミルが他人の豚を逃した描写も、その胸のうちに“自由を求める気質”があったことを示唆していたのかもしれない。
始祖ユミルが自分を解放してくれる相手としてミカサを選んだのも、こうした背景から理解できる。というのもミカサは、エレンに対して従属に近いほどの深い愛情を抱いている人物だったからだ。始祖ユミルは自分とフリッツ王の関係を、ミカサとエレンの関係に見立てていた可能性が高い。
ミカサは最終的に、何よりも大切な存在であるはずのエレンを自ら手にかけることを決断する。運命に囚われて不自由になったエレンを解放するため、命を奪うことで自由を与えるという極限の選択だ。その光景を目撃した始祖ユミルは、フリッツ王への愛から解放され、巨人化の力がこの世から消滅する……。ミカサが自由な人間としてエレンと向き合う姿を見せたことで、始祖ユミルも自由へと踏み出す勇気を得たのではないだろうか。
すべての決着がついた後のシーンでは、槍に貫かれたフリッツ王をバックに、始祖ユミルが娘たちと抱き合うイメージが描かれるコマがある。現実には始祖ユミルは自分が槍に貫かれることで、身を挺してフリッツ王を守ったはずだった。ここは解釈が分かれる部分ではあるが、ミカサの決断に影響を受けた始祖ユミルが、“愛に囚われずに生きた自分”を幻視したのかもしれない。
ミカサが示したように、愛ゆえに相手の命令に背くという決断はあり得る。フリッツ王の身代わりにならず、フリッツ王と自分のあいだに産まれた子どものために生きるというのが、始祖ユミルがあらためて見出した自由な生き方だったとも解釈できるだろう。
人類の自由という壮大なテーマを扱った『進撃の巨人』。物語の中心人物となった2人の女性の存在は。その裏に愛というもう1つのテーマがあったことを示している。