『進撃の巨人』最終回、エピローグで描かれたその後の“世界” を考察 リヴァイが車椅子に乗っていた理由

※本稿はアニメ「『進撃の巨人』The Final Season 完結編(後編)」の内容に触れています。ネタバレにご注意ください。

  先日放送されたTVアニメ「『進撃の巨人』The Final Season 完結編(後編)」では、「天と地の戦い」と呼ばれる最終決戦が描かれた。これによって作中で示されてきた謎のほとんどが解き明かされた形だ。

  しかしエピローグにあたる部分では、あまり多くのことが語られておらず、まだまだ考察の余地が大いに残されている。原作とアニメのエピローグを読み解くことで、本編の“その後”の世界について考えてみたい。

  まず物語の結末から振り返ると、主人公のエレンが「地鳴らし」を引き起こし、巨人の大群が地表を蹂躙。アルミンやミカサなどの活躍によって「地鳴らし」が止まり、世界から“巨人の力”が消滅したものの、その時にはすでに全人類の8割が命を落としていた。さらに戦いの後にやってきたのは平和な世界ではなかったようで、パラディ島のエルディア国は、他国からの報復に備えるために軍備増強を進めており、「巨人のいない世界」でふたたび緊張関係が生じつつあるという。

  そこでエピローグでは、主要なキャラクターたちのいろいろな身の振り方が描かれることに。アルミンやジャンなどの元104期生たちは、連合国大使として和平交渉を行なうため、パラディ島に赴いている最中。そこにはライナー、ピーク、アニと「マーレの戦士」の生き残りも含まれていた。

  その一方、「マーレの戦士」の候補生だったガビとファルコは、彼らとは別行動をとっているようだ。原作とアニメでやや描写が異なっているのだが、アニメでは「地鳴らし」後の荒廃した大地にて、2人そろって大地に手を当て、小さな苗木を植えているところが映し出されている。

  原作でも2人は行動を共にしていたが、街中で車椅子に乗ったリヴァイに付き添っている姿が描かれていた。それと比べると、アニメではより密接な距離感になっており、ファルコの恋心が成就して今後家族となることが示唆されているような印象だ。苗木という新たな生命に手を当てていることから、“次の世代にバトンを渡す”存在として描写されているようにも見えるだろう。

  また原作でガビ、ファルコと一緒にいたオニャンコポンは、アニメでは難民キャンプのような場所で働いている姿へと変わっていた。そしてそこには、原作では消息不明になっていたイェレナの姿もあり、木箱に入った野球ボールとグローブを運ぶ姿が描かれている。

  ジークは最終決戦の最中、クサヴァーとのキャッチボールの思い出に立ち返り、日常のなかにある「何の意味もない」行為の尊さに気づくと、自分がやってきたことを後悔するような感情を覗かせていた。ジークの信奉者だったイェレナが、そんなキャッチボールの道具を次の世代に渡していくというのは、実に象徴的だ。壮絶な虐殺と戦争を乗り越えた後のエピローグとして、これ以上ない描写ではないだろうか。

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