令和に読む名作漫画『日出処の天子』 聖徳太子のイメージを大きく変えた山岸凉子の異才に迫る

 聖徳太子を主人公にした山岸凉子の傑作『日出処の天子』(白泉社)。タイトルしか知らなくても、バレエ漫画『アラベスク』(集英社)で一躍人気漫画家になった山岸凉子の歴史大作と聞けば思い浮かべる人も多いのではないだろうか。

 日本史の教科書に必ず載っている聖徳太子(厩戸王子)を美しく恐ろしく、またとても哀しい人物として設定して、彼の母親や蘇我蝦夷(本作では毛人。後に大化の改新で名を残す蘇我入鹿の父)との関係性を描いた本作は、厩戸王子を取り巻く怪異現象や独自の能力を見せながらも、彼の人間らしい感情や焦がれても得られない実母からの愛情、長じてからは自分の怪異的な世界に、母以外で唯一入ってこられる毛人を愛する様子を丁寧に描写して、厩戸王子は読者にとっても感情移入のできる人物になった。

 結果として厩戸王子が本当に求めるものは何一つ得られず、厩戸王子の怪奇的な能力に恐ろしさを感じながらも、彼をひとりの人間として見る毛人とのきずなが永遠に断たれるラストは、何度読んでも心に重い石が載せられたような気分で寝覚めが悪くなる。

 厩戸王子の子どもたちのその後を描いたスピンオフを読むと、あの結末は、史実に沿うために必要だったことがわかる。つまり蘇我入鹿によって厩戸王子の子孫がことごとく亡くなり断絶すること、その後の大化の改新で蘇我氏も滅亡すること……厩戸王子の死後に起きたこの悲惨な末路は無視できない。

 傑作『日出処の天子』をひとつの記事で読み解くのは難解だが、令和の今、この物語が発表されていたのなら内容が変わった可能性がある。そういった観点から『日出処の天子』を考察したい。

厩戸王子(聖徳太子)と毛人(蘇我蝦夷)との関係性

 厩戸王子は自分のことを「人間ではない」と避ける母親を除いて、唯一自分の怪しい能力に気づき、時としてその世界に入ることができる毛人を愛するようになる。

 これはつまり、少年愛と呼べるものだ。現在、BL(ボーイズラブ)はエンターテイメント分野で確立され、その多くがハッピーエンドを迎えるが、本作が発表された1980年はそうではなかった。

 その4年前には山岸凉子と同じ24年組(昭和24年前後に生まれで、少女漫画界を大きく変えた女性漫画家たちのこと)のひとりである竹宮惠子が、少年愛を題材にした衝撃作『風と木の詩』(小学館)を世に送っているが、当時男性編集者の多かった出版社で、かなりの反対にあったようである。これはエンターテイメント分野のみならず、現実社会でも今以上に同性愛に対する理解が薄かった時代であることをも示している。

 私は80年代半ばに生まれたので当時の記憶はないが、21世紀になっても世の中で同性愛をちゃかして笑うような雰囲気があったことは覚えている。

 『風と木の詩』も『日出処の天子』も、発表された時代の空気から悲劇にせざるをえなかったのかもしれない。『風と木の詩』はその後のスピンオフで、本編で不幸な人生を歩んだ美少年ジルベールが死によって幸せになったと明言され、私は救われたような気持ちになったが、『日出処の天子』はどこをどう読み込んでも悲劇としか思えない。

 1990年代前半、山岸凉子は雑誌クレアのインタビューで「今ならふたり(厩戸王子と毛人)が成就するようにできたかもしれない」と語ったそうだ。(参考:雑誌クレア(文藝春秋)1992年2月号「永遠の少女マンガベスト100」)

 それからさらに約30年経った今、ぜひ厩戸王子の恋が成就した場合の『日出処の天子』を読みたいと願ってしまうのは私だけではないだろう。毛人が厩戸王子に惹かれつつも男性同士の霊的なつながりを否定する場面があるが、令和の今、発表されたら、少なくとも、その際のセリフは大きく変わるはずだ。

蘇我氏と聖徳太子の一族の逃れられない「その後」

 さて、今度は逆に史実を読み解いてみる。ハッピーエンドにできなかった理由は、ここから書く内容がもっとも大きかったように思えるからだ。

 蘇我氏は、娘を天皇に嫁がせて、蘇我氏の地位を上げた蘇我稲目からその強大な権力は広がり始める。有名なのは稲目の息子で、推古天皇や厩戸王子の血縁者として権力をさらに増大させた蘇我馬子、馬子の孫で聖徳太子の子孫を滅ぼし、その後の大化の改新によって殺されて蘇我氏を滅亡に至らせた蘇我入鹿ではないだろうか。

 山岸凉子はそんな蘇我氏の中ではあまり注目を浴びない蘇我蝦夷に焦点をあてた。馬子の息子で入鹿の父親にあたる彼は、厩戸王子ともっとも年齢が近い。そのことも彼がピックアップされた理由のひとつなのだと思うが、父親ほどは権力争いにやっきにならず、息子のように血気盛んでもない彼は、実際はどうであれ穏やかな人物だったととらえられてもおかしくない。彼こそがもっとも厩戸王子を理解していて、彼の傷がどこから来たものなのか見抜いた唯一の人物である。

 史実では、毛人(蘇我蝦夷)の息子の入鹿が、厩戸王子の息子である山背大兄王子を殺している。このことに対して入鹿の父親である蝦夷(毛人)激怒したと伝えられているが、そのこともきっと作者は知っていたのだろう。激怒するに違いないと言い切れる理由をフィクションとして本編で作った。

 厩戸王子の毛人への思いが成就したとしても、この後にふたりの子孫を待ち受ける陰惨な運命は変えられない。史実があるからこそ厩戸王子は報われなかったのだと自分に言い聞かせていたのだが、彼の毛人への思いが実った場合、その後、『日出処天子』がどのような展開になったのかも気になるところである。現在も活躍を続ける山岸凉子に、終盤だけでもふたりの関係が成就した場合の『日出処の天子』を描いていただきたい理由はここにもある。

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